侯爵の意図、王子の狙い
「いやぁ、見事だったよ、アーク」
「はぁ、お褒めに預かり光栄です、殿下」
試合が終わった後、侯爵二人と何やら商談なのか交渉なのかそれとも脅しめいた何かなのか、とにかく腹黒ぶりをフルに発揮してきたらしいアルフォンス殿下の執務室に呼ばれた俺は、お褒めの言葉を額面通りに受け取れないでいた。
もうね、聞くまでもなくご機嫌な様子で、これはさぞかしあれこれ侯爵達から協力を取り付けられたんだろうなぁと一目でわかる。
「で、結局俺の値踏みはいかほどで?」
「ほぼほぼこっちの言い値だね。いやぁ、流石良い仕事をしてくれたよ」
俺が問えば、殿下は上機嫌で答えてくる。
ってことは、やっぱりこの試合は俺を試すためのものだったわけだ。
「あれですか、俺に本気を出させるために芝居を打っていた、と」
「そういうことだね。あれでもまだ全力じゃないって言ったら驚いてたけど」
「いくらなんでも味方相手に全力は出せませんからねぇ」
出してたら……あの子爵殿には申し訳ないが、大怪我やそれ以上をさせていた可能性は低くない。
この一人でも人員が欲しい時に、貴重な腕利きを失うなんてのは絶対に避けないといけないこと。
彼のためだけでなく、俺のためでもあるのだ。あ、ついでに殿下や国のためにも。
「そういえば、お前が察してたようだと向こうも気付いたみたいだよ。
武力だけでなく洞察力もあるのか、と驚いていたねぇ」
「へぇ、あの距離で。まあ俺も、殺気むんむんって感じじゃなかったですけども」
それでも、素人さんが遠目で気付いたのは大したもんだと思う。
ああいや、騎士や兵士の腕を見る、つまり人を見ることに関しては素人じゃないわけか、侯爵ともなれば。
その類推は、多分そんなに外れてないと思う。
「で、お前が本気で暴れた場合には戦術レベルはもちろん、何なら戦略にも影響が出るってことまで理解してたね」
「ほうほう。……お綺麗な武技を尊ぶタイプでなく、実際に与える被害や、それによる心理的影響までおわかりだった、と。
そういえばあの子爵殿も侯爵方の推薦、つまり彼のことをよく知ってたわけですから……軍事方面にも中々通じてらっしゃるわけですね」
ちょっと認識を変更しておこう。
侯爵の地位にある人でそんな人がいるなら、縁を持っておいた方が良い。
現場のことを知らないのは仕方ないとしても、どんなもんか想像を働かせることすらしない高位貴族は、残念ながらそれなりにいる。
そういう人達は形だなんだにこだわって、こっちが提案する戦術や計画を蹴ることが多い。
そうなると、現場のこっちはたまったもんじゃないんだが……理解ある人が後ろについてくれるなら話は別。
特に、俺という存在は特殊なわけだし。
「うん、お前の狼牙棒に殴られた敵兵があちこちに転がっていたら、それだけで相手の士気がだだ下がりだろうってことも想像ついてたし。
何より、死ねない重傷者が量産されることの戦略的意味もわかってたよ」
「それは本当に珍しい方々ですね。数字だけで戦争を考えない人が協力してくださるのはありがたいところです」
楽しげに言うアルフォンス殿下へと、俺は頷いて見せる。
この分だと、ほんとに楽しかったんだろうな。多分、侯爵方の理解力が高くて会話がポンポン進み、ストレスがなかったって感じで。
意外に思われるかも知れないが、戦争においては、時に死者を出すことよりも怪我人を出すことの方が戦略的に痛い場合がある。
冷たい言い方だが、死者は埋葬すればそれまで。最悪の場合、埋葬する暇もなく逃げないといけない場合だってありえるが、それはそれで諦めもつく。
だが怪我人は、その場に放置していく、なんてことをするわけにはいかない。
