仏説仏名經卷第四 大乗蓮華寶達問答報応沙門経
寶達は、沙門地獄第三の地獄へと足を踏み入れた。
目の前に広がる地獄は、周囲を高い鉄の城壁に囲まれ、沙門達が苦しみに耐え切れず、逃げ出すのを防ぐためか、上空を鉄の網が覆っている。城壁の中は隙間なく炎が燃え盛っていた。
「鉄銖洋銅地獄にございます。」
鬼王が言った。
「縦横二十四由旬、周囲を鉄の城壁、鉄の網が覆い、炎が燃え上がり――」
悲しげに項垂れる寶達を見て、鬼王は言葉を切った。
「――寶達菩薩様。この地獄に堕ちた沙門どもの苦しみは、こればかりではございません。南門の辺りを御覧になって下さいませ。」
寶達は、悲しげな顔を上げて、今まさに沙門達が追い込まれてきた南門の辺りに目を遣った――。
門が閉じられ、あちこちから怯えた声が上がる。
一緒に追い込まれたのは、彼と同じ沙門なのであろう。五十人ほどが不安げな顔で立ち竦んでいる。
その眼前で、轟々と炎が燃え上がり、大きな池から溶けた鉄がどろどろと流れ出し、幾筋もの河を作っている。まさに地獄である。
閉じられた門に目を遣り、彼は舌打ちする。
彼は、これまで地獄の苦など恐れてはこなかった。沙門となったのも、名を上げ、利を得るためである。実際、戒を受け、清浄行を持すと誓いながら、彼は四重の禁戒を犯している。
沙門の身にありながら戒を犯せば、地獄へ堕ち、苦報を受ける――
そんなことは、信じてはいなかった。
しかし――
今、彼の目の前に広がっているこの地は、紛れもなく地獄である。
背後で叫び声が上がる。
恐ろしげな顔をした獄卒が、新しく地獄へと堕ちてきた彼らを、炎の中へと追い込もうとしていた。
「なぜわたしがこのような苦を受けねばならないのです!」
獄卒に腕をとられたひとりの沙門が、泣き叫ぶ。
――分からぬわけではあるまい。
獄卒の声が響く。
彼はもう一度舌打ちする。
追われてゆくにつれて地獄の様が見えてくる。
どろどろとした熱い流れに引き入れられ、身を焼かれた沙門達が悲鳴を上げる。
彼はちらりと後ろを見る。
怯えて蹲る沙門が、獄卒の馬頭羅刹に三叉の鉄叉で貫かれ、鉄棒で頭をひしがれ、舌を鉄鉤で引っ掛けられて引きずられてゆく。
足を止めることもできず、彼はいつの間にか熱い流れの岸へと追いたてられていた。
炎を上げて流れる河の中に突き入れられて、熱さに叫ぶ声が幾つも響く。
岸辺には熱さに耐えかね這い上がろうとする沙門達とそれを待ち受ける獄卒が群がっている。
這い上がろうとする沙門を鉄の箕を手にした獄卒が捉える。箕の中には赤熱した鉄砂が盛られ、鉄鉤でこじ開けた口の中に注がれる。沙門は悶絶し、注がれた鉄砂は沙門の背を焼き抜いて川面へとこぼれてゆく。
彼の腕に、獄卒の手がかかる。
沙門の目、口から、炎が上がるのが見えた。
有無を言わさぬ力で腕が引かれ、彼の足が溶けた鉄の流れに浸る。熱さに我知らず悲鳴が上がる。
苦しげにもがく沙門の口には、容赦なく熱く焼けた鉄砂が注がれ続けていた――
沙門達の苦悶の声を聞きながら、寶達は静かにその顔を上げた。
「この者たちの罪状をお尋ねになりますか?」
鬼王が問う。
傍らには馬頭羅刹が控えていた。
寶達は静かに頷いた。
「それでは、お答えいたします。この者どもは沙門となりながら真理を求めず、利を求め、名を上げることばかりに執心し、苦報を畏れず四重の禁戒を犯しながら、貪欲に信施を貪っておりました。当然ながら三宝、四諦、因縁も知らず、足るを知らぬことは大海のようでございます。この罪により、今地獄へ堕ち千萬劫を経る苦を受けているのでございます。――いずれ、人として生まれましても、瘖となり言葉を話すことはできません。」
馬頭羅刹の言葉に、寶達は悲しげに眉根を寄せる。
「なぜ――」
寶達は悲しげな顔で呟く。
「彼らは沙門であったはずなのに――会い難い法に会い、浄戒を授かり、解脱の道を踏み出したはずの彼らが、なぜこのような苦を受けるようなことを為すのでしょう。なぜ苦報を畏れず戒を犯す邪見の道へと入ってしまったのか――」
はらりと、寶達の頬を涙が伝う。
「我らには分かりませぬが――」
鬼王が言う。
「人の世とは、ことほどさように人の身を誘惑する処なのでございましょう。一度は真理の道の入り口に立ちながら、そこから逸れて行く者の如何に多いことか――」
寶達は静かに涙を流し、その地を去った。