九月六日 伽耶と讓治、トラブルに遭う
「この際、はっきりさせようよ。あんたとペドロ、いったい何があったの?」
伽耶は尋ねたが、讓治は無言のままだ。彼女は思わず口元を歪める。本当に、往生際の悪い男だ。
昨日から、ずっとこの調子である。正確に言うなら、この旅が始まった時から変だった。昨日ペドロと接触してからは、よりおかしくなっている。
「どうしても言いたくないの?」
苛立ちを押さえ、努めて冷静な口調でもう一度尋ねる。と、ようやくこちらを向いた。
「前にね、ちょっと仕事でカチ合ったのんな。あん時は、さすがに死ぬかと思ったにゃ」
口調は、いつもと同じくふざけたものだ。しかし、顔つきは違う。いつになく真面目な表情の讓治に、伽耶は笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ。今回の仕事は、あいつと殺り合うわけじゃない。むしろ、あいつと組んで仕事すんだからさ。それにしてもさ、あんたがそこまで言うなんて、よっぽど凄い奴なんだね」
軽い口調で言うと、讓治の表情が微かに変化する。
「逆に聞いちゃうけどにゃ、伽耶ちゃんはどう思ったのん? ペドロのこと、どう思ってるん?」
「どうって……不思議な感じだったね」
そうとしか言いようがなかった。
肉食獣のごとき強烈な野性を漂わせながらも、口を開けば高い知性を感じさせる。物腰も穏やかなものだ。と同時に、讓治をして「ヤバい」と言わしめるような犯罪者でもあるのだ。実際、初めて会った時は動くことが出来なかった。いま思い出しても、体に得体のしれない感覚が走る。
ふと、車の窓から外を見てみた。豊かな自然に覆われている白土市は、評判はいいとは言えない。ただし、ペドロのような人間を引き寄せるような何かがあると思えないのも確かだった。
いや、ひとつだけある──
ひょっとして、三日月村?
この白土市における最大の謎が、三日月村事件である。日本はおろか、世界にも類を見ない猟奇的事件の舞台となった場所だ。
そもそも三日月村ほ、全人口が百人にも満たない小さな集落である。村人たちは農業や林業を営み、ひっそりと蹴らしていた。
十年ほど前、大雨による大規模な土砂崩れが起こり、道路が通行止めになってしまう。結果、村への人の往来が数日間に渡りストップしてしまったのだ。
その数日の間に、村の住民のほとんどが惨殺されてしまう。市松勇次という名の、ひとりの平凡な青年の手によって──
市松はすぐに逮捕されたが、異様な速さで死刑判決が確定した。その後、半年も経たぬうちに刑は執行されたのだ。
その後、三日月村とその周辺の土地はどこかの企業が買い上げ、立ち入り禁止となってしまった。それでも、わざわざ近寄ろうとする者は後を経たない。
また、ネット界隈や怪しげなオカルト系の雑誌では、十年が経過した今でも怪しげな噂が流れている。
・新興宗教が三日月村にて軍隊を組織した。さらに化学兵器を製造し革命を企てていたが、公安の手で皆殺しにされた。
・密かに宇宙人の秘密基地が建設され、三日月村の人間はみな洗脳されていた。しかし、CIAの特殊工作員の手によって壊滅させられた。
・吸血鬼の一族が三日月村に移住し、村の人間をみな吸血鬼に変えてしまった。だが、ヴァチカンから派遣された凄腕の吸血鬼ハンターに皆殺しにされた。
などといった奇怪な噂が、次々と生まれていっている。もちろん、その噂のほとんど……いや、全てがデマだ。論ずるのもバカバカしい話ではある。
しかし、そんなバカバカしい話にすら信憑性を与えてしまうくらい奇怪な事件であったのは間違いない。実際の話、事件の直後には得体の知れない外国人たちが多数訪れていたという噂もある。もっとも、そのほとんどは海外のマスコミ関係者だった。
訪れるのはマスコミだけではない。怪しい噂に引きつけられ、立ち入り禁止のロープを乗り越えて入って行く愚か者が年に数人ほどいるらしい。ほとんどが、何も発見できず引き上げていくのが関の山である。
もちろん、伽耶は三日月村事件の真相など知らないし、また興味もない。今の彼女にとって重要なのは、ここでペドロとどんな仕事をするのか、ということだけだ。
世界でも類を見ない、奇怪な事件の起きた場所に現れた最強の犯罪者。ある意味、ふさわしい組み合わせではある。
そんなことを考えていた時、讓治が口を開いた。
「ちょっとお、何を考えてんの? ペドロのこと?」
「えっ?」
いきなり聞かれた伽耶は、面食らい咄嗟に言葉が出なかった。
しかし、讓治はさらに聞いてくる。
「ペドロのこと考えてたんでしょ? 違うのん?」
「まあ、ちょっとね」
仕方なく、そう答えた。もっとも、間違いではない。
すると、讓治の表情が曇った。機嫌を損ねたのは明白だ。
