征くべきか、退くべきか
「……という提案をアルフォンス殿下から受けまして。え~……ニアは、どう思います?」
新居へと移動する準備が進み、段々荷物が減っているニアの家で、俺はテーブルの向かいに座るニアへと問いかける。
……演技の必要が無い場でニアって呼び捨てにするのは照れるな、何か。
提案とは、もちろん先程殿下と話してるうちに浮上した、一旦書類上の婚姻だけ済ませ、シルヴァリオ王国攻略が終わってあちらの王家から何も言われない状態になってから挙式なりお披露目なりするのはどうか、というもの。
これの意味するところは、説明するまでもなくニアには伝わったらしい。
「なるほど、心置きなく結婚式をしたいならば最大限の協力と努力をしろ、とおっしゃっているわけですね。
……そして、シルヴァリオ王国攻略がかなり上位の優先事項になっていること、ひいては協力の見返りをちゃんと用意していることも」
おっとぉ、なんだかどっかの殿下に似てる温度の笑顔になってるぞ?
やっぱこの人も一筋縄じゃいかない人だよなぁ……まああんだけ複雑というか虐げられた環境にいたら、そうもなるか。
ニアというかソニア王女が育ってきた環境は、以前シルヴァリオ王国を糾弾した際に調べ上げ、追及する材料としてアルフォンス殿下に全て渡している。
当然殿下もその環境から来た彼女の思い、どういうつもりで色々な資料をこっそり残してきたかも理解している。
だからソニア王女が生きていることがわかって、彼女がシルヴァリオ王国攻略の手助けをすると名乗りを上げた時に、アルフォンス殿下はリスクを承知でニアをアドバイザーとして引き入れることにしたわけだ。
となると、ニアから様々な情報提供を受ける対価としてシルヴァリオ王国攻略を進めていく必要があるわけだが、誠意がない人間であれば情報提供を受けておきながら「ただし何年後になるかはわからんがな!」とか言って棚上げすることもありえる。
で、アルフォンス殿下はちゃんとやる気がある、と誠意を見せた形になるわけだ、今回の言い分で。
まあ、その分働けよ、とも言ってるわけだが。
「そういうことですね。
と言っても、これはあくまでも提案であって命令じゃありません。
攻略を早めようとすれば当然リスクも生じますから、殿下も無理に推し進めようとは思っていないようですし」
怒ってる、わけじゃないんだが、なんというかこう……殺る気? みたいなのを滲ませているニアへと、俺はフォローになっているんだかなってないんだかなことを言ってみる。
多分ニアの殺る気は殿下でなく、俺と同じくシルヴァリオ王国へ向いてるんだとは思うんだが。思いたいんだが。
念には念を入れて、というわけだ。
そして、思ったよりも効果があったらしく、ニアがふぅ、と吐息を零せば、滲んでいた殺る気がかなり拡散した。
「なるほど、それはそう、ですよね。既にアルフォンス殿下の頭の中には詰み筋がいくつも浮かんでいるでしょうし。
その中の一つで私達にメリットが大きいものをご提示くださった、ということですか」
……私達、と言われてちょっと、いや大分嬉しかったのは内緒だ。
いやいや、彼女からすればシルヴァリオ王国の目を気にしなくて良くなるのはかなり大きなメリットだろうから、きっとそれが大きいに違いない。俺は詳しいんだ。
……いや、ついさっき殿下から詳しくないと突っ込みを入れられたばっかりだったな……。
それはともかく、実際アルフォンス殿下に複数のプランがあるのは事実だし、いくつかは俺も教えてもらっている。
中には、俺が領主として赴くことになるストンゲイズ地方とかが絡む策もあるわけだし。
その内どれが実行されるのか……あるいは複数並行するのか。
そこは殿下にしかわからんわけだが。
「そういうことだと思います。国の戦略で考えたら十年以内に落とすとかそういうスパンもありでしょうが、個人がそんなスパンで考えるわけにはいかないですからねぇ」
今回の戦争は小競り合いと言っていい程度のものだったので数ヶ月で終わったが、国家間の戦争なんざ年単位になるのはザラ。
歴史を見れば百年近く戦争やってたなんて国もあるくらいだ、十年なんて当たり前にあり得る。
だがそうなると、ニアは27歳。結婚式だけとは言え、この辺りの貴族女性としてはかなり遅いものになってしまう。
いやまあ、今は平民だからとかいう言い訳も出来るのは出来るし俺は気にしないが、ニアがどう感じるやら。
ま、その辺りも含めてちゃんと話し合わないと、なんだが。
