謀り計られ
色々あれども最後は上手いこと締められたんじゃないかと思えたデートの翌日。
「幸せ過ぎて怖いんですが、どうしましょう」
「ほんとに喧嘩売ってるのかお前は」
アルフォンス殿下の執務室で悩みを相談した俺は、ジト目の殿下に罵倒されていた。
当然、人払いはしてもらっている。
「何が相談があるだ、ただの惚気じゃないか」
「惚気じゃないんです、ほんとにどうしたらいいのかわからないんです!」
「いくらお前にそっち方面の経験が少ないからって、狼狽えすぎじゃないかね、流石に」
呆れたように言う殿下へと、婚約者のいない人に言われても、と言いかけて俺は言葉を飲み込む。
殿下の女性遍歴に関して、俺はほとんど何も知らないんだが……それは、殿下に経験がないことを意味しない。
男爵家の三男で自立するしかなかった俺と違って、ただでさえ王族の殿下は色恋だって国家の政略が絡んでくる。
おまけに第一王子がやらかしたせいで周囲はかなり色恋沙汰に対して過敏になっていたはず。
だから学園や社交界でも女性とは一定の距離を保ち続けていたわけだ。
であれば裏ではどうなっていたか、俺が知らないこともあるだろうし、俺に言えないこともあるだろう。
いくら気安い関係だからって、ここは踏み込んだらいけないラインのはずだ、きっと。
となると、俺が道化になって話を流した方がいいな、ここは。
「仕方ないじゃないですか、ニアが可愛すぎるんですから!」
「はいはい、冷めた関係じゃないみたいで安心したよ。
だからってデートで浮かれて、ドレスの紋様を決め損ねたとかないよね?」
俺の意図を汲んだのかどうか、殿下が話を微妙にずらした。
……この人のことだからわかってるんだろう、きっと。
だから俺は、逆らうことなくその流れに乗る。
「あの仕立て屋の予約までしてもらったのに、そんなへまするわけにはいかんでしょう。
聞いてはいましたけど、めっちゃ格式があるって言われてなくてもわかりそうでしたよ」
「まあ、実際格式は高いけどね。ニアコーヴ神殿での儀式にも問題ない衣装を仕立てられる数少ない店だし」
「それって公爵家御用達レベルって言いませんかね……」
わかっちゃいたけど。それに、必要だから紹介してもらったわけだけど。
改めて言われると、こう、ぞっとするなぁ……事情が事情だから仕方ないとはいえ、分不相応にも程がある。
それも含めて背負うと決めたんだから、今更だが。
ぼやくくらいは許して欲しいと思いつつ、俺は殿下へと選んだ紋様について報告した。
「……なるほど」
俺の話を聞いて、殿下は一度頷きながら言葉を切って。
「確かにお前が危惧するのもわかるね、その物わかりの良さは」
しみじみと口にする殿下へと、俺も首肯して返す。
ニアは、求められていること、何をどうすべきかを理解してその通りにしている。
自分の感情を滲ませることもなく。
理性的すぎると言えばそうだし、あるいは諦め癖が染みついているのかも知れない、とも思う。
いずれにせよ、自分の願望があまりに出ないのは心配ではあるんだが。
「ただ、無理に押し殺してるわけではない、とは思います。その辺りは、ある程度話せました」
「……そう。ならいいや」
「随分とあっさりですね?」
もうちょい食い下がるかと思ったんだが。
そんな俺の疑問が顔に出ていたのか、殿下は小さく笑って答えてくれた。
「いや、お前が確かめる気になって確かめたのなら、その結果は信じるさ」
こういうことを当たり前の様な顔で言うから、この人は……。
だから俺は、こう返すしかない。
「殿下がそんなに物わかりいいなんて、若干気持ち悪いんですけど」
「うるさいな、私だって何でもかんでも常に疑い続けてるわけじゃないんだぞ?」
まあ、照れ隠しみたいなもんだ。
大体のことは常に疑い続けて油断しない人が、俺の判断は信じてくれるっつーのは、こう、認められたみたいで嬉しくなるのも仕方ないじゃないか。
まして相手が、魔王並みの人とあっちゃ。
そんな俺の感慨を知ってか知らずか、殿下の話は続く。
「それにね、別の面倒事が出てきたから、そっちが形だけでも片付いてくれたら助かるんだよ」
「形だけって、いやいやほんとに片付いたはずですから!」
「言い切れてないじゃないか」
「そりゃ、心を覗く方法とかないですしねぇ!