「何それ……伽耶ちゃんさ、もしかしてペドロのことカッコいいとか思ってる? ステキなおじさまだわ、とか何とか思っちゃったりしてるのん?」
「はあ? 何を言ってんの?」
怪訝な表情で聞き返した伽耶だったが、讓治の方は鋭い目でギリリと奥歯を噛み締めた。直後、拳を握りしめる。
「あんのクソオヤジが……もう許さないのん。今度あったらボコるにゃ。絶対にボコるのにゃ。口から手ぇ突っ込んで脊髄ぶっこ抜いて、エッフェル塔のてっぺんから逆さ吊りにしてやるのんな」
低い声で、意味不明なことをブツブツ言い出した。唖然となる伽耶だったが、讓治の動きはさらにエスカレートする。
「あームカつくのん! すっげームカつくのんな! 俺のハイパーヤクザキックで、あいつの顔面をオッケー牧場までふっ飛ばしてやりたいにゃ!」
わけのわからないことを口走りながら、車内で拳をブンブン振っている。もともと奇行の目立つ讓治ではあるが、いつもとは異なるものを感じるのだ。
その時、伽耶の頭にバカげた考えが浮かぶ。まさかと思うが……この男、ペドロに対しジェラシーのようなものを抱いているのだろうか。
「あのさあ、もしかして……」
妬いてるの? と聞こうとした時、前から車が走って来るのが見えた。山道にも強い四輪駆動車だ。
車はまっすぐ走って来て、伽耶たちのいる場所を通り過ぎる……かと思いきや、手前で停まる。
ドアが開き、中から人相の悪い男がふたり降りて来た。いずれも背が高く、ガッチリした体格だ。革のジャンパーを着て、手には革の手袋だ。どちらも髪は短く、サングラスをかけている。口にはマスクだ。アレルギーでもあるのか、あるいは人相を知られたくないのか。
ふたりのうち片方が、伽耶の側にあるサイドウインドウをこんこんと叩いた。
伽耶は、少しだけ窓を開ける。
「あ、あの、何か用ですか?」
怯えた表情を作り尋ねた。
「お宅ら、ここで何してんの?」
ぶっきらぼうな口調で聞き返してきた。礼儀など、欠片ほども感じさせない態度だ。もっとも、伽耶はこの手の人間には慣れている。
このふたり、おそらく地元のヤクザだ──
「あ、はい! ええと、あの、友だちに会いに来たんですけど、ちょ、ちょっと休んでました」
怖い男にいきなり話しかけられ、怯えながら話す女……そんな演技をしつつ答えた。
対する男は、ポケットからスマホを取り出す。画面を、こちらに見せてきた。見れば、ひとりの女の画像だ。白衣を着て、あどけない表情で微笑んでいる。おそらく、まだ十代であろう。肌は雪のように白く、髪は黒い。顔はとても美しいが、浮世離れしたものを感じさせる。
「この女、見なかったか?」
もちろん見ているわけがない。伽耶は、かぶりを振った。
「い、いえ! 見てません!」
答えると、男はチッと舌打ちした。
「見てねえのか。そっちの兄ちゃんはどうなんだ?」
そっちの兄ちゃんこと讓治は、画面を見ようともせず答える。
「見てましぇーん」
投げやりな口調だった。横にいる伽耶は顔を引きつらせる。どうやら、まだ機嫌が悪いらしい。
「おい、ちゃんと見ろや」
相手の声が荒くなった。しかし、讓治はそちらを見ようともしない。我関せずという態度で答える。
「そんなの知りましぇーん。興味もありましぇーん。あんたらで勝手に探しんしゃい」
その態度を見て、男の顔つきが変わった。サングラスとマスクを付けているため表情は見えないが、明らかに苛立っているのは伝わってきている。
「おいコラ、出てこい」
言うなり、もうひとりが車のドアを蹴飛ばす。
その瞬間、讓治は動いた。伽耶が止める間もなく、外に飛び出す。
と同時に跳躍した。車のボンネットを飛び越え、男たちに殴りかかる──
ペドロと遭遇した時と、全く同じ始まり方だった。しかし、次からの展開は違う。讓治の上空からのパンチは、片方の男の顔面を打ち砕いた。口から血と歯の欠片を吹き出しながら、ばたりと倒れる。
しかし、讓治はそんなものなど見ていない。間髪入れず、もうひとりに襲いかかる。獣のような動きで、腹に拳を叩き込む──
男と讓治の体格差は、大人と子供ほどあったかもしれない。しかし、讓治に体格差という概念は存在しないようだった。たった一撃で、男は腹を押さえうずくまる。反撃はおろか、立つことすら出来ないらしい。
直後、伽耶が車のエンジンをかける。同時に窓を開け怒鳴った。
「早く乗って! 逃げるよ!」
「はいにゃ」
直後、車は急発進した──
林道の中で、車は停まった。伽耶は、ふうと息を吐く。直後、じろりと讓治を睨みつけた。
「ちょっと、何を考えて……」
言いかけたが、言葉を途中で飲み込む。
スマホにメッセージが来ているのだ。今、このタイミングで連絡をよこすのは……ひょっとしたら、あいつではないのか。
そっとスマホの画面を見てみる。
(ペドロだ。急で申し訳ないが、明日の午後三時に白戸駅前のファミリーレストラン『ジャクソン』に来てくれ)