「正直に申し上げれば、十年もかからない、というのが私の見立てですね」
「これはまた随分とはっきり言いますね。それは、アルフォンス殿下がやった仕込みだとかの影響で、ですか?」
「ええ、恐らく二年から三年で、シルヴァリオ王国の物流はあちこちで滞るようになるのではないかと。
そうなってしまえば、年単位の戦争にはとても耐えられないでしょう」
「流石、お見通しですか」
澱むこと無く語るニアに、俺は苦笑しながら頷くしか出来ない。
先日結ばれた条約によって正式に終戦、こちらが一部の関税を好きに出来る権利を得たわけだが……殿下はそれを上手く利用している。
例えばある地域では、こちらへと入ってくる時の関税を下げたんだが、そのおかげで、我がブリガンディアへと食料だとか実用品を輸出するシルヴァリオ貴族が増えていたりするのだ。
なんせシルヴァリオ王国は戦争の影響で物流がおかしくなっている上に、治安が悪化したせいで護衛など輸送に必要な人的コストが大幅に上がっている。
だったら利益の上がるブリガンディアへ輸出してしまえ、となるのも無理は無いんだが、それだけで終わらないのが恐ろしいところで。
「利鞘の大きな嗜好品は今までと同じように王都方面へ、薄利多売になりがちな実用品はブリガンディアへ、となってきていませんか?」
「その通りです。だから、シルヴァリオの王城はまだ事態に気付いていません。
正確には、アイゼンダルク卿辺りは事態を把握しているでしょうが」
シルヴァリオの王城に乗り込んで調査をした時にお世話になった騎士団長のアイゼンダルク卿は、シルヴァリオ王家を完全に見限ったらしい。
まあ、あれだけのあれこれを見せられちゃなぁ……。
で、彼は今、シルヴァリオ王国内の良識派を取りまとめてくれているそうな。
彼の人徳を考えれば、数年後にクーデターを成功させることだって可能な勢力になるだろうと思われる。
で、そんな良識派を抱き込むこともちゃんと考えてるところがアルフォンス殿下の怖いところで。
「彼らが王族に報告を上げる可能性は低いと考えています。
なにしろ、民を飢えさせない程度の流通は保っていますからね」
こちらには策略の悪魔だけでなく、物流の神様とも言うべきアルトゥル殿下もいらっしゃる。
彼の助言を受けながら、民は飢えず、しかし兵糧の備蓄は進まない、そんな絶妙な流通状態にしているのだという。
……いくらアイゼンダルク卿の協力があるからって、とんでもねーな、アルトゥル殿下。
その気になったら大陸全土征服出来るんじゃないか、あの兄弟。
多分そこまでの領土的野心はないだろうけど。
何て勝手に背筋を寒くしている俺の前で、ニアは明らかにほっとした顔になる。
「そうですか、それは良かった……王家には色々とありますが、民に恨みはありませんから。
……とはいえ、人道的理由だけではないのでしょうけれど」
「あ、はい。攻略後の統治まで見据えてのことだって言ってました」
ほっとした顔を見せたのもつかの間、またアルフォンス殿下似の笑顔になるニア。
思わず背筋を伸ばしながら硬い口調になっちまったい。
そう、あのアルフォンス殿下が甘っちょろいだけのはずがない。
飢えて人心が荒廃した後に占領するのと、精神的に落ち着いて居るところを占領するのと、どちらが治安が保ちやすいかは言うまでもない。
ついでに、吟遊詩人辺りを使って『どうして飢えずに居られたのか』を吹聴して回らせれば完璧である。
……つくづく悪魔だよな、あの人。
「全てが上手く回れば、二年でシルヴァリオの体力が激減、五年もあれば決着を付けられるでしょう」
その悪魔の算段を解読出来てる人がここにいるわけだが。
そこまで口にしたところでニアは沈黙。しばし思考に沈んで。
「ただ、それだと私の出る幕などなく事が終わるでしょうが……それでいいのかと、アルフォンス殿下に問われているような気がしますね?」
と、それはもう、とても良い笑顔を見せてくれた。
この俺が背筋をゾクゾクと震わせるくらいに。
やっべ。
やっぱこの人最高だわ。
とか思った俺は色々と拙いかも知れん。
「恐らく間違ってないかと。で、どうします……って、聞くまでもないですね、その顔は」
聞くまでもなく、今この時ばかりは彼女の本心がよくわかる。
とても良い笑顔のまま、ニアは俺に向かって頷いて見せた。
※書き溜めや私事の関係で、4/1(土)は更新出来ない可能性が高いです、申し訳ありません。
楽しみにしてくださってる皆様には申し訳ございませんが、その場合はしばしお待ちいただければと思います。




