物理的話し合い
※暴力的なシーンが多数あります。
というか大半が暴力的なシーンとなります。
苦手な方はお気を付けください。
(一応、次回更新分はこの回を飛ばしても内容は理解出来るのではないかとは思います)
ということで、俺とバラクーダ伯爵は肉体で男同士の話をするため中庭に出た。
それを見届けるためにエミリア嬢とニア、親父がついてきたのだが、エミリア嬢は「これだから殿方は」などと呆れたように言っている。
もしかしたら彼女は、武闘派伯爵家に生まれて周囲を脳筋に囲まれて育ったから、逆にこういうノリに反発を覚えているのかも知れない。
ちなみにニアは心配半分興味半分な顔である。
これはこれで意外だな、そういうのは苦手かと思ってたんだが。
だったらまあ、こちらとしても心置きなくやらせてもらおうかな。
「では閣下、金的・目潰し・剥がし以外の投げ技禁止、でいかがでしょう」
「ほう、立ち関節や締めもありでいいと? 流石マクガイン卿、よくわかってらっしゃる」
俺からのルール提示に、楽しげに応じるバラクーダ伯爵。
流石に何でもありはやばすぎるし、訓練用に整えているわけじゃない中庭だから、投げ技で石に頭をぶつけられたら最悪なことになる。
ただ、立ち関節・組み技ありにしたから、剥がそうとする動作が投げ技に取られて反則負けとかになったら興ざめなんで、それはあり。
これはブリガンディア王国軍の格闘技訓練で良く使われるルールであり、往々にして肉体でのお話し合いにも使われているもの。
そして、当たり前のようにバラクーダ伯爵閣下はこのルールをご存じだし、何度も話し合いをしたことがある様子。
だから俺の提案に乗ってきたんだろうしな。
で、上着を脱いでお互いに上半身はシャツ一枚になったんだが……予想通り、年齢を感じさせないしっかりとした筋肉をつけてらっしゃる。
それも、訓練や実戦で鍛え抜かれたって感じのバランスのいい肉体。
わかっちゃいたが、油断なんてしようものなら一瞬で終わるな、これ。
しかしまあ、こういう話し合いには様式ってもんも大事なわけで。
「それでは閣下に敬意を表しまして、お先にどうぞ」
「ほう? 儂の方が歳がいっているからと油断してくれるのかね?」
「まさか、閣下のそのお体を見て油断など出来るわけがないでしょうに。あれです、お断りするお詫びということで一つ」
「そういうことであれば、遠慮なく行かせてもらおうか、なっ!」
こっちの喉笛を噛み切りそうなくらいに獰猛な笑みを見せたバラクーダ伯爵は、音も無く両手を顔の前に挙げて構え。
俺は……両手を下げたまま構えもせずにそれを迎える。
ガードを放棄した俺の顔面、左頬をバラクーダ伯爵の右拳が的確に、そして容赦なく捉え、鈍くて強烈な音を響かせた。
「っか~……流石は音に聞こえたバラクーダ伯爵、効きますなぁ……」
「はっ、平気な顔して立っていながら、よく言うわ!」
口元を拭いながら言えば、楽しげに、しかし獰猛な笑みのままで伯爵が言う。
いや、マジで効いたわ。拳が硬いし痛いし重い。実に理想的なストレートをお持ちのようだ。
だがこっちも鍛えてるんだ、一発で意識を持ってかれる程じゃない。
軽く頭を振ると、今度は俺が両手を顔の前に上げて構え。
「それでは閣下、よろしいか?」
「おうともさ、こい!」
「では、遠慮無くっ!!」
踏み込んだ俺は、地面を蹴った力に身体の捻りを加え、発生させた全身の力を拳に乗せ、同じく伯爵の顔面、左頬に右拳を打ち込んだ。
「くはっ、ははっ! 最近の若いのにしてはやるではないか!」
かんなり良い手応えだったってのに、バラクーダ伯爵は豪快に笑い飛ばしてくる。
いや、効いてはいる筈なんだが。あれだ、精神の高ぶりの方が勝ってるやつだな、これ。
