一つの決着、もう一つの戦い
実のところを言えば、この展開自体はニア、つまりソニア王女が想定していた内の一つではあった。
短期間で集めた情報でしかないが、バラクーダ伯爵令嬢であるエミリア嬢は、かなりプライドが高い人物であるらしい。
そして、俺がニアを選んだ理由の一つが、新しく領主となる俺を知識面で支えられる人物であるということだと掴んでもいるようだと。
であれば、知識勝負で一発逆転を狙ってくる可能性もあった。
そして、実際そうだった。
ただ。
「ならば、イーディス街道沿いの陶器御三家と呼ばれる家はいずこですか!」
「それはカラポート家と……」
まて、なんでそんなローカルなことまで知ってんだ。とか言いたくなるくらいに白熱した、俺も即答出来ないような知識勝負になるとは想定外だった。
そして何より、そんな勝負に平気な顔で対応出来ているニアも予想外だったし、ついていっているエミリア嬢も予想外だった。
つまりこの二人は、子爵家の夫人なんかに収まる器じゃない。
にも関わらず、二人とも真剣に、全力で勝負を繰り広げていた。
最早それは、俺との婚姻だとかそんなものを超越した次元だったのではないかと思う。
実際、そうだったのだろう。
時間にして30分だろうか、1時間だろうか。
男連中に口を挟む隙を与えず繰り広げられた舌戦というかクイズ合戦は、終幕を迎えた。
「……なるほど、流石マクガイン卿が見込んだお方。ニア・ファルハール様、素晴らしい知識教養でございました……」
「ありがとうございます。しかし、バラクーダ様も、と言わせていただきます」
そんな言葉を交わした後、エミリア嬢が右手を差し出し、ニアがそれを握り返す。
つまり、握手。
勝負は決着し、二人の間に遺恨はない、という証。
それからおもむろに、エミリア嬢が左手でニアの右手首を掴み、それを高々と掲げ上げた。
「お見事でございました。わたくしの知識が負けた、とまでは申しませんが……マクガイン卿にふさわしいのはあなただと認めざるを得ません。
あるいはこれが、巡り合わせというものでしょうか……」
「バラクーダ様……ありがとう、ございます……」
つまり、エミリア嬢はニアを勝者と認め、その手を高く掲げたわけだ。
激しい知識バトルの結果、どうやら二人の間には友情と言って良いものが生まれたらしい。男連中は蚊帳の外だが。
「ま、まてエミリア、お前が負けを認めるというのか……?」
その光景を見ていたバラクーダ伯爵が、信じられないものを見たかのような顔で言う。
実際、多分エミリア嬢の性格からして、素直に負けを認めるような性格じゃなかったんだろうな。
しかし、ニアの前には負けを認めざるを得なかった。流石ニア。
いや、そうでなく。いや、そうなんだが問題はそこでなく。
「エミリア嬢、巡り合わせ、とは一体?」
彼女が素直に負けを認める性格ではないらしいのは、こうして直接会っただけでわかった。
しかし、その彼女が素直に負けを認めた。しかし知識量的に言えばそこまで明確に負けていたわけでもなかった。
ニアが押し気味ではあったけれども。
となると、その決め手が気になったのだが。
「それはもちろん、ファルハール様がストンゲイズ地方を始めとする、先日までシルヴァリオ王国支配下にあった地域の情報にお詳しかったからです。
そんな方とこんなタイミングでご婚約なさるとは、と」
「なるほど。……なるほど?」
明確に答えてくれたエミリア嬢に対して、俺が返したのは歯切れの悪い言葉。
何でそれが決め手になったんだ? と思ったのだが、すぐにそれが決め手になる理由に思い当たった。
ただ、まだ憶測でしかないんだが。
「……あの、もしやマクガイン子爵様は、まだお聞きになっておられませんでしたか……?」
俺の様子から察したのか、珍しくエミリア嬢がおずおずと聞いてくる。
隣で溜息を吐いてるバラクーダ伯爵を見るに、どうやらエミリア嬢の口が滑ってしまったらしい。あるいは読み違え、か。
それに対して俺は、苦笑で返すしかない。
「ええ、私が賜る領地に関しては、まだ何も」
「そ、そうだったのですか!? てっきり、もう内々に打診があっているものかと……」
「先日の会議でも、マクガイン卿にストンゲイズ地方などを任せる方向で八割方決まりになっていましたからなぁ、てっきりアルフォンス殿下から話があったのかと思っていましたが」
驚くエミリア嬢の言葉に、バラクーダ伯爵が補足を入れる。
残念ながらないんだよなぁ、これが。あの殿下のことだから、何か考えがあってのことなんだろうけど。
……単に俺を驚かせたいっての含めて。
「いえ全く。なるほど、閣下は論功行賞の会議に参加しておられたから、ご存じだったのですね」
質問というより確認の口調で問えば、バラクーダ伯爵がばつの悪そうな顔で頷く。
なるほどな、だから若干強引に婚姻を結ぼうとしてきたのか。
会議の通りに土地が与えられたとして、その後俺を婿に取れば、吸収合併することで国内貴族の領地に影響を与えることなく、そして刺激を最小に抑えながら伯爵領を広げることが出来る。
飛び地にはなるが、むしろだからこそ、ブリガンディアに編入されたばかりで不安定なストンゲイズ地方は俺に任せ、伯爵自身は代替わりしたとしても代官的に伯爵領で変わらず権勢を振るうなんてことも可能。
強引に話を進めようとしたのも、俺が王都にいる間に話を付けて、何なら赴任前に子種を授かって跡取りを伯爵領で育てようってとこまで考えていたのかも知れない。
つくづく計算高いっつーか、食えないっつーか。
俺個人としては、こういう立ち回りが出来る人は、どちらかと言えば好きだ。
ただし、俺に絡んでこないのであれば。
悪いが、エミリア嬢との婚姻が前提である以上、俺が飲むことは出来ないし。
あれ? しかしそうなると?