人道的な理由ではなく、兵士の士気が下がるというとても現実的な理由によるものだ。
考えてもみて欲しい。死んだならともかく、まだ生きている戦友を置いて進軍させられた兵士達が、どんな気持ちになるか。
後ろめたさや後悔が先立ち、意気軒昂に戦うなんてことはとても出来ない。
それだけでなく、生きているのに見捨てられるとなれば、怪我することを恐れてまともに戦わなくなるなんてことも十分ありえる。
なので怪我人を放置するわけにはいかないんだが、そうなると、歩けないような怪我人なら担架を使って二人がかりで運ぶだとかの必要が出てくる。
当然、怪我の治療や看病に人員と物資も取られるし、行軍速度にも影響が出ると、ろくなことがないわけだ。
もちろん、後方に傷病者用の施設を作ることで行軍速度を保つことは出来るが、今度はそっちに移送する人員と馬車だなんだが必要になってくる。
ということで、特に歩けないような重傷者が大量に出ると大変なことになるわけだが……俺の狼牙棒は、そんな怪我人を大量生産するのに向いているわけだ。
長柄の武器だから、足下を払うのもお手の物。
金属製の盾すらへしゃげさせる威力で足下を薙ぎ払われたらどうなることか。
「あれだよね、確か討ち取った数の三倍くらいは怪我人出してんじゃなかったっけ」
「多分それくらいにはなりますねぇ。もっとも、その後他の奴がとどめ刺したりしてましたから、正確なところはわかりませんが」
「となると、討ち取った数が合わせて百人越え。怪我人がその三倍の三百として合計四百人。更に移送だなんだに人手を食われると考えれば、全部で千人近い戦闘不能者を出したわけだ」
「一度にやったわけじゃないですから、実際の影響はもっと小さくなるとは思いますが……こう考えると大概ですね、我ながら」
殿下の試算は、あくまでも延べ人数。
一回の戦闘で討ち取ったのは、多くて十数人。……いや、それも大概だが。
怪我人が数十人、と考えると、一度の戦闘で百人程度の影響はあっただろうか。
……数千人規模の戦争なら、戦術レベルの影響は出てくるかもな……?
「実際の被害以上の効果もあると思うんだよね。それこそ『黒狼』の異名が轟けば、さ」
「ああ……まあ確かに、敵としちゃ怖いかも知れませんが。
実際どんなもんですかね、あの噂の影響って」
「結構なもんだと思うよ? 王都どころかシルヴァリオ国中に広まってる勢いみたいだし」
あっさりと言うアルフォンス殿下。
そういやこの人、乗り込んだ際にあれこれ情報収集のために手を打ってたな……。
しかし、俺としては驚くしかないわけで。
「そんなにですか!? ……あ、いや、ローラやトムも知ってましたね、そういや……」
「だろ? そりゃ黒い巨大な狼が戦場で兵士を食い散らかしてるだなんて話、興味半分怖さ半分でみんな口にするって」
「一個人の話がそんなに広まるもんかと思いましたが、怪談みたいなもんと考えたらそういうことありえますか。
……あ、考えてみれば、後方移送された怪我人なんて峠を越えたら暇だから、そんな話もするでしょうし」
なんだかんだいって、噂話ってのは大きな娯楽の一つ。
まして身動きの取れない兵士が出来ることなんて限られてるから、怪談の一つもするだろう。
更に兵士を続けられなくなって田舎に帰ったりすれば、村の連中からあれこれ聞かれるのは想像に難くない。
で、そこで尾ひれを付けて話せば刺激の少ない村人からは引っ張りだこ、得意になってさらに背びれも付けたりもするはず。
となると、俺の悪名って、思っている以上に広まってないか、これ。
「多分、お前が戦場にいるってだけであちらさんは恐怖に震え上がるんじゃないかな?
