仏説仏名經卷第三 大乗蓮華寶達問答報応沙門経
「寶達菩薩様、ここが沙門地獄の二、鉄衣地獄にございます。」
鬼王に伴われ、寶達は次の地獄へと足を踏み入れた。
寶達は、鉄衣地獄というその地獄を見渡す。そこは、辺り一面が炎に覆われていた。
「この地獄は周囲一六由旬、先の地獄同様東西南北にそれぞれ門がございます。東門の方をご覧ください、辺りに響く叫び声は、先程東門から獄中に入れられた沙門どもが上げている叫び声でございましょう――」
言われて寶達は、東門のほうに目を遣った――。
門扉に堅く閂を掛け、馬頭羅刹は沙門どもの方に向き直った。幾人かの獄卒が得物を手に、彼らを地獄の中へと追い立てている。
しかし、八百人の沙門どもは地獄の有様に怯えて進まず、門前にひしめき合っていた。
あちこちから悲鳴が上がる――。
獄卒達が、鉄棒で小突き上げ、鉄鉤で引っ掛け寄せて、進まぬ沙門どもを炎の中へと追い込んでいるのだ。
――高く悲鳴が上がった。
沙門が幾人か、炎の中へと放り込まれたのだろう。怯えた沙門が数人、馬頭羅刹の方へ向かって駆け出して来る。
「――往生際の悪いことだ。」
呟いて、馬頭羅刹は手にした三叉の鉄叉で無造作に沙門を突き刺した。
ぎゃっ、と悲鳴が上がり、三叉の切っ先が背から胸に抜ける。貫かれた傷口から炎が上がり、沙門はしばらくもがいて動かなくなった。
駆けてきた沙門達が、慌ててもと来た方へ走り出す。続けざまに二三人を突いて、馬頭羅刹は鉄叉を納めた。貫かれ、倒れた沙門達に狗や餓鬼が取り付いて、血肉を貪り始める。
馬頭羅刹の鉄叉を逃れた沙門達も、次々に炎の中へと投げ込まれていく。どちらにせよ、彼らに安寧の道は残されてはいないのだ――。
足元に目を遣ると、倒れた沙門の身体は既に跡形もなく喰いちぎられている。
――活きよ。
命じると、たちまち沙門達は生き返った。
「往け。」
座り込んだまますすり泣く沙門達を叱りつける。
沙門達が、泣きながら地獄へと向かうのを見て、馬頭羅刹は小さくため息を吐いた――。
寶達は、東門を入り、次第に炎の中に追い込まれてゆく沙門達を、じっと見ていた。
泣き叫ぶ声、悲鳴、助けを呼ぶ声、呻き声――それらが、遠く、近く、響いている。
一際高い悲鳴が上がり、沙門がひとり炎の中へと投げ込まれる。切れ切れに悲鳴を上げながら逃げ惑う沙門の身体に、なにやらふわりとまとわりついた物があった。それが、真っ赤に焼けた鉄の衣だと知って、寶達は思わず両手で目を覆った。
鋭い悲鳴が上がる。
そっと手をのけると、焼けた衣にまとい付かれた沙門が、身体中を炎に包まれ、苦しみのたうっていた。
「寶達菩薩様。」
再び目を覆おうとした寶達に、鬼王が言う。
「彼らはあのような苦しみを、一昼夜の内に幾度も幾度も味わうのです――」
「一体――」
寶達は涙を浮かべて尋ねる。
「一体、彼らは何をしたというのです?」
鬼王は答えず、傍らの馬頭羅刹を見遣った。
「お答えいたします――」
馬頭羅刹は一礼し、寶達の前に出た。
「この者どもは、仏の浄戒を受け、沙門となりながら威儀を守らず、着けるべき法衣を捨て、俗人同様の衣服を身に着けておりました。仏の禁戒に反したため、今この地獄に堕ち、このような苦しみを受けております。」
寶達は、悲しげな顔で呟いた。
「彼らはどうして、三界を離れ沙門となりながら、自らを慎まずこのような悪道に堕ち、このような苦しみを受けるのか――、どうして、解脱して安穏を得ることができないのか――」
馬頭羅刹が、黙って項垂れた。
「寶達菩薩様、次の地獄へご案内いたしましょう。」
悲しみ項垂れる寶達を鬼王が促した。
寶達は静かに肯き、もう一度鉄衣地獄に目を遣った。苦しみ叫ぶ沙門達の様を目に焼き付けて、寶達はその地を去った。