第二部
太陽はいよいよ絶好調になり、頼んでもないのに張り切ってさんさんと日差しを降り注いでくれていた。
歩は左腕にはめた腕時計をチラリと見て、不機嫌な顔のまま熱気に満ち満ちたコンクリートの上を歩いていた。横では青いタオルを首から下げた猫背気味の亨がいて、あーとかうーとか唸っている。
「今何時くらい?」
「二時半。十分ごとに聞かないで、それよりちゃんと見ててよね」
二人の間の会話も短く、さらに力がまるで入っていない。
それもそうだ。この炎天下の中、好きでもないお使いを無理やり頼まれたのだ。やる気が出ている方がどうかしているだろう。
「緑色のセーラーにポニーテールだっけ、特徴少なすぎるだろ」
「じゃあなんでふたつ返事で引き受けちゃったの」
ぶつぶつと文句を言う二人は裏路地や電柱の影などに視線をやりながらだらだら歩いている。
ツヨシからの依頼は同行者を探してほしいとのこと。タイムトラベルしている最中にタイムホールとやらの中ではぐれてしまったらしい。
またタイムホールの出口は一つだけらしいから他の時代に弾き飛ばされた可能性はなく、確実にこの時代、この付近にいるらしいのだがツヨシ本人は余計な情報を目にしたくはないから五代樹の前から離れたくないそうだ。
仲間がいなくなったにしてはずいぶんと冷静すぎて少し冷たい印象を歩は受け、自分で探せと言いたくなったが、それより先に亨が了承してしまい今の状況に至っている。
亨が依頼を引き受けた理由は簡単、ツヨシの「見つけてくれたいいことしてあげる」の一言に釣られたからで、それならば亨だけがやればいいのにこうやって歩まで付き合わせれていた。
学校近くの、毛細血管のように入り組んでいる路地はさながら迷路のように視界を遮り、通いなれた道なのになぜだか歩の胸の奥が不安で膨らんでいく。昔ながらの背の低い平屋が坂道に沿って続き、各家々と狭い道を仕切る壁がほんの僅かな影を作っていた。
車一台がやっと通れるような道は、いつもの通学路からほんの少し外れただけなのにどこか知らない土地にきたような気分にさせるのだ。
「水島くんは信じてるの、ツヨシくんがタイムトラベラーってこと」
ポツリと歩は呟いた。二人の間にあった沈黙のおかげで、小さな声でも容易に聞き取れる。車の走る大通りからはもう結構外れていた。
「信じてるっていうか信じたいのかな。だって面白そうじゃん」
能天気に言う亨は笑っている。
「高科部長はどう? なんとなく信用してなさそうだけど」
「出会ってすぐに信じられるわけないでしょ、内容がないようだし全然信じてない」
「高科さんらしいや。でも面白そうじゃんタイムマシンなんてあったらどの時代に行きたいとか考えるでしょ」
行きたい場所。
一緒に生きていたい時間。
会いたい人。
歩の頭にその三つはすぐに思い浮かぶ。でもだからこそ、それらを思うことが愚かなことだと分かっていた。
熱気のせいかほんの少し胸が苦しくなる。急に黙り込んだ歩を亨はチラリと見下ろした。その視線に気づいた歩はほんの少しだけ顔をあげて、背の高い亨に微笑んでみせた。
「よくわかんないな。だってありえないことだもの」
じゃあなんで自分はここにいるのだろう。
心の中に問いかける声に、歩は答えることができなかった。
「水島くんはこの辺詳しいの?」
本日八回めの曲がり角を曲がったとき、歩が亨に尋ねる。歩の家は学校や五代樹のある裏山から離れているのでこの辺りの地理は最低限しかわからない。正直今自分がどこを歩いているのかさっぱりだ。
「まあ小さい頃からよく自転車で駆けまわってたからね」
「やっぱアウトドア派だったんだ」
幼少の頃が想像通り過ぎて、歩は言葉に笑みが混ざり込む。
「高科さんって意外によく笑うんだな」
