仏説仏名經卷第二十一 大乗蓮華寶達問答報応沙門経
寶達は、次の地獄へと進んだ。地獄を見下ろす楼閣で、鬼王が眼下を指す。
「寶達様、これが?声叫喚地獄でございます。大勢の罪人達が、この中に入り、耐え難い苦を受けております。」
眉根を寄せ、苦悩の表情を浮かべて、寶達はその地獄を見る。地獄に、炎が燃えるのが見える。沢山の沙門達が、西門に集められていた――
門の内から、地に響くような呻き声が洩れ聞こえてくる。西門に集められた沙門達は、皆不安げにその門を見つめていた。
門が、開く。
とたんに、地が震えるような呻き声が辺りに満ち、馬頭羅刹達が一斉に、門前に群れ集まった沙門達を追い立てた。怒声を上げ、手に手に鉄棒を取り、馬頭羅刹たちは手近の沙門の頭を突く。
なにが起こったのか判らないまま、沙門達は追われるまま、門に向かって走り出す――
ごう、という音と共に、灼けるような熱さを感じ、彼は自分がすでに地獄の中にいることに気づいた。
仏の戒を受けた自分が、なぜ――
ともかく自分が、どのようなところにいるのか、確かめようと顔を上げかけた時、彼は背中をしたたかに打たれて仰け反った。
「なにを――」
言いかけて彼は、自分の後ろに恐ろしい顔をした獄卒夜叉が、彼を睨み下ろしているのを見た。その手は、鉄棒を振り上げ、今にも振り下ろそうとしている。
なぜ、わたしが打たれねばならないのか――
訴える間も、考える暇もないまま、彼は獄卒の鉄棒を避けて走り出す。鉄棒が空を切る。
逃げ惑う彼の背後で、幾つもの鉄棒が振り下ろされ、あるものは空を切り、あるものは背や肩をかすめ、あるものは背や尻に打ちつけられて、彼に悲鳴を上げさせた。息が上がり、咽喉が鳴る。打たれているのは彼ばかりではないようで、其処此処から掠れた悲鳴が上がっている。
目が眩み、足をふらつかせながら逃げ惑う彼らを競い打ちながら、獄卒夜叉たちが笑う。もがき逃げ惑う彼らの姿が、獄卒どもには面白いのだろう。
ぽたりぽたりと足元に血が滴る。確かめることもできないが、肩から背、尻まで、身体の後ろ側が焼けるように痛い。
足がもつれ、転びかけた時、彼の目に東の門が映った。大きな扁額の掛けられたその門は、鉄の門扉を大きく開けていた。
もしや――もしやこの苦しみから逃れられるかもしれない。あの門は彼のためにこそ、開けられているのかもしれない――
力を振り絞り、彼は門へ向かった。
ぜいぜいと自分の息の音だけが聞こえる。咽喉が擦り切れるように痛かった。
ようやく、門が目の前に迫る。もう、すぐに手が届くというところで、しかしその鉄扉は、音を立てて閉じ始めた。
「――ああ……」
手が届かぬまま、彼の絶望の呻きと共に、扉はぴたりと閉じられ、彼は門に縋りつく。
門前の馬頭羅刹が、門に縋って喘いでいる彼の頭を、手にした鉄棒で強く突いた。
呻き声を上げ、彼はもと来た方へ、ふらりと足を踏み出す。獄卒夜叉達が、再び彼を打ちなぶろうと待ち構えていた――
沙門達の逃げ惑うのに合わせて、四方の門が開き閉じするのを、寶達は見た。僅かな希望に縋って、獄中を行き来する沙門達の姿を、寶達は悲しげに見つめた。
「彼らは、どうしてこのような罰を受けるのでしょう。」
「はい、寶達様。この沙門どもは、仏戒を受けながら慈しみの心を持たなかったのです。生前慈悲なく畜生を棒で打ったために、今地獄に堕ち、このような苦を受けているのでございます。」
馬頭羅刹が、そう答えた。
「寶達様――」
鬼王が云う。
「彼らは、地獄中を休むことなく追い回され、打ちなぶられて、昼夜なくこのように苦を受けます。東の門へ迎えば東の門は閉じ、西の門へ向かえば西の門が閉じる。東西南北の門は皆同じことで、けして出ることはできません。」
じっと、寶達は地獄を見つめる。その目には、涙が光っている。
やがてそっと顔を上げ、寶達は静かに地獄を後にした。