ま、そういう人種だからこんな話し合いに乗ってくるわけだが。
ちなみにこれは、最初にお互い拳を打ち込みあい、互いの力量を見るって意味がある。
あまりに差があると感じた場合は、ここで降参してもいい。
そこで無理に意地張った結果、残念な事故が起こってしまったケースは少なくない。
だから、それを少しでも予防するためのルールでもあるんだ、これは。
後は、一応不文律やルールの機能する、ただの野蛮な殴り合いではない、という体裁を取り繕う意味もあるか。
で、こうしてお互いの拳を確かめあったわけだが。
「続行で?」
「聞くまでもなかろう!」
「ですな!」
バラクーダ伯爵の答えに俺が応じれば、二人同時に両の拳を顔の前に上げてファイティングポーズを取る。
恐ろしいことに、四十後半の伯爵の一撃は俺とほとんど五分のもの。
若い頃はどんだけ強かったんだよ、この人。
だがまあ、俺が戦う……もとい、話し合いをするのは、今のバラクーダ伯爵だ、過去の人じゃない。
今目の前にいる伯爵も、十二分に恐ろしい強敵なのだから。
「ふんぬっ!!」
「っしゃぁっ!!」
バゴン、ドゴンと強烈な音を立てながら、お互いに殴り合う。
序盤はろくにガードも回避もしないのが作法だ。
身体の芯に響く伯爵の拳をまともに食らうのは正直勘弁願いたいのだが、作法だから仕方ない。
そして数回殴り合った後、今度は互いの首を取ろうとするかのように組み合う首相撲へ移行。
これ、単なる力比べに見えるんだがそんなことはなく、首を抱え込むようにしながら相手の胸元に肘を当て、てこの原理でこちらに相手の頭を引き込んで体勢を崩す、なんてテクニックもある。
そこまで崩したら、膝だの肘だの浴びせ放題。
……なんだが、当然相手も大人しく崩されてはくれないので、地味だか気の抜けない攻防が繰り広げられることになる。
互いに有利なポジションを探って小刻みに足を動かし、重心を浮かされないよう腰を落とし、しかし落としすぎて上から潰されないように気をつけ。
傍目にはかなり地味な攻防が繰り広げられる。
「……組み合いも五分、経験でバラクーダ伯爵様、反応の良さでマクガイン様が勝っているため拮抗しておりますね」
ニアの側に控えていたローラが、いきなり戦況分析を始めた。
しかも、的確でやんの。そういやこいつも相当な使い手だもんな、わかるか。
ローラの分析通り、伯爵も俺も決定的に相手を崩すことが出来ず終い。
このままじゃ埒が明かないってことで、どちらからともなく腕を放して距離を取り直す。
地味だが体力を使う攻防のせいで互いに呼吸を荒くする中、伯爵が唇の端を上げた。
「流石、『黒狼』の二つ名は伊達ではないな?」
「正直そんなご立派な二つ名なんぞ要らんのですがね、ハッタリくらいにしかなりませんから」
そんでもって、目の前にいるのはそのハッタリが効かない相手。
おまけに老獪、この会話に使った数秒で、呼吸をかなり落ち着かせてやがるし。
若い分、どうしたって持久力じゃ俺の方が有利、なはず。
はずなんだが、その差を経験と駆け引きでどうにかしちまいそうなんだよな、この人。
ほんっと、面倒くさい。
「そんじゃ、改めて参りましょうか!」
「おう、来るがいい!」
踏むべき様式は終わり、後はもう全力で語り合うのみ。
互いに踏み込んで右拳を振るえば、ほとんど同時に互いの顔面にヒット。
たたらを踏みそうになるのを踏ん張り、今度は左。
これがまたお互いに、顔面じゃなくてボディに刺さる。
俺はストレート気味に横隔膜近くを狙い、伯爵はフックで俺の肝臓付近を狙って。
ちくしょう、フックのくせに腕の回し方が上手いから俺のボディストレートとあんま変わらん速さで刺さりやがる!
