仏説仏名經卷第十四 大乗蓮華寶達問答報応沙門経
寶達はさらに次の地獄へと歩を進めた。
憂いに沈みながらも、その足取りに迷いは無い――
「寶達菩薩様、ここは[月*鬼]肉地獄と申します。」
鬼王が眼下の地獄を指して言った。
寶達は、眼下の地獄を見下ろす。そこには、沙門達の姿は無く、代わりにこれまで目にしたことの無い生き物が蠢いていた。
「寶達様、あそこに蠢いているものが、この地獄に堕ちた沙門達の成れの果てでございます。」
鬼王が、蠢くものを指してそう云った。
「あれが――」
寶達はそう言ったきり絶句する。
蠢いているものは、どことは無く人に似てはいるが、一丈ほどの大きさがあり、手足は無く、目も口もついてはいないようだった。
ぼんやりと、彼は目を覚ました。
辺りを見回し、彼は思わず悲鳴を上げそうになった。彼の周りには、人に似た芋虫のようなものが、無数に転がっていた。
飛び起きようとして、彼は自分の手足が動かないことに気がつく。見ると、己の手足がなくなっている。慌てて己の身体を見回すと、彼は周りで蠢く気味の悪いものと、自分が同じ姿をしていることに気がついた。
今度こそ、彼は、喉も裂けんばかりの悲鳴をあげた、はずであった。その、悲鳴がほとばしるはずの口が、無い。目だけは、ぼんやりとあいているような気がするが、それも定かではない。
――一体、どうしてしまったのか。
彼は、人であったはずである。沙門だったのだ。
確かに破戒もし、沙門としては褒められたものではなかったかもしれないが、少なくとも、このような得体の知れないものではなかったはずだ。
彼は、必死で考える。自分がどうしてしまったのかを。しかし、彼の思考は長くは続かなかった。
目の端に、彼は、なにやら恐ろしいものを捉える。周囲の人形芋虫達がざわめく。次の瞬間、彼の身体は、馬頭羅刹が手にした鉄鉤に跳ね上げられる。彼は、瞬時にして悟る。自分が、地獄へと堕ちたことを――
「一体、何の罪で――」
彼は、開かぬ口で訴える。獄卒は答えず(聞こえぬものか)、芋虫のような彼の身体を獄中へと投げ飛ばした。
どさり、と彼は身動きもならぬまま、獄地へと叩きつけられる。そこには、逆さに生えた鋭い鉄棘が、無様な芋虫を待ち構えていた。
鉄棘に身を刺され、彼は苦痛にのた打ち回る。のたうつ度に棘はその身を刺し、体中から吹き出る血は炎となって彼の身を焼く。
「なぜ、なぜ――」
苦しみ泣きながら身をくねらせる彼は、突然鋭い痛みを感じ、その身を跳ね上げる。彼の肉に、餓鬼が喰らいつき、傍らで狗が吹き出る血を飲んでいる。痛みと恐ろしさに、逃げ出すことさえ、彼にはできない。ただその身をくねらせ、のたうつことしか彼にはできなかった。
鉄の鳥が舞い降り、剥き出しになった彼の筋をついばんでいる。やがてすっかり食い尽くされても、再びもとの芋虫に戻され、苦しみが続くのだろう。
絶望にとらわれ、苦痛に身を苛まれながら、彼は届かぬ悲鳴を上げ続けた。
縦横四十由旬、鉄壁に囲まれ、鉄網に覆われたその地獄で、その奇妙な生き物は、無言で蠢いていた。
その動きは、緩慢であるが、けして静かなわけではなく、鉄棘に刺され、炎に焼かれて、彼らが非常な苦痛を感じているのが判る。また、餓鬼にその身を喰らわれ、鉄嘴に突付きまわされる苦痛から、何とか逃れようと、身をよじる様も哀れであった。
「彼らは、どのような罪を犯したのですか。」
寶達は、傍らの馬頭羅刹に問うた。
「お答えいたします。」
馬頭羅刹が言う。
「この者どもは仏の禁戒を受け、沙門となりながら無上の菩提を求めず、ただ現世の名利ばかりを求めた者です。また酒を貪り飲み、そのために法を破り戒を破り、三十六の則を失いました。よって今、この地獄に堕ちて苦しみを受けて居ります。この後人身を得ても、貧窮に喘ぎ、またその身は愚かにして、仏の教えを知ることは無いでしょう。」
寶達は悲しみに満ちた目で、蠢く彼らを見遣った。
声にはならぬ救いを求める声が、聞こえてくるような気がした。
寶達は悲しみに泣いて、この地を去った。