6.暴走した小川くんの言い訳①
「えーっ!? キ、キス?! 何だその急展開!!!」
イスからガタっと転げ落ちそうになった市倉先輩は、短髪をピンと立たせて俺を凝視した。
あの屋上での出来事の後、実行委員の仕事で学校に来ていた先輩を見つけ、今サッカー部の部室に連れ込んでいる。
「市倉先輩、声デカいって……」
運動部のノリでそんな大声出すなって!!
キョロキョロ周りの人の存在がないか確かめる。
「あんなお前を目の敵の様にしてた彼女に、一体どんな手を使ったんだ? まさか一服盛ったんじゃ……」
「んなわけありますかっ!! 俺がそんな奴に見えます??」
しょうもない先輩の大袈裟な冗談も仕方がない話だ。
芽衣が俺を嫌っているっていうのは先輩だけじゃなく、俺界隈では有名な話。
誰もが知るくらい芽衣に嫌悪感を持たれているのに、何をどうしたら彼女にキスできるんだって疑問に思われてしまうのは当然だ。
でも最近の芽衣の様子からは、ほんの少しそれが和らいでるかなって気がしていたんだが。
浮かれていた自分が恥ずかしい……
「嫌われてるっていう自覚は頭の中にありましたよ、ちゃんと。……でも、そんな事よりアイツと映画に行くって想像したら、また感情が先走ってしまって……。だいぶ俺、自分本位で強引だったし……今頃彼女どう思ってるか……」
『時よ戻れっ!』そう唱えて叶うなら、俺は何千回何万回だって叫びたい。
キスの後、余韻に浸ることもなく、俺を責めることもなく、彼女はスクッと立ち上がった。
『ごめん、もう行かなきゃっ』
弁当箱をガサガサっと雑に鞄に入れて、こちらを振り向くこともなく、この場から逃げるかのように階段をかけ降りていってしまった。
「彼女、嫌がってはいなかったんだろ?」
「まぁ……でもあれはびっくりして何にも言えなかったって感じで、本音は全く分からないっす」
「お前なぁ……」
呆れた顔で市倉先輩は心配そうに俺を眺めた。
市倉先輩との付き合いはもう賞味三年になる。
学年は一学年違えど中学が一緒で同じサッカー部だった。
俺が一年の時に転校してきてすぐ、たまたま体育でやってた短距離走を見てくれていたらしい。
『サッカー部に是非来てくれよ! モテるぞ!』
足だけは速かった俺に、確かそんなような事を言って声をかけてくれたんだっけ。
あの時俺は親の仕事の都合で、中学校の入学式を済ませてからたった一ヶ月で転校が決まり、せっかく仲良くなった子とも離れてしまって、色々ズルズルと引き摺ったまま新しい私立の中学へとやってきてしまった。
元々ネクラだった上に、更に落ち込んで一人ぼっちになりがちだった自分に、市倉先輩は面白がってなのか、本気で心配してくれていたのか、積極的に話しかけてくれて。
次第に俺も心を開けるようになり、誰にも言えずにいた全ての想いを吐き出させてくれたんだ。
◇◆◇◆
思い返せば小学校の時。
『もう友達なんていらない』
ずっとそう思っていた。
今だからこそ、たくさんの人と分け隔てなく仲良くできる様になったが、当時の俺は物心ついたときから本が大好きで、誰が周りに居ようとも関係なしに、時間も惜しんで一人で貪るように読んでいた。
休み時間も放課後も、友達と遊んだ記憶はない。
そのせいでクラスメイトにはネクラだとか、オタクだとか散々イジメられた。
好きな事を好きなようにやって何が悪い。
ずっとそう思ってこちらから周りに心を開こうとも思わなかったし、あんな奴ら、こっちから無視してやろう位に思っていた。
でも、さすがにしょっちゅう聞こえてくる俺への悪口はとても気持ちの良いものではなかったし、だんだんエスカレートしてきて、教科書など身の回りの物を隠されるようになった。
一番腹が立ったのは大切な本を踏みつけられた時だ。
お前らなんて信用しない。
友達なんていらない。
卒業式が終わったらすぐに引っ越すと知らされたのは小学6年生の3月の初め。
仕事の都合で引っ越しても、短期間でまた当時住んでいた母さんの実家に戻らなきゃいけないって話は聞いていたから、永遠にこの地獄から解放されるわけではなかったけど……
ほんの少しの間でもこの状況から逃れられることは、俺にとって希望の光だった。
卒業式の日まで、一日一日を心の中で塗りつぶし『後もう少し……』そう自分に言い聞かせながら、ようやく小学校卒業の日を迎えることが出来た。
とは言え、引っ越しして今まで俺をいじめていた奴らが誰もいない中学校に入学しても、相変わらず友達なんて必要ないって気持ちは変わらなかったが。
俺が求めていたのは、ただ安心して静かに読書出来る環境だけだったからだ。
入学式を終えて、初めて自分の席に着いた。
周りは当然知らない顔ぶれ。
俺は久しぶりに安心した気持ちで本を開いた時だった。
「私、上野芽衣っていうの。よろしくね」
隣の席に座っていた彼女は見知らぬ俺に、何の壁も作らず微笑み、声をかけてきた。
「……よ、よろしく。……佐藤拓人です」
まさか知り合いが誰もいない根暗な自分が、こんな風に声をかけられるなんて思いもしなかった。
周りはみんな小学校が同じで顔見知り同士。
すでに和気藹々とした空気が出来上がっていて、自分が入り込む隙間はないなと感じていたからだ。
「何の本読んでるの? 難しそうだね」
そう言って彼女は覗き込んでくる。
「あぁ、推理物だよ。俺は面白いよ」
吐いた言葉に『君には分からないだろうけど』そんな皮肉もこもっていたかも知れない。
どうせまたこの子も俺を不気味に思うんだろう?
