王女の現状とこれから
「……内密の話が出来そうな場所といえば、ここしかないのですが……」
そう言いながら彼女が案内してくれたのは、平民の住居として一般的な二階建ての家だった。
こんな生活拠点があるのなら、計画自体は随分しっかり立てられてたんだな。
……いやまて? 婚姻の話が出てから二ヶ月程度しか経っていないのに、何でこんな物件に住めてるんだ?
ってことは、かなり前から計画はあった……?
いや、それもそうか、あの環境じゃなぁ……しかしそうなると、国外の物件を押さえられるツテがあるってことか。
俺が色々と考えている間に、彼女がドアノブに手を掛けて半分ほど回したところでコンコン、コンとノック。
ほうほう。
「さあ、どうぞお入りになってください」
「ありがとうございます、では遠慮なく」
先程と同じ、本当に寸分違わぬ程同じ微笑みを見せる彼女に促されるまま、素知らぬ顔で俺は中に入った。
そして……室内に向けて思いっきり殺気を迸らせる。
「んぐっ!?」
「こ、こいつっ!?」
中には、俺に向かって飛びかかろうとして、強烈な気当たりで出鼻を挫かれた二人の男女。
そういえば御者と侍女が一緒だったはずだが、それがこの二人なのだろう。
俺の殺気を受けても一瞬足が止まっただけで油断なく構えていられるんだから、中々の手練れだし場慣れもしてるな。
なるほど、この二人に守られてたのなら、ソニア王女殿下が無事なのも納得だ。
「ローラ!? トム!?」
「あ~……すんません、危害は加えませんが、自衛だけは許してもらえませんか。
この二人に同時に来られたら、流石に俺も本気でお相手しないといけなくなりますんで」
いきなり動きが止まった二人に驚いたらしい彼女へと、頭を掻きながら言い訳がましく言う。
いや、まじでこの二人相手に不意打ち食らったら、かなりやばいぞ、多分。
だから全力で殺気を放って動きを押しとどめたわけだが……このままだと俺を警戒したまんまだろうし、色々説明せねば。
「多分、さっきの妙な手順のノックが合図だったんでしょう? 『要注意人物、捕らえろ』みたいな意味の」
「……その通りです。あなたは、一体……」
俺が種明かしをすれば、信じられないものを見るような目でこちらを見る彼女。
いや、化け物じゃないよー、怖くないよー、とか内心で自己弁護してたんだが。
「あんた、まさか、『黒狼』か」
「げ、まじかよ」
と、侍女らしき女が言えば御者であろう男が苦虫を噛みつぶしたような顔になる。
流石俺、悪い方向に有名人。思わずぼりぼりと頭を掻いてしまったのも仕方ないところだろう。
だがまあ、その悪名も使い方次第、と思いたい。
「確かにそう言われることもあるな。で、その悪名高き『黒狼』がこうして大人しくしてるんだ、危害を加える気がないってのは信じてくれないか?」
そう言いながら、俺は軽く両手を挙げて見せる。
このローラとトムと呼ばれた二人は、どちらかと言えば真っ当な戦闘よりも不意打ちだとかの方が得意なタイプと見た。
そして俺は言うまでもなく正面切っての殴り合いが得意で、こうして相対した状態になってしまえばこの二人であっても問題なく制圧することが出来る。
それはこの二人もよくわかっているらしく、俺にやりあう気がないのなら、と彼らは視線を交わし、小さく頷き合った。
「わかった、あんたの言うことを信じよう。姫様、それでよろしゅうございますか?」
「……ええ、ローラがそう言うのなら、仕方ありません」
ローラと呼ばれた侍女の問いかけに、ソニア王女も頷いて返す。
なるほど、このご一行だと最終決定はソニア王女だが、リーダー的ポジションになるのがこのローラのようだ。
確かにかなり場数を踏んでそうだもんなぁ。なんで王女殿下の侍女なんぞやってるのやら……いや、むしろ、だからか。
「ありがとう、助かるよ。こっちとしてはあくまでも平穏にお話をしたいところだからな」
ひらりと手を振って、俺は礼を言う。
こうして、いきなり手厚い歓迎を受けた俺は、やっと本題に入ることが出来たのだった。
「まず、現在ソニア王女殿下は死亡したものとして扱われおります。
ですから、追っ手の類いはどちらの国からも出されていません」
テーブルについた俺がそう言えば、向かいに座った彼女……ソニア王女が少しばかり複雑な微笑みを見せる。
彼女の隣に立っている侍女、ローラも気遣わしげにソニア王女へと視線を向けた。
ちなみにもう一人、トムは俺の左後ろに立っている。俺が妙な素振りをしたらすぐに突き飛ばすなり出来る位置取りだ。
いやだからほんとに何もしないってば。ってのをここでわかってもらわんとなぁ……。
「俺がソニア王女殿下に気がついたのは、殿下をお迎えに上がった任務の延長でお探ししていたからです」
「それは……私の勝手で、ご迷惑をおかけしまして……」
「いや、それは気にしないでください、お気持ちはわかりますので」
流石に微笑みを消して沈鬱な表情で頭を下げる彼女へと、俺は首を振りながら答える。
……なるほど、俺みたいな子爵風情にも頭を下げてくれるんだなぁ……流石だ。
と感心していたところで、ソニア王女が何かに気付いた顔になった。
「……あの。そういえば、私の絵姿などはなかったはずですし、こうして姿を変えてもおりますのに、どうして私だとおわかりに……?」
……話に聞いてた通り、かなり頭の回転が速いな、この人。
さて何て説明したものか……。
「え。ああいや、なんでしょう、直感としか言いようがないのですが……何故か、あなたを見た瞬間に、わかってしまいました」
まさか香水の香りに今まで蓄積してきたイメージが一気に噴き上がりました、だなんて妄執じみて変態的なことは言えないので、俺はキリッとした顔でソニア王女を見つめる。
こう、目力で強引に押し通そうとしたんだが……ふいっと目を逸らされてしまった。
また胸を押さえるように手を当ててるし、ちょっと耳が赤いし……いかん、見つめすぎて気持ち悪がられたか?