……で、面倒事って一体何ですか?」
軽く言い合いをしてから、表情を改める。
この人が面倒事っていうからには、それなりに気を引き締めないといけない話のはず。
なんだが、殿下はまだ笑ったままだ。ただ、それは何だか含みのあるものに変わっていたが。
「侯爵が二人ばかり、お前の領地の件で文句を付けてきた。お前じゃなくて年上の別の子爵を行かせろと」
「ありゃま、今更ですか? しかし、あんな危険な領地に、なんでまた好き好んで」
何しろ俺が与えられる予定の領地は、戦争の結果割譲されることになった元隣国。
当然今後も紛争の種になる可能性は高いし、治安だってよろしくないだろう。
鉱山があるかもって話も秘密にしてるわけだから……それとも、嗅ぎつけるくらい諜報に長けてるとか?
といった俺の疑問は、もちろん殿下も織り込み済みだった。
「正確には、領地ではなく旅団を指揮する権限をお前にやるのに疑問を呈してるってところだね」
「あ~……なるほど。……それ、どっちの意味で言ってきてんですかね」
それはそれで面倒くさいことになりそうだと、思わず溜息を吐いてしまう。
以前に殿下との話で出たが、子爵領には数千人規模の旅団が配置されることになっている。
子爵領に配置されるが王国軍ではある、という若干複雑な状況なため、指揮権は領主である子爵にありつつも旅団長に委託するという形式になるそうだ。
だから、指揮権を持とうと思えば持てなくもない。兵が動いてくれるかはともかく。
で、この場合その侯爵二人が、俺に指揮権を与えたくないのか、子飼いの子爵に指揮権を持たせたいのかで話が変わってくるわけだ。
俺に指揮権を与えたくないだけなら正直あまり問題でもないし、俺みたいな若造にやりたくない気持ちもわからんではない。
だが、子飼いに指揮権を持たせようとしているのなら、何を狙ってなのかという新たな疑問が出てくる。
出てはくるのだが。
「ま、どの道お前に持たせることになるんだろうけど。
最前線となる領地を持たせるのにどちらがふさわしいか、一対一の決闘で決めようとか言い出してんだよね」
「は? あちらは何考えてんですか、一体」
殿下が続けた内容に、そんな疑問も吹っ飛んだ。
もうこれ、思惑どうこう抜きにして、そんな要望を通すわけにはいかないことになっている。
言うまでもないが、領主に求められる資質と指揮官に求められる資質、そして一人の戦士として求められる資質はそれぞれに違う。
強いて言うなら領主と指揮官は近いものがあるかも知れないが、一人の戦士に求められるものはほぼほぼ全くの別物だ。
部隊長だったら自分が先陣を切ることもあるが、旅団長クラスは全くの別物。
なのに、一人の戦士としての技量で決めようというのだから、お話にもならない。
そして、別の意味でも話にならない。
「ちなみに、決闘のルールは?」
「殺さなければ何でもあり。武装も自由。向こうが横車を押そうとしてきたんだから、条件についてはこっちの要望を飲ませた」
「流石殿下。ってことは、殺さない程度に思い切りやれ、ってことですね?」
多分そうだろうなと思いながら確認すれば、やはりという殿下の言葉に俺は思わず笑ってしまう。
悪いが、その条件で俺と勝負になるのは、王国内ではバラクーダ伯爵くらいのもんだろう。
そして、そのバラクーダ伯爵は今回こちら側。となれば、油断さえしなければ、不覚を取りはしないだろう。
と、そこまで考えたところでふと思いついたことがあった。
「殿下、まさかそんな決闘に、代理人を認めるとかそんなことはないですよね?」
「当たり前だ、そんなの認めたら、その代理人こそふさわしいことになるだろ?」
「ですよね~……え、だったら、ほんとに武装自由も認めたんですか?」
「ああ、流石に、個人が装備携行出来るもの、という条件はあるけど」
「携行、で、運搬ではない、と」
だったら、一列に並べて斉射してくる複数のクロスボウだとか大がかりな仕掛けはないか。
「……その条件、本当に向こうは飲んだんですか?」
「私も念入りに確認したんだけどね、飲んだんだよ」
殿下の返答に、俺はしばし沈黙する。
「流石に、俺のことを知らないってことはないですよね?」
「よくご存じみたいだね」
答える殿下の声には、何か試すような色がある。
てことは、殿下はその侯爵の狙いがわかっているわけだ。
こうやって俺を試してるのは、領主となる俺の思考力のテストってことかな。
……ん? まてよ?
