九月十五日 伽倻と譲治、久しぶりにペドロと話す
伽倻と譲治は、今日も怪奇屋にいた。先ほど昼食を食べ終わりら外の景色を見ながら、大して美味くもないコーヒーを飲んでいる。
店の中には、ふたりの他はマスターしかいない。相変わらず、背筋をピンと伸ばした気をつけの姿勢で立っている。いつもながら、本当に不気味な佇まいだ。怪奇屋、という店名がしっくり来ている。
「おじさんおじさんおじさん、ペドロのアホは今日も来ないみたいなのん。だったら、一緒にペットショップの犬でも見に行くかにゃ?」
何を思ったか、いきなり譲治が声をかけた。すると、マスターの視線がこちらに向けられた。感情の全く感じられない不気味な瞳が、譲治を見つめる。
「行かないよ」
ボソッと答えた。しかし、譲治はめげることなく話を続ける。
「じゃあさ、一緒にノーパソしゃぶしゃぶ行かないかにゃ?」
その言葉には、さすがの伽倻も口を出さざるを得なかった。
「ちょっと待って。のーぱそしゃぶしゃぶ、って何?」
「伽倻ちゃん知らんのかい。ノーパソしゃぶしゃぶってのはよう、店に行くと女の子がクイズを出してくるのんな。しゃぶしゃぶ食べながら、クイズに十問連続正解するとノートパソコンがもらえるのん」
ありもしない店の情報を、胸を張って語る譲治……伽倻ほ思わず頭を抱えた。
「そんな店、あるわけ無いでしょうが。誰から聞いたの?」
「あれ、誰だったかにゃ? 確かヤマナミさんから聞いたのんな」
真顔で答える譲治に、伽倻は苦笑する。その時、ふと思い出したことがあった。
(譲治は、あの事故が原因で超人になったんじゃないかと思う)
高岡健太郎の言葉である。伽倻と譲治が育った児童養護施設『ちびっこの家』の院長だ。
高岡は、譲治の人間離れした身体能力について独自の見解を持っていた。かつて譲治とその家族が乗っていた飛行機が墜落し、彼以外の乗客は全員死亡した。本人も、瀕死の重傷を負った。一命はとりとめたが、額にほ今も傷痕が残っている。
しかし高岡は、そこで負った傷が幼い少年の肉体に先祖返りのような作用をもたらしたのだと言っていた。ここで言う先祖とは、人間がまだ進化する前の状態を指す。
類人猿は、人間を遥かに上回る身体能力を持っている。譲治もまた、幼い頃より異常な身体能力の持ち主であった。高岡によれば、譲治は十歳にして百メートルを八秒台で走ったのだという。だが、事故以前の彼は平凡な少年だったというのだ。
無論、この説に科学的根拠はない。高岡自身も、バカげた仮説だと言っていた。だが、他に説明のしようがないのも事実だ。
次に伽倻は、ペドロのことを考えた。あんな怪物が現実に存在するなど、未だに信じられない気分だ。だが、まぎれもない現実なのである。譲治という超人を間近で見てきた伽倻ですら、あの怪物には圧倒される。
あの男は、何もかもが桁外れだった。その腕力からして、人間とは思えない。車のフロントガラスを叩き割り、片手で成人男性を引きずり出した。直後、何のためらいもなく素手で殺してしまったのだ。
腕力といい冷酷さといい、同じ人間だとは思えなかった。譲治ですら、あの怪物に比べれば人間らしく見える。さらに、知識が豊富で知能も高い。ペドロと話していると、彼の多岐に渡る知識には圧倒されるばかりだ。ある意味、完璧な人間とも言える。
それゆえ、だろうか……伽倻はペドロに対し、相反するふたつの感情を抱いている。彼を嫌悪しつつも、同時に惹き付けられるものを感じてしまうのだ。太古の時代だったなら、巨大な剣を振るい多くの敵を打ち倒し、帝国を築き上げるような存在なのかもしれない。
そのペドロは、譲治に向かいこう言った。俺たちは同類だ、と。両者は、一見すると水と油のように違う。しかし、どちらも人間離れしているという点は同じだ。
いつか譲治も、ペドロのようになってしまうのではないか──
「やあ、待たせたね」
不意に、背後から聞こえてきた声。伽倻が振り返ると、そこにペドロが立っていた。なぜか緑色の作業服を着て、にこやかな表情を浮かべている。
譲治の顔つきが変わった。露骨に不快そうな表情を浮かべ口を開く。
「あんたは、音もなく忍び寄るのが癖なんかい。あっちこっちで音もなく女の子に近づいては、変態行為にいそしんでるん?」
「あいにくと、俺はそんなに暇ではない。それよりも、今のうちに準備しておきたまえ。明日は、狩りに出かけるからね」
「狩り?」
伽倻が訝しげな表情で聞き返すと、ペドロは楽しそうに頷いた。
「そうさ。明日、この白土市を騒がせている存在を、人知れず始末しに行く。そうすれば、この仕事は終わりだ。俺は、いったんメキシコに帰るとするよ。しばらくは、日本には姿を現さないつもりだ。君らも晴れて、家に帰れる訳だよ」
「それは良かったのんな。けどさ、あんたの雇い主は納得するんかい?」
譲治が、口元を歪めながら尋ねる。それについては、蚊帳も同じ気持ちだった。ペドロの雇い主が、余計なことを知ってしまった人間を見逃すとは思えない。
全てが終わったら、自分たちは消されるのではないだろうか?
しかし、ペドロはかぶりを振った。
「その点は大丈夫さ。俺の雇い主は、無駄なことはしない。こう言ってはなんだが、君らは犯罪者で、しかも世間に対する影響力は皆無に等しい。君らがマスコミに何を言おうが、誰も信じないし、何の影響力もない。むしろ、昨今なにかと世間を騒がせているネット界隈の連中の方が厄介だね」
「言ってくれるのんな。まあ、間違いではないけどにゃ。あんたから比べれば、俺なんかシルバニア国の王子さまなのんな。それしても、あんたの雇い主って何者なん?」
聞かれたペドロの表情が、僅かに変化した。
「それは、とある大企業としか言えないな」
「大企業? あたしはまた、アメリカ合衆国かなんじゃないかと思ってたよ」
伽倻が冗談めいた口調で言うと、ペドロはまたしても笑みを浮かべる。
「合衆国? フフッ、企業を舐めちゃいけないよ。むしろ、国よりも柔軟な発想が出来る上、権力に関しても優るとも劣らない。現に、重罪を犯した俺を自由にさせておけるくらいだからね」
そう言うと、ペドロは椅子に座った。ふたりの顔を見据え、話を続ける。
「前に君は言ったね……俺は、人類の敵みたいなものだと。だがね、長い目で見ると違うものも見えてくる。我々など、しょせんは神々が遊んでいるゲームの駒でしかないのかもしれない。実につまらない話だよ。人生は本来、短い上に下らない。だが、その短い人生をいかにして生きるか? これもまた、人生における究極の命題だね」