「へぇ! カッコイイね。私なんて漫画ばっかりだから、そういうの読んでる人って尊敬しちゃう!」
彼女はキラキラした目で俺を真っ直ぐ見た。
予想外の答えに戸惑った俺は、今までに味わったことのない、じんわりと何かが湧き出るような感情を悟られまいと、馬鹿みたいに仏頂面で必死に自分の感情をごまかした。
そんな風に俺を見てくれる彼女はどんな顔をしているんだろう……
今までの自分にはあり得ない欲が湧いた。
『ちゃんと彼女の顔を見てみたい……』
その頃の自分は、わざと表情を隠すように前髪をもっさりと伸ばしていつも下を向いていた。
彼女の明るい声を聞いて、初めて自分の前髪が邪魔くさいと思ったんだ。
隣同士、芽衣とはポツポツと他愛のない会話が増えていって。
俺たちの距離はどんどんと近づいていった。
何年ぶりだろう。
こんなに誰かといて楽しいと思うのは。
彼女の事まだ何も知らないのに、日を増すごとに惹かれていく自分に戸惑った。
「芽衣! 今日遊びに行っていい?」
ある日彼女が一番仲良さそうにしていた久保さんが、俺と芽衣の会話の間を割って入り込んできた。
「いいよ、別に。また漫画?」
「うん、この前の続き気になっちゃってさ、一気読みしたいんだけど、量多いし借りないで直接芽衣んちで読ませてよー」
『もう!』そう頬を膨らませながら笑っている芽衣を横目で見ながら、素直に可愛いと思ったりしていた。
彼女の事をもっと知りたい……
すると久保さんが突然俺に目を遣った。
なんだかこころを見透かされたような気がして、恥ずかしくなり俯いた。
「あ、えーっと、佐藤くんだっけ? 話してるとこ割り込んじゃってごめんね」
そう言って俺が手に持っていた本を取り上げてパラパラとめくった。
「佐藤くん本好きなんだ。……あのさ、知ってる? 芽衣のお父さん漫画家なんだよ。凄いよね! 芽衣んち、いーっぱいあるんだよ、漫画本!」
久保さんはムフフと笑って顔を綻ばせている。
取り上げられた本を丁寧に返された俺は、久保さんはガサツそうに見えても意外と丁寧な子なんだなと思った。
芽衣以外の女の子とは殆ど話したことは無かったが、久保さんなら普通に話せる気がした。
「そうなんだ。どんな漫画描いてるの?」
漫画をたくさん読むわけではなかったが本には変わりない。
とても興味があった。
「難しそうなやつだよね。大人が読むような、確か……『廃墟の噂』……だったけ?」
久保さんの口から聞いたその作品名に俺は猛烈に驚いた。
「本当に?! 俺、それ全巻持ってる!! スゲェ!」
久々にとんでもなく大きな声を出した。
大好きな作品だった。
「え? ガチファンなの?? じゃ、佐藤君も行こうよ、芽衣んち! お父さんいつも部屋にいるし、サインとか貰っちゃえば?」
俺は嬉しくなって芽衣の顔を見る。
「もちろんいいよ」
ニッコリと彼女は笑ってくれた。
そこからだ。
彼女の家に遊びに行って色んな作品を読ませてもらったり、学校帰りに本屋に二人で立ち寄ったり。
嬉しい、楽しい……
忘れかけていた感情が、彼女と二人でいるとドクドクと湧き上がるように溢れ出した。
あんなに地獄だった小学校時代が、遠い昔のまるで他人の出来事だったかのように忘れ去られられた日々だった。
芽衣は独りの世界に逃げ込んでいた俺を、闇の中から優しく光で照らしてくれた。
俺は彼女の照らしてくれた明るい世界に憧れて、この暗くて孤独な殻から、初めて自分の意思で壊して出てみたいと思えるようになったんだ。
あの時の俺は充実した日々を、心から楽しんで生きれるようになっていたのに。
入学式から一ヶ月ほど経った頃。
突然ゴールデンウィーク明けに元の家に戻る事を知らされた。
親は入学してまだ一ヶ月だし、転校しても小学校からの知り合いも多い中学校なら、それほど俺の負担にはならないだろうと思っていたらしい。
……絶望の中、俺は最後まで芽衣との時間を大切に楽しく過ごしたかった。
だから別れの日、帰りのホームルームの一番最後まで、一切転校の話はしないでくれと先生に懇願した。
無情にも時間は過ぎて行き、ついにお別れの時がやって来る。
教室の前に出て俺の口から『サヨナラ』の言葉を伝えた時、みんな驚いた顔をしていが……
芽衣だけは……泣いていた。
それを見て……俺も泣きそうになるのを必死で堪えた。
だから決めたんだ。
いつか必ずもう一度彼女に再開するんだって。
その時が来たら……
ちゃんと胸を張って『好きだ』と伝えよう。
彼女が一目惚れしてしまうくらいイイ男になって……
生まれて初めて、『今の自分を変えてやる!』そんな気持ちになれたんだ。