70. それぞれの思惑 その3
「それで? 今夜父上がわざわざ押しかけて来たのは、私にソフィーとのデートを自慢するためですか! だったら帰ってください! アイリーンの時も私だけ立ち会えなかったのに……父上がいつも私に仕事を押し付けてくるからですよ!」
初めてソフィーがレイモンドとデートに行った日の夜、上機嫌なレイモンドはタローム酒の樽を担ぎ、鼻歌を歌いながらアランの部屋を訪ねていた。しかし、昼間のことを騎士たちから聞いていたアランは、珍しく不満を露わにし、レイモンドをすげなく追い返そうとした。
「がははは! そのように妬くのであれば、アランも時間を作って出かけることじゃな! ソフィーと領都を制覇することにしたからの、アランも一緒にやるといいぞ、がははは!」
「領都を制覇……? いや、その前に父上は自分の仕事をちゃんとやってください!」
どうやらレイモンドは、残った仕事をアランに押し付けてソフィーとデートに行ったらしい。レイモンドはどこ吹く風といった顔をしているが、そもそもアランに領主をさっさと押し付けたのもレイモンドなのだ。仕事を押し付けられるのはいつものことだったが、今回はそれでソフィーと出かけたというのを知り、とうとうアランの怒りを買ったようだ。
「わかった、わかった。今後は善処するとしよう。そんなことよりのう、アラン。今日のデートでな、2つお前に報告しておきたいことがある」
レイモンドは雑にアランを宥めると、ソファに腰かけ、使用人にグラスを2つ持って来るよう指示を出す。そして、テーブルの横に置いたタローム酒の樽を開けながら、
「1つは、騎士からも報告が行っておるだろうが……ソフィーが領民の前で演説を行った。そもそも、お勤めをしておる時点でソフィーの存在は知れ渡っておるはずじゃが……。一応、広く領民の目に留まることになったからの」
「ええ、聞いています。言葉遣いは丁寧すぎたようですが、斬新なやり方で注目を集め、領民の反感を買うことなく速やかに道を開けさせたそうで。騎士たちも驚きながら話していましたよ。
大勢の人々を動かすということは、誰にでもできることではありません。子どもならば尚更です。今回の件で、領民がまだ5歳のソフィーに従ったということは、ソフィー自身に人を動かす才能があるのでしょう。ますますソフィーの将来が楽しみです」
使用人が用意したジョッキのようなグラスにタローム酒を注ぎ、それを2人して水でも飲むかのように次々に飲み干していく。別の使用人がテーブルに軽くつまめるものを用意すると、それを豪快に口へ放り込みながらレイモンドが続けた。
「そうじゃな。およそ5歳とは思えん所業じゃった。しかし、ハルモニア様が使徒に選んだのじゃからのう。それを考えれば、当然なのかもしれんが。
それとな、もう1つ報告があるのじゃが、ソフィーが領都の『地図』があれば欲しい、なければ勉強を兼ねて自分で作ってもいいかと言っておっての」
「領都の『地図』ですか……? 地図って、貴族院のエントランスに飾ってあるあの巨大な絨毯のことですよね? 国土の形とどこにどの領があるかわかる、あの絵のような代物ですか?」
「いいや、ソフィーは絨毯ではなく植物紙を想定しておるようじゃった。あんな大きな絨毯があってもどこにも飾れんだろう? そうでなくてな、手に持って歩き回れるような、そんな大きさの地図があるかどうかを聞きたいようじゃったぞ。……そんなもの、どこにもないであろうが……」
地図の話を不思議そうに聞いていたアランは、絨毯ではなく植物紙、そして手に持てる大きさと聞いてますます怪訝な顔になっていった。
「あるわけないじゃないですか。そもそも、地図なんて必要ですか? 領主も騎士もこの地で働くとなれば、真っ先にあらゆる領都の道や店を覚えるところから始まるのです。訓練すれば、地図なんて不要です。ソフィーは、一体なぜそんなことを……」
「わからん。だが、グラーベ文字の練習も兼ねておるようじゃし、ソフィアのすることじゃ。何か目的があるのかもしれん。あの子に危害が及ぶことでなければ、好きにさせてはどうじゃ。
それにな、領都の制覇は地図作りも兼ねておるらしいぞ。がははは、地図ができあがるまでは、儂らもソフィーとデートに行く口実ができたのじゃ! ソフィーはよくわかっておるではないか! がははは!」
「はあ……。よくわかりませんが、要は見て回った店を地図にして記録したいということでしょうか。その程度、私の許可を取るまでもないでしょう。どうせいずれ領主になったら、嫌でも全部回って覚えるんですから」
上機嫌なレイモンドとは対照的に、アランは尚も首を傾げ、ソフィーがなぜ今からそんな面倒なことをしようとしているのかを不思議に思っている様子だった。その後も2人は深夜遅くまでソフィーのこと、領地の警備のことを中心に、タローム酒を飲みながら話を続けていったのだった。
「ゆいー、なにしてるのだー? おえかきなのだー? まるとしかくとながいせんがいっぱいなのだー!」
入浴後に自室に戻った私は、普段勉強に使っている植物紙を取り出し、今日回った店のことを記録しておこうとおおまかな地図を描き始めた。
「うーんとね、『地図』って言って、どこになにがあるのかを書こうとしてるんだよ。真ん中の丸は、祈りの塔。領都は祈りの塔を中心に作られているでしょう? だから、ここを中心にまず12本の通りがあって、1番目の通りは屋敷に繋がっていて……」
