73. ソフィーの弟子 前編
「お久しぶりでごさいます、使徒様!」
翌朝、いつも通り祈りの塔を訪れた私たちは、珍しく神官長グレゴリウスから入り口で出迎えを受けた。いつもなら、彼はリュフトシュタインの近くで待っているはずだ。何かあったのかと訝しんでいると、グレゴリウスの後ろから一人の小柄な神官が姿を現した。
どこかで見たことがあるような気がしたが、思い出せない。肩まで伸びたさらさらの濃紺の髪に若菜色の綺麗な瞳を持つ少年は、明らかに私のことを知っている様子で挨拶をしてきた。ダメだ、全然わからない。いや、会ったことがあるような気はするんだけれど……
「これ、フランシス。ソフィア様がお困りであろう。いくら王都神官長のフランチェスコ様曾曾孫とは言え、次期ヘンストリッジ伯爵領領主様に名乗りもせずに話しかけるなど、無礼にもほどがあるぞ!」
「この人誰だっけ?」と私が一瞬悩んで返事をしなかっただけなのだが、それを「無礼な振る舞いを受けたせいで、女神の使徒の気に障った」と解釈したらしい領都神官長グレゴリウスが、少年を叱りながらチョップを食らわせていた。グレゴリウスが私に対してしきりに謝り、少年も恐縮しているが、別に怒っているのではない。彼が誰なのか思い出せないだけなのだ。
「グレゴリウス、そんなに怒らなくても大丈夫。多分、手紙に書いてくれた『白の魔力持ちの神官』なのでしょう? 今日は、わざわざここまできてくれてありがとう。あなたのこと、どこかで会ったことがあるような気がするのだけれど、どうにも思い出せなくて……」
「はっ……! そうでした、以前王都の祈りの塔に来ていただいた時に、私は自己紹介をしておりませんでした……!」
怒るグレゴリウスを宥めつつ、私は少年に向き直って正直にそう声をかけた。しかし、少年はそれを聞いて、しまったというような表情を浮かべたかと思うと、慌てたように跪き、
「大変失礼いたしました! 今回白の魔力持ちとして、微力ながら協力させていただきます、フランシスと申します。前回王都の祈りの塔にソフィア様がいらっしゃった時に、案内役と神官長フランチェスコの側人を務めさせていただいておりました……」
「……ああ、あの時の! 思い出した! こちらこそ、王都の祈りの塔で私にとても配慮して案内をしてくれたのに、忘れてしまってごめんなさい。どうぞ楽な姿勢を取って。これから、どうぞよろしくね」
そう言って、私は恐縮しきった様子のフランシスを立たせ、自分よりずっと背の高いフランシスに向かって右手を差し出した。フランシスはよくわかっていない様子だったので、私は伸ばした右手でフランシスの右手を取り、
「握手! これから一緒にがんばろうね、ってこと! ね、フランシス?」
「は、はい! ソフィア様!」
フランシスは右手を私にぶんぶん振られながら、驚いたような、でもとても嬉しそうな笑顔で頷いた。
「時間がないから、詳しいことはお勤めの後にしたらどうかしら。ソフィー、そろそろ準備をしないと間に合わなくなってしまうわ」
フランシスとの出会いで、思った以上に時間を取られてしまった。お母様が時計を見て声をかけてくれなければ、遅刻していたかもしれない。やばい、それはまずい。私は一旦フランシスとの話を切り上げ、慌ててリュフトシュタインへ向かった。
私に会うのがあまりにも楽しみで、お勤め前に声をかけて時間を使わせたことをフランシスがしきりに謝ってきたが、それは別に関係ない。私がきちんと時間を管理すればよかったのだ。人のせいにするつもりなんか毛頭ない。
「フランシス、気にしなくていいの。お勤めは私の仕事なんだもの、自分で時間も気を付けなくちゃ。
今は時間がないから、どうやって神獣を扱うかはあとで説明するね。とりあえず、近くで見学してて?」
「は、はい……。あの、エリアーデ様、ソフィア様がまだ5歳っていうのは本当なのですか? とてもそう思えな……」
私は演奏台に腰かけながら、フランシスへ返事をする。フランシスは近くに座っているお母様に何事かを話しているようだったが、最後までは聞こえなかった。
とにかく時間がないので、すぐにリュフトシュタインに魔力を与え、セッティングを手伝ってもらう。壁一面が白く光り輝き、パイプオルガンの全体像が見えたことで、フランシスが驚きの声を上げているのが聞こえた。そう言えば、王都ではほんの一部しか出せなかったのだ。驚くのも無理はないだろう。
「フランシス、王都のが本体で、これは分体だから王都のリュフトシュタインよりは小さいんだけど……これが神獣リュフトシュタインの全体像だよ。
今から『お勤め』をするから、私の手元と足元をよく『見て』、しっかり『聴いて』いてね」
私の斜め後ろで、呆然とリュフトシュタインを眺めているフランシスに声をかけると、私はスウェル・ペダルを踏んで今日のお勤めを始めた。
一曲目の『主よ、人の望みの喜びよ』を弾き終え、いつも通りコンビネーションを全てリセットする。
「つぎはまたあたらしいきょくにするのー? こんびねーしょん、どうするー?」
「フルフル、ハルモニア様が1曲は新しい曲って言ってたからね。でも、この曲のセッティングはこれだけだから」
「ん? 手鍵盤は第1手鍵盤だけでよいのか? ここと足鍵盤しかストップを操作しておらんようじゃが……」
「いいの。余計なものはいらないの。リュフトシュタインとしては、もっとたくさん音を使って欲しいかもしれないけど……この曲はね、これくらいシンプルな方が本来の美しさが引き立つと思うから」
私は、不思議そうにしているリュフトシュタインに微笑みながらそう答えると、バッハ様の平均律クラヴィーアを伴奏に、シャルル・グノーがメロディーを付けたあの名曲をゆっくりと弾き始めた。