「もしかしてあれですか、俺が実際どんなもんか確かめようって腹ですかね?」
「恐らくだけど、ね」
殿下の顔を見る限り、どうやら及第点はもらえたようだ。
なるほど、俺に指揮権を渡したくないにしても、その子爵に渡したいにしてもお粗末過ぎるのはそういうことか。
こんなに時間がかかるなんてまだまだだな、という雰囲気も感じるが、まあそれは仕方ない。
「俺の武名は聞いている、しかし実際はどんなもんか、自分の目で確かめたい。
……で、俺次第で今後の対シルヴァリオ戦略に対する姿勢を決めるってわけですか」
もちろん個人の武勇で戦場が大きく左右されることは滅多にないが、俺の悪名は上手く使えば影響を与えることは可能、かも知れない。
今回旅団の指揮自体は王国軍が任命する旅団長に委託されるわけだから、俺は一人の戦士として戦場で暴れるなり、別働隊を率いるなり、自由に動くことが出来る。
上手いこと立ち回れば、戦略に影響を与えることも出来なくはないはずだ。
ただ、それをやらせてもいいのか、どこまでやれるのか、戦場に行くことのない偉いさん達は自分の実感として持っていない。
だからこの機会に確かめようってわけだ。
「いやらしいことするよね、試金石にされる子爵殿が可哀想だ」
全く可哀想と思っていない口調で殿下が言う。
まあ、俺も可哀想だとか思ってやる余裕はないわけだが。
「……侯爵二人が積極派に回れば、かなりの期間短縮が見込めますよね?」
「もちろん、向こうでお前がきちんと立ち回ればという前提条件は付くけど」
「そこはもちろん、鋭意勤めさせていただきますとも」
ニコニコとアルフォンス殿下が氷山のような微笑みを見せてくるのに対して、俺もあまり人様にお見せ出来ない笑みで返す。
「殿下、もしかしてさっき言ってた面倒事って、これそのものじゃなくて、わかっていただいた後にどんだけ引っ張り出すかの算段が大変だってことですか」
「まあね。何しろ相手は侯爵二人、人も金も物も、いくらでも投資してもらえるってもんだろ?」
「わぁ怖い。ケツの毛までむしり取るつもりだこの人」
「ちゃんと見返りは用意するんだから、それくらいの覚悟はして欲しいなぁ」
ふと思い浮かんだことを聞いてみれば、あっさり肯定の言葉が返ってきた。
そりゃま、この辺りで最大の港を持つ国だ、どれだけ旨味のある利権が転がっているかわかりゃしない。
で、攻略に貢献してそれらの利権をいくつか手に入れられるなら、見返りとしては十分過ぎるものがあるだろう。
……侯爵達の才覚によるところもあるが。
「てことは、俺は侯爵閣下お二人が腹くくって乗っかろうと思えるようにすりゃいいわけですね?」
「そういうこと。できるだろ?」
気楽に言ってくれちゃって。
しかし、ここで俺がどんなもんかを侯爵閣下お二人にご覧頂けば、ニアと幸せな生活を送る日々が近づくわけだ。
だったら、色んな意味で遠慮する必要はないだろう。
「わかりました。殿下、ご命令を」
「うん、アーク・マクガイン子爵に命じる。ぶちかませ。お前という恐怖を存分に思い知らせてやれ」
それはもう冷え冷えとするくらいの良い笑顔でアルフォンス殿下が命じてくるものだから。
「かしこまりました、ご命令、間違いなく遂行させていただきます」
俺もまた、スイッチが入った笑顔で応じるのは当たり前だった。




