仏説仏名經卷第二十三 大乗蓮華寶達問答報応沙門経
鬼王が地獄を指す。
寶達は、次の地獄へと進んでいた。
「寶達菩薩様、ここは諍論地獄でございます。」
寶達は地獄を見下ろした。鉄壁で囲まれ、鉄網に覆われたその地獄は、縦横八十由旬ほどで、鉄の鳥がその空を舞っていた。
「まずは、西門を御覧下さい。」
西門には六千人の沙門が集められている。鬼王に促されるまま、寶達は西門に目を向けた――
門が開けられ、沙門達がおずおずと入ってくる。
とたんに、高空を舞っていた鉄鳥が群れを成して舞い降り、沙門達を啄みにかかる。それを見て、馬頭羅刹である彼は、小さく舌打ちをした。
沙門どもの足が止まる。
怯えた沙門達は、立ち止まり、泣き叫んで馬頭羅刹たちに縋り、進もうとしない。
素直に進んでくれれば良いものを――
彼は心の内でそう思った。縋られようと、泣かれようと、彼の役目はこの沙門どもを、地獄の中に追いやることだ。それならばせめて、大人しく入ってくれればいいと思う。
彼は鉄叉を取った。取り縋る沙門の胸を、力任せに突く。鉄叉の先が沙門の背から突き出した。鉄鳥の群れが、一斉に空へ飛び上がる。
辺りの沙門どもを威しつけると、彼らは諦めたように進み始めた。鉄叉に胸を貫かれた沙門も、いつの間にやら立ち上がり、歩き出している。
馬頭羅刹はそっと空を仰ぐ。
沙門どもを狙うのか、鉄網に遮られた空の向こうに、鉄鳥が高く舞っていた――
ひいっ、ひいっ――
彼の口から荒い息とともに、断続的に悲鳴が漏れる。その口からは鉄鉤に引っ掛けられた舌が、長く引き出されていた。
痛みと恐怖に目を見開き、彼は引き出された自分の舌を見つめている。
「この舌で、何をした?」
馬頭羅刹が弄るように言った。
――わたしが、何をしたというのか――
問い返したかったが、一杯に引き出された舌は動かない。唸る彼の目の前に、馬頭羅刹は鋭く光る鉄斧を掲げて見せた。
あがあっ――
切り裂かれる痛みに、彼は吼えた。ぶつり、ぶつりと音を立てて、引き伸ばされた舌が寸断されてゆく。
――なぜ、なぜ――
痛みに急き立てられるように、彼は考える。沙門であった自分が、こんな目に遭うのは、やはり自分のしてきたことが間違いだったのか――
沙門であった彼は、仏法を広めることに尽力してきた。平易な法を説き、王族に取り入り、自分の足元を固めてきたのだ。立場が整ってこそ、衆生に法を説くことができる。そのためにはどんな手を使っても、それは方便であると、わが身に言い聞かせてきた。しかし、それはやはり間違いだったのだろうか――
あああ、あああ――
舌を細々に切り裂かれ、血が流れ出る口は、それでも鉄鉤に舌を引き出されていたときよりは、言葉らしいものを紡いだ。
彼は必死に馬頭羅刹に問いかけようとする。
わたしは、間違っていたのかと――
儘にならぬ言葉で問いかける彼を、馬頭羅刹は冷たく見下ろす。
「まだ何か、言うことがあるか――」
不意に、彼の頭が仰向けられる。
背後に回った馬頭羅刹の手に、大きな柄杓が握られているのが見えた。柄杓からは、もうもうと湯気が上がっている。
うああああっ……
悲鳴はたちまち微かな呻き声になって消えた。
どろどろに溶けた金属が彼の口に流し込まれ、咽喉を焼き塞ぐ。たっぷりと灌がれた液体は、行き場を失って彼の身を焼き溶かし、やがてその背から流れ出た。
息も絶え絶えで、彼は放り出される。その口からはすでに僅かな吐息が洩れるのみで、次の罪人を捕らえようと去ってゆく獄卒に、問いかけることもできない。
苦しい息の下で、彼は自問自答を繰り返していた。なぜ――と。
「なぜ――」
寶達は問うた。
「なぜ、彼らは地獄へ堕ちたのですか。」
鬼王が悲しげな目を向ける。
馬頭羅刹がやや躊躇いながら答えた。
「この沙門達は、仏の禁戒を破りました。我々はこの者たちのことを特に、『大乗法師また冥夜のごとし』と申しております。各々『我は仏義を深く解し、仏法を得た』などと申して人に説いて歩いておりますが、多くは人を集めるための方便、または国王の信施供養を受けるためのもので、中身はなく、まさに徒に衆を引き、惑わす者どもでございます。困ったことに、この者どもは、自分のことを山海のように偉大なものと思い込んでおります。しかし実際は枯木の様なもので、皮は立派でも中身は腐り爛れており、使い物にはなりません。外側が立派でも、中身のない法を説いているのです。このため、この沙門どもは地獄へ堕ちたのでございます。」
仏の道が歪められている。寶達は項垂れた。
「彼らは地獄を出て人となることができても、聾、盲、瘄、瘂となって、正法を聞くことができないでしょう。」
鬼王が言う。
「生まれ変わった後にさえも、彼らは正しい法にはめぐり合えないのですね――」
寶達の目から涙がこぼれる。
寶達は悲しみ泣いて、この地を去った。