29.本当の拓人
今日という日を完全に諦めて外の様子ををぼんやり眺めていた私は、扉が勢いよく開く音に驚き振り返る。
「芽衣!!」
目を疑った。
そこに息を切らして立っていたのは、あのお祭りの時に助けてくれた狐のお面の男の子だったからだ。
お面も、浴衣も、声も……全部あの時と同じ……
「なんで……? なんでここに……?」
そんな私の声が聞こえていたのか、いなかったのかは分からないが、彼は駆け寄り力強く私の肩を掴んだ。
「痛っ!!」
「どうした?! 怪我したのか??」
「うん、ちょっと足捻っちゃって……」
夢でも見ているんだろうか?
こんなに辛い時にまた彼が現れた。
コントロール不能になった涙腺を止める術はない。
「どうした? 痛いのか?」
私が痛みでバランスを崩し、よろけそうになっているところをしっかりと支えてくれる。
足首の腫れに気がついたのか蹲み込んだ。
「こんなに腫れて……」
心配している声色で、確かめるように患部を優しく撫でてくれる。
「頼む、無茶な事しないでくれ……本当に目が離せない……」
立ち上がりフワッと彼が私を抱きしめた。
「………?!」
一瞬戸惑い、何の事を言っているのかよく分からなかったけど、懐かしい彼の匂いと温もりを感じると、全てがどうでも良くなるような安心感を感じて、心も、疲れて痛んだ身体も全てを預けてしまいたくなる。
私が助けを求めている時が、どうして分かるの?
貴方なら、今の私を救ってくれる?
「ねぇ、どうしたらずっと好きだった人に逢える……?」
縋るように彼にもたれかかり、眼を閉じる。
「………もう、傍に居るだろ?」
「……え……?」
その言葉に驚いて目を見開いた。
あの日見た胸元のネックレス……
「これ……同じ……?」
やっぱり見間違いじゃなじゃった。
どういう事……?
なんで貴方が持ってるの……?
「嘘……でしょ?」
「嘘じゃねぇよ」
狐のお面をスッと外す。
(本当に拓人……なの……?)
見上げた視線の先にいた人物は……
「小川くん?! 何で?!」
予想外の顔に腰が抜けてその場にへたれ混む。
「まだ気がつかねぇのか? 鈍感にも程があんだろ、芽衣」
私の目線に合わせて照れ臭そうに顔を紅くしながら、小川くんが座り込んだ。
理解が追いつかなくてパニックになった頭は熱でショートし気を失いそうになる。
「どういう事? 小川くんでしょ?」
「夏祭りの日、俺の名前教えただろ? 忘れた?」
そういえば……あの日以来呼ぶ機会もなかったしこの地域に多い名字だったから忘れかけていたけど……
「確か……さとう、………佐藤っ?!」
「そうだよ、俺が佐藤拓人だよ。親が離婚して、苗字が小川に変わったんだ」
クスッと笑った口元……
「……拓人なの……?」
「あぁ」
「本当に?」
「あぁ」
「本当に、ホント?!」
震えが止まらない唇を拓人が塞ぐ。
「ホントだって言ってんだろ?」
見覚えのある口元から伝えられた言葉はまだ信じられないくらい。
こんなに優しい瞳だっただろうか?
こんなにまろやかな声だっただろうか?
こんなに積極的な人だった……?
二度目の突然のキスに込められた『信じて欲しい』そんな彼の想いが伝わって、怒涛のように流れ出していた疑問が次第にすぅっと落ち着いて行く。
「そのネックレスをしていてくれてるって事は、見つけてくれたんだろ? あのメッセージ」
私の襟元からそっとそれを取り出した。
「うん……」
そうは言ってもまだふわふわと地に足がつかない。
「これ欲しがってただろ? 中学ん時」
「え?」
「……え?」
そう呆れた顔はあの頃の拓人だ!
それにしても全く心当たりがない。
「人違いじゃ……」
これだけモテるんだから別の女の子の事と間違えててもおかしくないよね……
「おい、忘れてんのか? 二人で学校帰りに寄った雑貨屋で『欲しい〜』って言って暫くその店行く度に手に取ってただろ!」
「……あっ」
その時完全に自分で止めていた時間が再び動き出したのを感じた。
無意識に二人の楽しかった想い出を封印して来た自分の思考が徐々に消えて行く。
確かにそんな事を言ってた、私。
二つ合わせるとハート型になるペアのネックレス。
拓人と一緒につけられたらどんなにいいだろうと思って手に取ったものの、当時中学生だった私には五千円という高額な金額と、手に入れてもあの拓人が身につけてくれるわけがないなんて、勝手に思い込んで諦めた記憶が蘇る。
拓人が自分と私のネックレスを合わせると、綺麗なハート型が出来た。
「これでもまだ信じられない?」
こんなに近くで私だけを見つめていてくれる。
「本当に……? 本当に拓人なのね……?」
「そうだよ」
拓人は苦しくなるくらいに私を強く抱きしめた。
「だって、別人だと思ってたんだもん。お面の男の子も、小川くんも」
彼の大きな胸の中で自分の気持ちを確かめるように言葉にする。
「私、小川くんのことが好きになりそうで、でも拓人のこともずっと心の中から消すことが出来なくて……。小川くんを知れば知るほど何故か拓人との記憶が蘇って来て、結局自分は誰が好きなのか答えが出せなくて……」
全部同じ人なのに、変な罪悪感にいつも襲われていた。
「小川拓人は、結局佐藤拓人を超えられなかったのかな。芽衣にベタ惚れしてもらうために相当頑張ったんだけどなぁ、俺」
ハハハと笑った。
「意地悪言わないでよ……。どの拓人も大好きだから選べなかった。こうやってピンチを救ってくれるお面の拓人も、女子にモテモテのカッコいい拓人も、本が大好きで優しい拓人も……」
そんな事を言う自分が恥ずかしくて、まともに拓人の顔すら見れない私の頬に、近づいて来た彼の柔らかな髪が優しくおでこに触れる。
頬にかかる温かい呼吸を感じながら、拓人は間違いなくここに居るとようやく思えた。
「結局どんな拓人だって私は貴方しか好きになれないの……」
姿なんて見えなくても、誰よりも大好きな人なんだとお互い確かめ合うように瞳を閉じた。
日が落ちかけた教室で、私たちは離れていた時を埋めるように唇を合わせ続けた……