しかし、とくれば。
急所である肝臓を打たれて俺の動きが一瞬止まったのを見透かして、伯爵の右アッパーが俺の顎を狙う。
だが、それを察知していた俺は首の動きだけでそれを間一髪回避。
腕を振り上げてしまった伯爵の隙を狙って今度は右のボディストレート。
直撃させたはずだってのに、伯爵の左拳が動いて俺の右頬を直撃。
やべぇ、マジで強いなこの人。
攻撃、防御が交互に繰り返されるどころか、防御しながら攻撃、回避しながら攻撃ととにかく腕も目も頭も忙しい。
特に伯爵の攻撃は俺が経験したことがない程に必死なもので、うかつに食らい続けたら俺の意識が間違いなく飛ぶだろう。
……そう、必死なのだ。
これだけ経験豊富で、あれだけ余裕綽々に見えた伯爵が。
だからとんでもない威力もあるのだが、同時に、どこか危うい感じもある。
伯爵は背負ってる。背負いすぎている。
そりゃそうか。
戦況がどうだったか詳しくは知らないが、伯爵は嫡男を戦死させてしまっている。
下手したら、目の前で。
武闘派貴族としては天晴れと称えるしかないが……親としての本音はどうだったんだろう。
そして、嫡男の死を無駄にしないためにも、バラクーダ伯爵家を一層繁栄させないといけない。
背負ったものは、成り上がり子爵の俺なんぞとは比べものにもならんだろう。
「っあ~……やはり、背負うものがある男の拳は、効きますなぁ!」
だから俺は、言葉にしてそれを認め、そうすることでプレッシャーを跳ね返した。
確かに効いている。だが、それだけだ。俺を仕留めるには、足りない。
「はっ、まだ減らず口が叩けるか!」
伯爵が言い返してくるも、僅かに、気勢が削がれていた。
背負っていることを言葉で明確にしたことで、意識しちまったんだろうか。
バラクーダ伯爵程の人であっても、こんだけ背負っちまったら重すぎるのかも知れん。
もっとも、悪いがそれを俺が肩代わりしてやることは出来ないんだが。
「叩けるのは、口だけじゃないんですよねぇ!」
俺の拳がクリーンヒットすれば、伯爵の身体が僅かにぐらついた。
子爵としての俺が背負ってるものは、伯爵の背負ってるものとは比べものにならない。
だが、俺個人となれば話は別だ。
ちらり、と横目でニアを見る。
心配はしている。けれど、それ以上に俺を信じている目でこちらを見ている。
俺が負けたら、彼女と別れる羽目になるかも知れない。
そんなのは、御免蒙る!
伯爵の拳が俺の顔面に突き刺さったと同時に、俺の拳が伯爵のみぞおちを抉った。
カウンター、なんて綺麗なもんじゃない。ただの、相打ちだ。
だが、僅かにだが俺が押し勝っている。
会うことは出来ないと思っていた。
既に儚くなっているものと思っていた。
そんな彼女と、この王都で、偶然に出会った。巡り会えた。
こんな偶然を、奇跡のような巡り合わせを、逃してなるものか。
だってなぁ。何もかも諦めてたような彼女が、笑ったんだぞ。
もっと笑わせたいじゃないか。
もっともっと幸せになって欲しいじゃないか。
出来ることなら、俺の手で。
こんな、人を殴るだとかばっかり得意な手ではあるけれど。
ぎゅっと固めた拳が、伯爵の拳よりも先にヒット。
相打ち狙いのタイミングだったんだが……少しばかり俺の拳が速くなっていたらしい。
「どうやら、そろそろ、決着のようですなぁ!」
「なんの、まだまだぁ!!」
伯爵が、意地と誇りと、飲み込んだ感情を込めて振るう拳。
速いし、痛いし、重い。
だが、もう俺は押し負けなかった。
ニアを、幸せにしたい。幸せになって欲しい。
伯爵家の婿なら、俺の代わりはいるだろ?
だが、ニアを一番幸せに出来るのは俺だ。俺しかいない。
俺が、そう決めた。
出来れば、ニアにもそう思って欲しい。
だから、こんなことで何時までも揉めてるわけにはいかないんだ!
渾身の力と想いを込めて振るった拳が、伯爵の顎先を捉えて。
「ぬ、お、おぉ……」
漏れる呻き声。
そして、伯爵は意識を飛ばしたらしく……崩れるように膝を衝き、そして、地面に両手両足を広げた格好で転がったのだった。




