仏説仏名經卷第十一 大乗蓮華寶達問答報応沙門経
寶達は、次の地獄へと重い足を進めた。
「沙門地獄第十、飲火銖地獄に御座います。」
鬼王が告げる。
縦横三百由旬、鉄壁に囲まれたその地獄からは、沙門達の恐れ怯える声が響いていた。
「東門を御覧下さい。」
寶達は静かに頷き、もはや恐れることなく、しかし深い憂いを湛えて、炎に包まれた城壁に囲まれたその地獄の内を見下ろした。
東の門が開き、大勢の沙門どもが押し合いながら地獄の内へと追い込まれてくる。その数はおよそ八千と伝えられていた。
鉄の門扉を潜った途端、地獄内に満ちる熱気で沙門達の身の毛が炎を上げる。熱さと恐ろしさに泣き叫ぶ沙門どもを、馬頭羅刹は手にした三股の鉄叉で、地獄の奥へと追い立てた。
――お許し下さい。
――わたくしが、なんの咎で。
――お助け下さい。
様々に言い立てる沙門どもを、馬頭羅刹は睨みつけ、進めと怒鳴りつけ、進まぬ者は鉄叉の先に貫いて、奥に据えられた大鑊の前へと追い立てる。
大鑊の傍らには、獄卒夜叉が、追立てられてくる沙門どもを待っていた。
獄卒夜叉は鉄杓を手にして、傍らの大鑊に目を遣った。大鑊の中には、焼け溶けた鉄がふつふつと沸き返っている。彼は己の左手に目を遣る。手には鋭く曲がった鉄鉤が握られている。
最初の沙門が、彼の元に辿り着く。怯えた沙門は彼の前に出るなりその足元に平伏し、助けてくれと泣き叫んだ。
獄卒夜叉は無言で足元の沙門を睨みつけ、左手の鉄鉤を沙門の顔を掬うように打ち込んだ。
あああっ、と声が上がり、沙門が身を起こす。見開かれた目と口。大きく開かれた口の中には下顎から打ち込まれた鉄鉤の先が覗いていた。
獄卒夜叉の手が大鑊に伸びる。手にした鉄杓にたっぷりと滾る鉄を汲み、抉じ開けた沙門の口に灌ぐ。悲鳴を上げる間もなく舌咽喉が焼け、沙門は無言で手足をばたつかせ、逃れようと足掻いた。鉄杓が空になるまでたっぷりと溶鉄を灌ぎ込むと、沙門の体から煙が上がり、体中の毛穴から炎が吹き出す。それを見届けて、獄卒夜叉は打ち込んだ鉄鉤を外した。
目を上げると、無数の沙門達が鑊の前に引き据えられていた。恐れ怯えて逃げだそうとする沙門達を、馬頭羅刹が鉄叉で脅しつけている。
泣き叫ぶ沙門どもを次々に断罪しながら、馬頭羅刹と獄卒夜叉は、目を見合わせてそっとため息を吐いた――
「――あの者たちの口中に灌がれているのは、煮え滾る溶鉄で御座います。」
引き据えられる沙門達を悲しく見つめる寶達に、鬼王が言った。
「彼らは、日々こうした罰を受け、千万回も生死を繰り返して苦しみます。もしも人身を得ても、聾、盲、瘄、瘂など不具となり、仏名を聞くことができず、千仏が世に出るのを見ることはできないでしょう。」
「――あの沙門達は、このような罰を受ける何をしたのでしょう。」
寶達が、馬頭羅刹に尋ねた。
その顔は、憂いに沈んでいる。
「この沙門どもは、仏の浄戒を受けながらそれを守る心がありませんでした。人々に施された物を決められた時に食べることをせず、禁じられた夜間に食事をし、僧の食べ物を盗み取りました。他から施された物のみで生きるという戒律があるにも関わらず、それでは飽き足らずに、自分で作った物を口にして憚ることがありませんでした。そうした貪欲を戒めるためにこのような罰を受けているのでございます。」
「仏の示した浄戒が、これほどに失われているとは――。」
寶達は、悲しげな顔に涙を浮かべ、項垂れた。
「仏の教えが広まり、沙門が増えるほどに、戒律の威儀も忘れられてゆくのかもしれません。仏の浄戒を犯して恥じる心のない沙門どもが、まだまだここには大勢居ります。」
鬼王は、項垂れる寶達に、暗い面持ちでそう言った。
寶達は、悲しみに泣いてこの地を去った。