話題を変えて誤魔化すか……。
「そうそう、そういえば、停戦条約が結び直されまして……こう言っては何ですが、王女殿下の母国は今大変な状況なので、更なる捜索などとても出来ない状態ですよ」
俺の振った話題は気になったか、また視線が戻って来た。よかったよかった。
彼女の残していた資料……と呼ぶには断片的だったあれこれから、彼女は母国……というか家族であるはずの王家に仕返しをしたかったんじゃないかと思ったんだよな。
ということでアルフォンス殿下がシルヴァリオ王家に対して課した制裁を説明したんだが……中々に驚いてもらった。
それだけじゃなく、今回の失態は情報管理の不備やら様々な制度の不備が原因だってんで、内政干渉レベルで口を出して行政改革をうち主導で実施中。あちらの国王としては屈辱以外の何ものでもないだろう。
……ついでに、あっちの行政機構をこっちに都合良く作り替えたり情報がこっちに筒抜けになるようにしてたりするんだが、それを気付かれないようにこっそりやってるうちの王子様の恐ろしいことよ。
『今度何かあったら、戦争にすらならず無血開城させられるくらいにまでやらないとね』と爽やかな笑顔で言っていたのが昨日のことのように思い出せる。
「ああ、後は追加でいくつかの山の支配権をいただきまして」
「……え? お待ちください、その山は……一体どこからその情報を……」
「おや、ソニア様もご存じでしたか、流石です」
驚くソニア王女を見て、俺は思わず感心する。
今挙げた山は、今は何もないただの山なんだが……うちの第三王子アルフォンス殿下曰く、銀やら金やらの鉱脈が埋まってる可能性が高いらしい。
向こうはそのことに気付いておらず、開発もしてないしあっさりと手放しもしたのだが……ソニア王女だけは気付いていたわけか。
それだけ聡い彼女は、俺が説明しなかったことにまで気付いたらしく、質問、というより確認口調で聞いてきた。
「もしかして……あそこの街道の関税を設定する権利を要求したりしていませんか?」
「え、確かに、その通りですが」
「ということは……あちらを押さえて……あらあら、これは、本当に血を流さずに国を取るおつもりみたいですね、アルフォンス殿下は」
きっとめまぐるしく頭の中で様々なシミュレーションをしたのだろうソニア王女の目には、いつの間にやら力強い光が宿っている。
……こういう表情も素敵だな……って、いかんいかん。そうじゃない、そうじゃない。
とか俺が煩悩に飲まれそうになっている間に、ソニア王女の思考は一つの結論を出していたらしい。
「あの、マクガイン卿。アルフォンス殿下は、シルヴァリオ王国攻略のための相談役などご入り用ではありませんか?」
「なんですと?」
「ちょっ、姫様!?」
まさかの発言に、俺は思わず聞き返し、ローラは悲鳴のような声を上げる。
その相談役が誰のことを指すのかなんてわからない奴は、この場にいない。
「私が足を運べたところと、それ以外は書類上のものとなりますが、殿下が必要となさりそうな現地のデータが頭に入っておりますし、それを踏まえたご提案も出来るかと思います。
また、少ないですがコネクションもないわけではございませんし、社交界の人間関係もこちらのローラを通じて色々と知っております。
それなりにお買い得なのではないかと自負いたしますが……」
「そ、それは……確かに、そうなのですが。よろしいのですか? っと聞くまでもないですよね」
ソニア王女の目を見ればわかる。愚問だと。
彼女は制裁が与えられるようにとあれこれ仕込みをしていったのだ、シルヴァリオ王家に対して今更ためらいもないだろう。
それどころか、トドメを刺すつもりだとしても不思議じゃない。それくらいの扱いはされていた。
ならば、俺が止める理由もない。
ない、のだが。
「問題は、ソニア様の身分というか身元をどうするか、ですね……。
今のソニア様は扱いとしては平民となりますから、流石に殿下に直接会える職務に就いていただくのが難しく」
なんせ第三王子殿下だ、貴族だって近づける人間は厳選されている。
俺は戦功で爵位を賜った成り上がりの子爵でしかないが、学友だったからってんで特例的に許可されてるようなもんだし。
どこかの貴族の養子にしてもらって……というのも、彼女の出自と経歴を考えれば難しい。
露見すればまた面倒なことになるのは間違いないし。
さてどうしたもんか、と考え込む俺に、ソニア様が笑いかけてきた。
「それでしたら、その……こういう手があるのですが……いかがでしょう」
はにかむように。
あの、仮面を被るかのごとく浮かべている諦めからの微笑みとは全然違う、彼女の感情を感じられる笑みで。
「はい、それでいきましょう」
それに撃ち抜かれた俺は、ノータイムで返事をしていた。