「ニア、あなたは当然知らないはずだが……何でまた、ストンゲイズ地方に関する問題を?」
確か、ストンゲイズ地方に関する問題を最初に出したのはニアだったはず。
結果としてそれが決め手となったわけだが、ニアが何も考えずに出したわけがない。
俺の質問に、ニアははにかむ様な微笑みを返してきた。可愛い。
「その、アーク様のお話から伺えるアルフォンス殿下の性格であれば、恐らくアーク様をストンゲイズ地方に配置するだろうなと予想していましたもので。
バラクーダ様がご存じかは半々くらいに考えておりましたが……」
返ってきた答えは可愛さからほど遠いものだったが。どっちかって言えばかっこいい?
何なのその神としか言えない読み。
いやでも確かにそうだわ、あの殿下なら俺を一番面倒なとこに送り込むわ。
おまけに、ニアっていうこれ以上ない参謀もいるわけだし。
「後は、ストンゲイズ地方でしたら、実際にフィールドワークで行ったこともございましたから。
バラクーダ様の知識が素晴らしかったので、勝つには実体験で得た知識経験を駆使するしかないかな、と」
なるほど、とエミリア嬢もバラクーダ伯爵も、そして俺も納得するしかない。
そんな可愛く微笑みながら言う内容かと思わなくもないが。
ある程度彼女の生い立ちも聞いているんだが、ニアの言うフィールドワークってのは、地方巡視のことなんだろう。
それで色々ストンゲイズ地方の話を聞いてたわけだから、そりゃ知識の質も量も違うわけだ。
「確かにあの問題は、現地を知っている方のものでした。
やはり私は、負けるべくして負けたのですね……お二人の出会いは、それこそ運命だったのかも知れません」
エミリア嬢が、清々しい顔で言う。
知っているだけでなく実際に行ったことがあるとまで言われれば、彼女の言っていた『知識で俺を支える』という面においてニアが圧倒的に優っていることになるわけだしな。
それからエミリア嬢はニアへともう一度右手を差し出した。
「改めて、あなたの勝利を認め、称えます。
そしてもし良ければ……敬意と親しみを込めてニア様と呼ばせていただいてもいいでしょうか。
私のことも、どうかエミリアと」
まさかの申し出に、バラクーダ伯爵も親父も驚いた顔になっている。多分、俺もだ。
この辺りの貴族社会では、基本的に家の名前で呼び合う。
ファーストネームで呼び合うのは、友人付き合いをするくらい親しくなってから。
王族だとかは例外だけど。
で、その親しい関係の呼び方を、伯爵令嬢でプライドの高いエミリア嬢が、準男爵、割と平民に近い立場のニアに許したわけだ。
バラクーダ伯爵の驚きようを見るに、これはかなり珍しいことなんだろう。
もちろんそんなことも頭に入っているニアは、それはもう嬉しそうに微笑みながら、エミリア嬢の手を握り返した。
「はい、もちろんです。光栄です、エミリア様」
「ふふ、ありがとう、ニア様」
しっかりと握手を交わし、微笑み合う二人。
ここに、身分を超えた友情が生まれたのだ。
表向きの身分差と実際の身分差は大きく違うが、それは知らなくてもいいことだろう。
「ぐぬぬ……まさかエミリアが……」
何とも複雑そうな顔のバラクーダ伯爵。
まさか負けるとは思っていなかっただろうし、更には知識バトルを通じて友情が生まれるとは思いもしなかっただろう。
俺もだが。
ともあれ、これでもうエミリア嬢は、俺のことは諦めたはず。
おまけにエミリア嬢とニアの間には友情が結ばれたのだ、ニアにダイレクトアタックなんてもう出来ない。
後は、負けを理解はしつつも認め切れないバラクーダ伯爵をどうにかすればいい。
そして、多分ここは、俺の出番なんだろう。
「閣下、ご息女とニアの間では、話がついたようです」
「うむむ……そのようですな……」
頷きはするものの、歯切れは悪い。
つまり、心はまだ、納得していない。
「理屈の上では決着しました。後は、閣下のお心、感情にご納得いただかねばなりません。
ということでここは一つ、男同士ならではの言葉で語り合いませんか?」
そう言いながら俺がぱしんと右の拳を左の手の平に打ち合わせれば、バラクーダ伯爵は驚いた顔になって。
すぐに、理解したのかニヤリとした笑みを浮かべた。
こんな時の、男同士ならではの言葉。
つまり、肉体言語である。
普通の貴族なら恐らく乗ってはこないだろうが、相手は武闘派のバラクーダ伯爵だ、乗ってくると思った。
そして、恐らく彼の感情を納得させるのに、これ以上の方法はない。
「流石はマクガイン卿、粋なことを考えなさる。
ならば存分に語り合い、考えを改めていただこう!」
うわ~、いい顔するな~。背筋がゾクゾクして、思わず俺まで笑顔になっちまうじゃないか。
「ええ、存分に。ただ……」
そこで言葉を句切って、溜めを作って。
「閣下には出来ないかも知れません」
そう言い放った俺は、唇の端を挙げて犬歯を剥き出しにしながら笑って見せた。




