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九月四日 伽耶と讓治、奴を見る

 不意に、扉をノックする音がした。

 伽耶は、手入れしていた拳銃を隠した。同時に、譲治が声をかける。


「ほいほーい、何の用ですにゃ?」


「さっきも言ったけど、夕飯は七時だよ。それを過ぎたら食べられないからね。あとさ、夜はあんまり騒がしくしないでね」


 無愛想かつ投げやりな中年男の声が、扉越しに聞こえてきた。今は午後三時である。つまり、夕食の時間まで四時間あるということか。

それにしても、ぶっきらぼうでサービス精神の欠片も感じられない声だ。


「わかりました。わざわざすみません」


 伽耶が答えると、扉の向こうからドタドタと音がした。返事をすることもなく、階段を降りていったらしい。気遣いというものを、欠片ほども感じさせない態度である。伽耶は、思わず苦笑した。


 伽耶と譲治は今、民宿の一室にいる。先ほど、宿泊の手続きをしたばかりだ。一泊二食付きで四千円台と格安の料金に引かれたのだが、今の対応では、その値段でも高い気がする。

 この民宿は、あと一年もすれば潰れるであろう。客を客とも思わぬ傍若無人な態度は、今の御時世では致命的だ。SNSで、あっという間に広まってしまう。


「ねえねえ、やっぱり明日になって宿を出る時にさ、夕べはよくお楽しみでしたねえ……とか、言われちゃったりすんのかにゃ」


 顔をしかめている伽耶とは対照的に、譲治の方は楽しそうだ。従業員の失礼な態度など、気にも留めていないらしい。

本当にお気楽な奴……そんなことを思いつつ、伽耶は作業を再開する。隠し持っていた拳銃のマガジンやトリガーをチェックし、両手で狙いを定めてみる。最後に安全装置をかけ、カバンの中に入れておいた。

 伽耶は十八歳だが、拳銃の使い方や手入れの仕方などを知っている。人に向け撃ったこともある。人の命を奪ったこともある。殺さなければ、こっちが殺される……そんな状況だった。

 拳銃をしまい、次にスマホのチェックをしようとした時だった。突然、奇妙な違和感を覚えた。何かがおかしい。


 何がおかしい?


 伽耶は周囲を見回した。特に変わった点はない。部屋はお世辞にも素敵とは言えないし、つけっぱなしのテレビでは昼のワイドショーが放送していた。

 部屋におかしな点はない。彼女は思わず首を捻る。確かに拭いされない違和感があるのだが、その原因が何なのかわからない。


 ちょっと待ってよ──


 再度、テレビに視線を移す。ワイドショーやニュース番組が放送されていた。芸能人のゴシップのような、つまらない話題を延々と垂れ流している。

 しかし……昨日、伽耶と譲治が見たはずの死体については一切ふれられていない。


「ねえ、昨日のアレってどうなったのかな?」


 思わず、譲治に尋ねていた。すると、彼は首を傾げる。


「へっ? 昨日のアレって?」


「あの死体だよ。あんなのが転がってて、誰も気付かないはずないじゃん」


 そう、仮にも三人の男が変死体となっていたのだ。そんな事件が、全く報道されていない。あの事件は、どうなったのだろうか。

 次の瞬間、伽耶はスマホを操作していた。「白土市 殺人事件」で検索してみる。だが、それらしい事件は見当たらない。

 次に「白土市 三人 変死体」で検索してみた。だが、これまたヒットしない。


「これ、どういうこと?」


 伽耶は、スマホの画面を見つつ呟いた。すると、譲治が声をかける。


「どしたん?」


 とぼけた声だ。伽耶の方は、張り詰めた表情で言葉を返す。


「今ネット見てみたけど、昨日の事件はどこも報道してないんだよ。どうなってんのかな」


「まだ見つかってないだけちゃうのん。もしかしたらさ、一昨日の犬さんが食っちまったのかもしんないのにゃ」


「えっ、犬?」


 一瞬、何のことを言っているのかわからなかった。

 だが、すぐに思い出す。そういえば一昨日、野犬らしき生物を見かけたのだ。痩せてはいたが大きめの体だった。

 野犬もしくは野生の肉食動物が、死体を食べてしまった……ありえない話ではない。


「ああ、あの犬ね。あいつ、人間の死体を食べるのかな?」


 何気なく聞いてみると、讓治の口からとぼけたセリフが飛び出す。


「どうだろうね。まあ、腹減りゃ食べるでしょう。そんな奴には見えなかったけどにゃ。あいつ、いい奴そうだったし」


 直後に立ち上がり近づいてきたかと思うと、いきなり伽耶の背中にしなだれかかってきた。自身の顎を、彼女の肩に乗せる。


「ねえねえ、なんか面倒くさそうなな状況じゃん。だったらさ、ペドロなんかほっといて一発二日で遊んで帰らない? 夜はさ、ふたりで激しく燃えちゃおうよニヒヒヒ」


 何を言い出すのだろう。伽耶は振り向きもせず答える。


「バカ言ってると、あんたの頭をこいつで丸刈りにするよ」


 言いながら、ダガーナイフを出して鞘から抜いた。よく研がれており、使い始めはカミソリ並の切れ味だ。刃渡りは五センチ程度だが、隠し持てる点が大きい。

 しかし、譲治は怯まない。


「いいのんな。伽耶ちゃんが一発二日で帰ってくれるなら、スキンヘッドにでも何にでもなってやるのん」


 一発じゃなくて一泊だ! とツッコミたい気持ちを堪えつつ言葉を返す。


「冗談じゃない。仕事じゃなきゃ、こんなところに来ないよ」


 そう、この白土市という場所は旅行に適した場所ではない。地域全体に、閉鎖的な空気が流れているのだ。歓楽街はともかく、それ以外の場所はよそ者を歓迎しない雰囲気である。