私は、とりあえず今わかるところだけをざっと描いていく。今日回ったこところは、6番目の通りの奥にあるお店だ。こうして記録しておけば、どこになにがあるかわかりやすいし、間違って何度も行くことも無い。
「お爺様の話だと、お店と工房を合わせたら全部で300近い数になるみたいでさ。そんなにたくさんあるなら、絶対何がなんだがわかんなくなるって。とりあえず、場所と名前とどんなお店だったか記録しておかなきゃ」
「でも、そんなちいさなかみ、きっとぜんぶはいらないのだ。どうするのだ?」
「その時は、地区ごとに分けてまた書き直すよ。全部回るんだったら、いっそ地区別の領都地図とか作ってもいいし。お爺様、領都の地図は多分ないって言ってたしね」
ふむふむと頷いているソフィーを他所に、私は魔導ペンで描いたおおざっぱな地図に、できるだけ詳しい情報を書き込んでいく。
「私の勉強にもなるし、まだ地図が無いんだったら……いつかこれが役に立つかもしれないじゃない? 少なくとも、私の役には立つわ。楽譜じゃないんだから、300も覚えられる気がしないもの!」
「それはそうなのだ! ソフィーもおぼえられないのだ! ゆいができないなら、ソフィーもできないのだ! えっへん!」
なぜかできないことに対して胸を張っているソフィーだが、私のせいにして完全に開き直っているだけである。まあ、普段なんだかんだ一緒に勉強頑張ってるし、たまにはこれくらい大目に見てもいいだろう。そう思ってソフィーに笑いかけ、ソフィーの頭をよしよしと撫でながら、
「ちょっと。私はできないことを放り投げたんじゃなくて、できるように対策しようとしてるんだからね?
まあ、頭使うのは頑張るけど、鍛錬は対策しても本当にできそうにないからさ。ソフィー、これからもそっちは頼んだよ?」
「おお! ゆいがソフィーをたよってるのだ! むふふ、ソフィーにまかせるのだ! おじいさま、ソフィーがうけてたつのだー、わははは!」
ソフィーは、まるでお爺様のような高笑いを上げたかと思うと、ぴょんぴょん飛び跳ねて白の空間を移動し、見えないお爺様と一人で空中戦でも繰り広げ始めた。私は苦笑いを浮かべながらも、暴走するソフィーをとりあえず放っておくことにし、自分の手を動かすことに集中した。
ソフィーが地図もどきを作り終えて眠りについたころ。王宮のとある一室では、窓辺に置かれた椅子にでっぷりとした体形の男性が一人縛り付けられていた。
男性は焦点の合わない目に口からはよだれを垂らし、何事かをぶつぶつと言い続けている。部屋にはこの男性以外誰もいないはずだったのだが、月明かりでできた男性の影が揺れたかと思うと、やつれた赤髪の少年が床の影からすうっと姿を現した。
「父上……やっぱり、まだ治ってはいないのですね……」
少年は父親の様子を見て、落胆したような、それでいて安心したような複雑な表情で呟いた。父上と呼ばれた男性は、目の前に突然現れた少年に目もくれず、驚きもしていないようだ。
「父上……お気づきかもしれませんが、我が家の使用人たちがヘンストリッジ辺境伯爵家にあなたのしたことを訴え、助けを求めました。父上は今、王宮で軟禁されています。俺はなんとか一人でなら出入りはできますが、『命令』でも父上を連れ出すことはできません。魔道具の警備がとても厳しいのです」
少年はそこで一旦言葉を切り、父親の様子を伺うように一歩男性に近寄った。だが、男性はそもそも少年の存在に気付いてすらいないようだ。
「……今の父上には聞こえていないかもしれませんが……俺はヘンストリッジ辺境伯爵家で保護されることになりました。父上の手足となり、ソフィア嬢の情報を集めて流していたことも話したのに……それなのに、俺を保護してくれるって……」
少年は、何かと葛藤するように苦しそうな表情を浮かべながら、聞こえているかどうかわからない父親に一方的に話を続ける。
「俺……母上にも会わせてもらったんです。ソフィア嬢が、俺の願いを叶えてくれたんです……。母上は……ずっと俺たちのこと、見守ってるって……俺たちのことを愛してるって……そう言って昔みたいに……笑ってました」
少年は椅子に縛り付けられている父親に目線を合せようと、父親の前にしゃがみ込んで父親の顔を見上げるような姿勢を取った。それでも、父親の目はうつろで焦点が合わないままだった。
「俺、何をされても……父上が正しいんだって、ずっと思っていました。でも、俺には……もうそれもよくわからないんです。わからないから……俺は、自分がやりたいことをやります。父上はきっと怒ると思うけれど……俺は母上に会わせてくれた、ソフィア嬢の力に、手足に、盾になろうと思います。
だから……、もし父上が元に戻っても、どうか彼女を狙うのはもう止めてください……。俺たちを見守っている母上は、あんなことをしたって……きっと喜ばないと思うんです」
苦し気に顔を歪めながらそう訴えた少年は、言いたいことを言い終えたのだろう。ふうっと大きく息を吐くと、返事が無いのも気にせずすっと立ち上がった。そしてでっぷりとした男性の顔をもう一度見つめ、「もうここへは来ませんから」と静かに呟くと、再度影の中へと消えて行った。
その直後、ずっと焦点の合わなかった男性の目が突如ぎろりと動き、少年が消えた影をその視界に捉えた。しかし静まり返った闇夜の中、そんな小さな変化に気づいた者は誰一人としていなかった。