逆に名を上げようって挑んでくる奴もいるかも知れないけど」
「で、そいつらを返り討ちにすれば更なる恐怖が広がる、と。
騎士団長のアイゼンダルク卿が出てきたら気を引き締めないといけませんが……多分彼は出てきませんし」
「だろうね。彼の意思もそうだけど、王家が傍から離さないっぽいよ」
「……あ、自分達を守らせるため、ですか」
とことんどうしようもない王家だな、ほんっと……。
確かに彼とはいい勝負になるだろうし、俺が見たところ、俺をどうにか出来るのは彼くらいのもの。
だから俺が攻め込んできた時のために王城に置いている、と。
その結果、こちらの侵攻を止められなくなるかも知れないというのに。
「……停戦の合意はしましたけど、不可侵条約は結んでませんよね?」
「うん、結んでないね。結ぶつもりもないし。……あちらは色々勘違いしてるみたいだねぇ。訂正するつもりもないけど」
実に楽しそうなアルフォンス殿下に、何か違和感を覚える。
……うん?
「あれ。色々、ですか? 不可侵条約のことだけでなく?」
「うん、その通り。どうも向こうの一部は、もう一度やったら勝てると思ってるらしい」
「……何をどうしたらそんな勘違いが出来るんですか……?」
俺は思わず頭を押さえながら聞かずには居られなかった。
序盤はともかく、後半はまるで相手になってなかったんだが……。
そんな俺に、殿下も苦笑を向けてくる。
「どうも、補給が続かなかったから負けただけ、と考えてるみたいなんだよね」
「いや、まず補給が続けられなかったのは戦略的敗北でしょうに……。
そんな勘違いをしているのが一部だけだから、まだ大人しくしている、と」
「そうみたいだねぇ。ってことで、一個旅団を国境付近に配置したのは、色んな意味で正解だったらしいよ」
「流石に、そんなお花畑思考は予想出来ませんでしたが……」
呆れたように俺が言えば、しかし殿下は首を横に振って見せた。
「そう勘違いするのも仕方ないところもあるんだよ。兵の数だけなら確保しているみたいだから」
「数だけなら……え、まさか傭兵かき集めてんですか?」
「金だけはあるからねぇ、向こうは。後、国外から船を使ってでも集めてるみたいだから、お前の噂を知らないような奴をってのもあるかもね」
「ちゅ、中途半端に知恵が回る……根本的な部分で勘違いしてるみたいですが」
傭兵なんて連中は、金の分はきっちり仕事をするが、その分金に見合わない仕事は受けたがらない。
そのため、実は情報収集に長けた連中が多い。というか、そういう連中が生き残っているとも言える。
そんな連中を、十分な事前情報なしに雇ったりしたら……下手したら騙されたって騒ぎ出しかねないんだが。
「ま、そんな奴が上にいて仕掛けてきそうな情勢なんでね、投資しておいたら十分な見返りはあると侯爵達にも理解してもらえたわけだ」
「なるほど。金に人材、物資を注ぎ込んでおけば、一番貴重な時間が買える、と」
「よくわかってるね。あそこの港がもたらす利益は一ヶ月だけでもかなりのもの、年単位で違えば、どれだけ儲けが変わるやら」
「そういうことがわかりそうな侯爵達だから抱き込んだわけですね」
俺が言えば、アルフォンス殿下は我が意を得たりとばかりに楽しげな笑みを見せた。
おお怖い、これはもう、下手したら一年以内に終わるな、攻略……それくらいの算段してるわ、これ。
「で、後ろの準備は十二分に出来そうだからね、後はお前の婚姻儀式が万事上手くいって、神からの覚えもめでたい状態になってもらわないといけないわけだ。
ってことで、本格的に特訓するからね」
「あ、あはは……わ、わかりました……」
にっこり笑う殿下に、俺は乾いた笑いを返すしか出来ない。
元々、儀式の手順やら作法やらを叩き込まれることにはなっていた。
だがこうなると、万が一にもミスがあってはならないと、殿下が思う完璧な状態まで仕上げてくるに違いない。
それはつまり、高位貴族の方々が数年かけて身に付けるようなものを、この二ヶ月余りで、下位貴族出身の俺に、ということで。
俺は、これからの日々を思ってそっと胃の辺りを手で撫でたのだった……。