 その理由は、ふたつある。ひとつは、白土市が山に囲まれた場所だからだ。昔は、雪が降れば人々の往来は途絶えていた。必然的に、地元民たちの結び付きは強くなるし、よそ者には無愛想になる。先ほどの従業員の態度も、この辺りでは珍しくないのかもしれない。

 もうひとつの理由は、神居(カムイ)家という特殊な存在にある。神居の一族は、百年以上前から続いている名家であり、白土市において絶大なる権力を持つ。

 特に、現在の当主である神居宗一郎(カムイ ソウイチロウ)の発言は多方面への影響力を持っており、白土市の帝王と言っても過言ではないのだ。地元の警官ごときでは、手を出すことなど出来はしない。

 実際の話、市長や市会議員、警察署長などといった白土市の中枢にいる人物は……全て神居家の息のかかった人間なのである。

 この白土市において、神居家の人間が絡めば、殺人など簡単に揉み消せる。この事実は、裏の世界では常識となっていた。広域指定暴力団の銀星会ですら、白土市には進出できずにいるくらいだ。

 昨日の事件も、ひょっとしたら神居家が絡んだものかもしれない。死体が三つ、それも殺しともなれば、ニュースにならないはずがないのだ。

 しかし、神居家の人間が揉み消したというのなら……報道されないのも頷ける。




 もたれかかる讓治を振り払い、伽耶は立ち上がった。窓から外を見てみる。豊かな自然に囲まれた白土市……道路沿いには、動物に注意と書かれた看板が設置されている。猪や鹿などが、飛び出して来ることもあるらしい。表面的には、実にのどかな地域である。

 しかし、その裏で何が起きているのか、誰にも知らされていないのだ。緑に塗り込められてはいるが、ここは悪魔の支配している場所なのかもしれない。神居家という名の、悪魔が支配する魔界。

 そんなことを思いながら、じっと外の風景を眺めていた時だった。彼女の目は、奇妙なものを捉える。

 民宿の前に生えている大木に、ひとりの男が寄りかかっている。身長はさほど大きくないし、肌の色は浅黒い。顔の造りや肌の色から見て、日本人ではない。かといって欧米人とも違う。いわゆるヒスパニック系だろう。

 見た目からは年齢を推し量れないが、若くないのは確かだ。Tシャツを着た体は逞しく、二の腕には(こぶ)のような筋肉がうごめいているのが見えた。

 不意に、男は顔を上げた。二階の窓から、下を見ていた伽耶と目が合う。

 次の瞬間、相手はニヤリと笑った──


 背筋が凍りつくような感覚に襲われ、伽耶の額から一筋の汗が流れる。にもかかわらず、男から目を逸らせることが出来なかった。蛇に睨まれた蛙のように、立ちすくんだまま男と見つめ合っていたのだ。


「伽耶ちゃん、どしたの」


 異変に気付いた譲治が、ぱっと立ち上がった。伽耶の横に立つが、その瞬間に彼の表情が凍りつく──


「あんの野郎、ぶっ殺すのんな」


 低い声で唸った譲治は、直後に窓のへりに手をかける。飛び出そうとした瞬間──

 ほぼ同じタイミングで、伽耶が彼の腕を掴んだ。譲治の体がビクリとなり、動きが止まる。急停止した格好だ。

 伽耶は、ゆっくりと譲治の方を向いた。


「あいつ、誰?」


 震える声で尋ねたが、譲治は無言で男を睨みつけている。

 伽耶は、ちらりと男の方を見る。すると、その姿はなかった。目を離した数秒の間に、影も形も無くなってしまったのだ──


「もしかして、あいつがペドロ?」


 もう一度、聞いてみた。だが、返事はない。譲治は口を固く結び、男の居た場所をじっと睨みつけている。さっきまでのふざけた表情は消え失せ、獣のごとき顔つきに変わっている。

 伽耶は確信した。彼女の知る限り、譲治は何者をも恐れない。己が死ぬことすら恐れていない。その譲治が、外にいた男を見て完全に我を忘れている……この事実だけで充分だ。

 

「あいつが、ペドロなんだね」


 伽耶は、そっと呟いた。









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― 新着の感想 ―
[良い点] 緑に塗り込められてはいるが、ここは悪魔の支配している場所なのかもしれない。神居家という名の、悪魔が支配する魔界→関東にも、正義が紙切れより軽い閉鎖地域は存在するんですね(´;ω;`)。 […
2023/03/17 16:55 退会済み
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