武家の事情、貴族の世情
バラクーダ伯爵家は先の戦争で嫡男を亡くしてしまった家だが、それもある意味仕方のないところで……獅子は子を千尋の谷に落とす、なんて言うが、あそこはそれに近いことをマジでやる。
今回は当主嫡男共々激戦区に参陣してた結果だってんだから、自業自得っちゃそうなんだが、全体として見ればおかげで助かったって面もあるんで、どうにも評価に困る。
そんなやり方をしてるもんだから、傑物と言って良い当主に恵まれることも多い代わりに、こうして不意に嫡男だとか有望な跡継ぎを失ったりしてきたらしい。
で、結果として段々家が傾いてきているようなんだが……。
「あれか、自分で言うのも何だが、突出した個人武勇を発揮させた俺を取り込もうってことか。
子爵で、まだ領地を賜ってない内であれば、婿に入れることも出来なくはないだろうと踏んで」
いや、何なら俺が子爵領としてもらう筈だった領地をもバラクーダ伯爵領に取り込もうとまで考えてるかも知れん。
ガチの上位貴族は、武闘派であっても、いや、武闘派だからこそ抜け目ない家が少なくないからなぁ……。
「……大体まあ、そんな感じだ。嫡男を失う程の勇戦を見せたとあって、あちらも領地を加増されそうだから、それも加わったらお前が手にする領地は子爵として手に入れるものよりかなり広大になるはずだぞ」
「ただしそれは、バラクーダ伯爵家のものとして、だろ? 俺を一時凌ぎの婿養子として血を繋げさせれば、次代でまた戻ってくるからあちらの家にとっては痛くもない、ってか」
家を一種の生命体のごとく扱うようなこの辺りの感覚は、伯爵家だとか上位貴族特有の感覚なのかも知れん。
同じ貴族なのに、俺にはイマイチ共感出来ない考え方だからなぁ。
「……ああ、そうか。成り上がりの俺が子爵領を賜るってだけでも統治が大変なのに、伯爵領なんて手に余るなんてもんじゃない。
となりゃ、俺が婿に入っても代官として今の伯爵がそのまま代理統治、なんてこともありえそうだな」
「……代官が置かれるのは間違いないだろうな、少なくともお前が軍の一線から退くまでは」
「後二十年は現役のつもりなんだがねぇ。生きてりゃだが。
いかんな、これで跡取りが出来た後に俺が死んだら伯爵家が丸儲けだとか、酷い考えまで浮かんじまった」
「さ、流石にそこまで外道じゃないと思うぞ!? ……多分」
親父の語調が尻すぼみになったのは仕方ないところだろう。
なんせ一介の男爵である親父だ、社交の場でバラクーダ伯爵と会話をしたことなんてほとんどないはず。俺は言うまでもなく。
となると、その人となりなんてわかるわけもなく、違うかどうかなんてわかりゃしない。
「ま、どの道断るつもりなんだから、どうでも良い話ではあるんだが。
あるんだが、あんま無下にも出来ないのがなぁ……」
正直なところ、そういう伯爵家のお家事情なんてどうでもいい、と言いたいところなんだが。
面倒なことに、そうもいかないんだな、これが。
「バラクーダ伯爵は『騎士は相身互い』と言うではないかとおっしゃってるしなぁ」
「やっぱそうくるよな。こっちとしても否定は出来んし」
完全に板挟みになってしまった親父が困ったような顔で言うし、実際困ってるんだろう。
そして、俺もその言葉を否定することは出来ないでいる。
この辺りの国々において、武人の間には『騎士は相身互い』という思想というか文化がある。
平たく言えば、『お前が死んだら何とかするから、俺が死んでも何とかしてくれ』ということだ。
言うまでもなく騎士や兵士は戦場に身を置く、明日も知れない立場の人間。
死んだ仲間を葬った経験のない兵士はほとんどいないし、明日には自分がそうなるかも知れない。
そこでもし、死んだ仲間や敵を粗雑に扱っていた人間に万が一のことがあったら、その後どんな扱いを受けるか、想像してみて欲しい。
身ぐるみ剥がされてその場に捨て置かれるだけならまだまし、ここぞとばかりに溜まった鬱憤の捌け口として死体に鞭討つようなことだって起こりかねない。
これは上官連中なんて更に切実で、死んだ部下を粗末に扱った結果、その夜謎の病死をした騎士や貴族は枚挙に暇が無いし、後頭部に矢が刺さった貴族の遺体だって何度か拝んでいる。
そうでなくても、そんな上官の下で命は張れないってんで士気は下がり、ちょっとの交戦であっさり崩壊、逃げ出したりなんてのもよくあることだ。
これは、敵国相手にも適用される。むしろ敵国だから、だろうか。
何しろ、やったことはやり返されても文句が言えないのが戦場の不文律、敵国の兵士相手に非道なことをすれば、いずれ自分に返ってくるかも知れない。
だから倒した相手の遺体を出来る限りは丁重に扱うし、捕虜の扱いだって意外と紳士的だ。
まあ、ちゃんと扱っておけば、捕虜返還の際に身代金交渉を有利に運べるってのもあるんだが。
こないだシルヴァリオ王国での調査でも騎士連中が理性的で紳士的だったのは、この辺りの文化も影響していると思う。
で、そんな文化があるわけだから、戦死者の遺族に対してもあまり冷たくは当たれないってのがあるわけだ。
次は我が身、自分が死んだ後に遺族が悲惨な目に遭う、何てことは避けたいものだからな。
逆に、死んだ後も家族の面倒を見てもらえるとなれば、勇敢に戦う人間も増えるだろう。
