九月十一日 徳郁、サンの異変に戸惑う
テレビの音が聞こえてきた。
ゲラゲラという、いかにもな笑い声だ。不快な感情すら起こさせる声である。吉良徳郁は、気だるさを感じながら目を開けた。いつの間にか、ぐっすりと眠ってしまっていたようだ。
上体を起こし、辺りを見回す。テレビがつけっぱなしになったままだった。昨日、サンと狂ったように求め合ったまでは覚えている。恐らく、そのまま眠ってしまったのであろう。
思わず苦笑していた。自分は何をしているのだろうか。これでは、さかりのついた年頃の男子学生のようではないか。思わず口元を歪めていた。もっとも、徳郁にとって初めての体験であったのも事実だ。
辺りを見回した時、少し離れた場所で寝そべっているクロベエと目が合う。さらにはシロスケとも……二匹は寄り添い、徳郁をじっと見つめている。
いや、正確に言うと徳郁とサンを見つめているのだ。昨日から、自分たちはずっと見られていたのだろうか。
なぜか顔が赤くなる。
「何見てんだよ、お前ら。見世物じゃねえんだぞ」
ぶっきらぼうな口調で言うと、隣で眠っているサンに視線を移した。
サンは、無邪気な表情で寝息を立てていた。一糸まとわぬ姿だ。徳郁は微笑みながら、彼女の頭を撫でる。
だが、ぴくりともしなかった。目を覚ます気配はない。まだ熟睡しているようだ。
まあいい。しばらく寝かせておこう。
徳郁は立ち上がった。昨日は、ほとんど食事もとらず、狂ったようにお互いを求め合った。お陰で、ひどく喉が渇いている。キッチンに歩いていき、水をがぶがぶ飲んだ。
やがて徳郁は顔を上げ、サンの方を見てみる。だが、まだ目を覚ます様子がない。よほど疲れているのだろう。あどけない表情で眠っているが、昨日の乱れっぷりには凄まじいものがあった。普段のサンからは、想像もつかないくらいに。
その時、クロベエとシロスケが起き上がる。サンの傍らに行き、彼女に寄り添うように寝そべった。それでも起きる気配がない。
徳郁は首を傾げた。
「おいサン、お腹空いてないか? ごはん食べないのか?」
声をかけてみた。だが、返事はない。ずっと眠ったままだ。何の反応もない。不安を覚えた徳郁は近づいた。手を伸ばし、サンをそっと揺すってみる。
「おいサン、起きろよ。カップラーメン食べようぜ。お前、好きだろ?」
それでも、何の反応もない。言いようのない不安に襲われた。
「大丈夫か? どこか痛いのか?」
すると、彼女はようやく目を開けた。
「だいじょうぶ、いたくないよ。いたく、ないから……さん、ねむらなくちゃ、いけない。きら、あいしてる……きらを、まもる。くろべえも、しろすけも、みんなも、まもるから……さん、つよくなるよ。だから、ねむる」
いきなり意味のわからないことを言ったかと思うと、またしても目を瞑る。そのまま寝息をたて始めた。
「サン、お前は何を言ってるんだよ……」
徳郁は一抹の不安を覚えた。サンは何を言っているのだろうか。全く意味不明だ。
本当に大丈夫なのだろうか? ひょっとしたら、高熱で浮かされているのだろうか?
だが、今の自分に出来ることは限られている。徳郁はサンの体に毛布をかけ、その横に座る。彼女の額に手を当ててみたが、熱はなさそうだ。
眠っているサンを見ながら、徳郁は思った。自分は今まで、ずっとひとりで暮らしていた。この家に、他人を入れたことはない。唯一の友人と呼べる存在である正人でさえ、例外ではなかったのだ。
今まで、ずっとひとりで暮らしてきたが、寂しいと思ったことはない。他の人間など、自分の生活に必要ないはずだった。
もし、サンの身に何かあったら……そう思うだけで、徳郁の心はおかしくなりそうになる。
万が一、明日になっても眠り続けているようなら──
その時は、正人を呼ぶしかない。
奴に助けてもらおう。
そう思いながら、徳郁は携帯電話を取り出す。だが、その時に初めて気づいた。
携帯電話に、正人からの着信が数件あることに。さらに、メッセージもきている。
(見ているなら、電話くれ)
たった一行の簡潔な文章である。これを見る限り、仕事の話と思われた。
正人という男、かなり慎重な性格である。メールやLINEなどで、仕事の話をしたりしない。しかも、昨日から何度もかけてきていたのだ。ほぼ間違いなく仕事に関する話だろう。
いや、待てよ。
(そっちで、立て続けに妙なことが起きてるからさ)
数日前に聞いた言葉を思い出す。ひょっとしたら、その妙なことの続報かもしれない。となると、サンにかかわることだろうか。
徳郁は首を振った。考えていても仕方ない。ひとまず、今日一日は様子を見よう。正人からの電話は無視する。仕事など受けられる状態ではないし、この白土市でどんな事件が起こっていようが知ったことではない。
今は、サンの方が重要だ。