「意外ってなによ」
「なんか高科さんって男っぽいっていうかしっかりしてるイメージがあったからさ、ちょっと新鮮だ」
同性の中でも背が高い方で仮にも一つの部活の部長を務めているのだ。亨が口にした印象は持たれて当然だろう。別に否定することでもないので、歩はそうと言って会話を流す。
その時だった。
チリンと隣の家屋から風鈴が一つ聞こえた。
また一つ、もう二つ、やがて二人を包み込むように幅の広い風が後ろから吹きつけて、風鈴の音が一直線に空を駆け抜ける。
その音を追いかけた先に、彼女はいた。
風と音の延長線上。影と日差しの狭間に、ポツンと一人立ち尽くしている。
緑色のセーラー服が僅かにはためき、髪の毛が静かに揺れていてまるで二人が立っている場所と、決して入れない世界の間に立っているような儚さを少女が纏っているようで亨も歩もしばらく動けず、その場に固まってしまう。
するとふいに少女の方が二人の方を音もなく向く。数秒後、元気の良いはきはきとした声が風鈴の音の残響を弾き飛ばしながら、二人の元に届いた。
「すいません! ちょっといいですか」
探し人は向こうから二人に向かって駆け寄ってくれたのだ。
駆け足で近付いてきた少女は二人の元にたどり着くと、真剣な表情のまま口を開いた。
「学生服着て背の小さい男子見ませんでしたか。ちょっとはぐれてしまったみたいで」
「もしかしてツヨシくんのことですか」
歩が逆に尋ねてみると、少女は二三回瞬きした後何かに気づいたかのようにあっと声を上げて、歩の手を掴んだ。
「そうです! ツヨシです。その人どこにいるのかわかりますか」
「ええ、ちょうどあなたを探してたんです。すごくラッキーでしたよ」
まさかこんな簡単に見つかるとは思っていなかっただけに、自然と歩の口調も弾んだ。
「案内します。ついてきてください」
そう言った亨に少女が、ありがとうほんとに嬉しいと笑った顔に妙なデジャブを感じたがその時の歩にはその感じの正体に気づくことはできなかった。
少女はアツミと自ら名乗った。
アツミは明るく前向きで、最初に感じた儚い雰囲気とはまるで真逆の性格をしていてまた同学年ということもあり、三人が打ち解けるのにそう時間はかからなかった。
「アツミさんもツヨシさんと同じ時代から来たんですよね」
「そうね。でもいつから来たかとかは聞かないでね、ツヨシに教えるなって来る途中にキツく言われてるから」
片目をつむりながらおどけるアツミに、亨はぎこちなくうなずく。そんな様子を眺めながら歩はじっと黙り込んでいる。
「どうかしたの」
「いやぁ本当にタイムトラベラーっぽいかなって」
「なんだまだ疑ってたのか」
亨の声に歩はむぅと唸る。
胡散臭いツヨシがタイムトラベルしてきたというより、アツミがタイムトラベルしてきたという方が不思議と説得力があるがこれはおそらく本人たちの性格と出会い方の印象の差だろう。また確かにツヨシとアツミは知りあいらしいが、決定的な証拠がない。
なんだか他の科学研究部員にドッキリでもされているのではないかという疑念が、歩の頭の中から消えないのだ。
「まあ当たり前でしょうね簡単に信じられるものじゃないもの。私だって未だに違う時代に来てるって実感ないし」
右端で笑うアケミはひどく呑気なもので、知らない場所さらに知らない時代で普通一人きりされたら不安で堪らないのだろうが、こうして顔に笑みを作っている。
「でも……この辺りは違うなぁ」
彼らの言葉が本当だとしたら、彼らは未来から来たのか過去から来たのか。
歩と亨には知る術などないが、アスファルトを電柱に張り付いている張り紙に順番に顔を向け、そして空を見上げて目を細めたアケミの瞳の中は何かを懐古しているかのような色に染まっているようだった。