南の方の『戦闘民族』とすら呼ばれる国では、戦死者遺族の保護を手厚くしているから後顧の憂いが無い命知らずの恐ろしい戦士ばかりだ、なんて話を聞いたこともあるが、あながち冗談でもないのかも知れん。
話が逸れたが、そういうわけで、伯爵家の申し出をあまり冷たくあしらうわけにもいかんわけだ。
「まず一回はバラクーダ伯爵に会って直接断りを入れて……どこまで説明していいか殿下に確認しといた方がいいな、こりゃ」
「……おい、ところで儂は、どこまで聞いていいもんなんだ?」
「あ~……今聞かせてるとこは大丈夫だと思うが。親父なら口は固いし」
「そりゃ黙っとるわい、うっかりしゃべりでもしたら首が飛ぶ、どころかいつの間にか失踪させられるわ」
仮定の話だというのに、それでも首筋が寒くなるのか、親父はしきりに首をさする。
まあ、うん。アルフォンス殿下の策略の邪魔をすると、それくらいのことは起こりかねないからな。程度にもよるが。
「後は……ニア、にも言っておかないとなぁ」
まだ慣れないから、ちょっとどもりかける。ついでに、にやけそうになるのを我慢する。
彼女がソニア王女であることは最重要機密なのだから、当然親父の前だろうと彼女のことは偽名であるニアと呼ばなければいけない。
そう、これは義務なのだ。だから仕方ないのだ、うん。
「ニア、というのがお前が婚約した娘さんか」
「ああ、そういや名前も教えてなかったな。ニアは賢くて美しい、素晴らしい女性だよ。今度会わせるから時間作ってくれよ」
事があまりの急展開だったせいで会わせる暇もなかったが、俺だって会わせたくないわけじゃないんだよ。
ソニア王女だって気にしてたくらいだしな。
この申し出に、しかし親父は若干躊躇っている。
「勿論喜んで、と言いたいところだが、流石にこの件が片付かんことにはなぁ。伯爵の心証もよくないだろうし」
「そりゃそうか」
縁談を進めようとしていたところ、息子は既に婚約してましたってだけでもよろしくないところに、伯爵との話が終わる前に伯爵令嬢そっちのけで婚約者と会ってました、なんて知られたら、伯爵の顔に泥塗るようなもんだしな。
もちろん第三王子であるアルフォンス殿下が仲裁に入れば伯爵とて折れるだろうが、それはそれで向こうとしても踏んだり蹴ったり。
『相身互い』の精神からしたら、こちらにも落ち度があると見られかねないのが面倒なところ。
古風な家からは最悪こちらが悪いと見られる可能性すらあるからなぁ。
「まずはとにかくちゃんと話をつけないと、だな」
そう結論づけた俺は、大きくため息を吐いた。
ということで、まずはアルフォンス殿下に報告。
さくっと何とかしてくれるかも、という淡い期待をしていたんだが。
「バラクーダ伯爵か……彼であれば、出来るだけ裏を教えないで終わらせたいところだが」
と、珍しくスッパリ解決とはいかないようだった。
何でも、バラクーダ家自体は脳筋な伝統を持っているが、頭が使える脳筋らしい。
国家転覆を狙うだとかの野心はないが、伯爵の領分を越えない範囲においては貪欲で抜け目なく狙ってくるタイプなのだとか。
「またねぇ、当主も嫡男も激戦区に躊躇わず馳せ参じるもんだから、他家も多少の融通は利かせてやろうって空気になりがちなんだよ。特に武家は。
おまけに今回は、まさに嫡男が戦死したわけだろ? 同情的な家が多いと思うんだよね」
「は~……命を張っているから家に利益がもたらされる。まさかあの時代錯誤な教育方針が、そんな意味を持つとは」
そう考えると、ある意味あの『戦闘民族』の亜種にすら思えてくるな、この方針。
家の為、全体のためにそこまで身体を張れるってのは、武人としては尊敬しちまうが。
だが今回の件は俺も譲るわけにはいかんしな。
「なら、出来る限り裏の事情は話さずに説得を試みます。万が一の時はすみません」
「バラクーダ伯爵も馬鹿じゃないからね、裏の事情を話しても理解はするだろうし黙ってるとは思うよ。
ただ、口止め料を要求するだろうってだけで」
苦笑しながら殿下が言えば、俺も苦笑をせざるを得ない。
ここまでの話から、多分バラクーダ伯爵はソニア王女の話がばれた時の影響を理解するに違いないだろう。
そして、バレた時の国が蒙る損害も。そうなると、だ。
「伯爵家への口止め料なんて、一体いくらするんだか……考えたくもないんですが」
「だから出来るだけ話さないように、ね。お前なら出来る、きっと。多分」
「もうちょい自信ありげに言って欲しいんですがね!」
思わず食ってかかるが、段々大事になってきてるんだからこれくらいは許して欲しい。
いや、今回ばかりはアルフォンス殿下のせいじゃないが。いやちょっとはあるか。
「ま、説明についてはニア嬢とも相談しなよ」
「ええ、もちろんそのつもりです。こんなことを内緒で進めても、いいことなんてないでしょうからね」
先輩方の話を聞くに、一人で抱え込みすぎたり勝手に決めたりってのが夫婦喧嘩の原因に多いようだ。
であれば、俺はちゃんと相談して夫婦円満な家庭を築くんだ! と心に決めている。
だから、殿下の執務室を辞去した後、早めに仕事を切り上げて引っ越し準備中のソニア王女達の家に行ったのだが。
「あら、でしたら、私もバラクーダ伯爵様に説明する場に同席させてください」
まさか、そんな大胆なことをあんな良い笑顔で言われるとは思わなかった。




