国鉄那覇鉄道管理局 架空沖縄鉄道史 二次創作
山口多聞さんの国鉄那覇鉄道管理局 架空沖縄鉄道史の二次創作です。
沖縄に国鉄があったら、戦前から沖縄と鹿児島に連絡船が運航していただろうな。
もしかしたら沖縄と鹿児島を結ぶ海底トンネルを作り、新幹線を北海道から沖縄まで、通す計画があったかも?でも、工費がかなりかかるし、工事が始まる前に国鉄が民営化され、計画は白紙になるだろうななどという妄想から作りました。
国鉄民営化後の設定がJRなのは、連絡船を存続させるためです。
オリジナルを先に読んで頂けると幸いです。
昭和17年6月那覇港まで線路が敷かれたことで、鹿児島港と那覇港を結ぶ連絡船が運航されることになった。
物資を本土から沖縄に運ぶのが目的で運航が始まった。
昭和20年、沖縄がアメリカに占領されたことで、鹿児島と那覇を結ぶ連絡船は、姿を消した。
昭和47年5月15日に沖縄が日本に返還され、鹿児島港と那覇港を結ぶ連絡船が再開された。
だが、これに異を唱える人も少なからずいた。
この約20年前に、台風による青函連絡船沈没事故があったからである。
鹿児島と沖縄と言ったら、台風の通り道で、戦前も台風で、運航が出来ない日があったからだ。
沖縄返還を実現した首相の次の首相が唱えた、『日本列島改造論』には、北海道から沖縄まで、新幹線を通す計画が打ち出されていた。
しかし、それには、鹿児島と沖縄を結ぶ海底トンネルが必要になるが、工費が高く、先延ばしになり、結局、国鉄が民営化され、JRになったことで、鹿児島と沖縄を結ぶ海底トンネル計画は、事実上白紙になったのである。
経営が黒字だったことから、沖縄の路線は、JR九州の管轄ではなく、JR琉球(琉球旅客鉄道株式会社)になった。
JRの中で、本州の三社以外で、いち早く完全民営化された会社である。
鹿児島港と那覇港を結ぶ連絡船は、JR琉球が引き継がれ、現在も運航されている。
九州から沖縄、沖縄から九州の修学旅行生、旅行客、船旅好きや鉄道ファン(特に乗り鉄)に愛されている。
人だけでなく、物流の面でも活躍している。
乗り鉄の憧れでもある、最長片道切符の終着駅が糸満駅であることも、連絡船が今も運航されている一因となっている。
オリジナルのように設定を上手くかけなかったのが反省点です。
山口多聞さんの偉大さがわかりました。
見切り発車はダメですね。