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69. お爺様とデート 後編

 お爺様の一歩前に出た私は、どこまで広がっているかもわからないほどの人だかりと、歓声を上げ続ける領民たちを前に、笑顔を浮かべたまま頭を高速フル回転させていた。


 私たちの目的は、トラブルなく領民に道を開けさせ、領都を見て回れるようにすること。そのためには、まず領民たちが私たちの話を聞ける状態にしなければならない。とんでもなく騒がしい状態だが、うるさいからと静かにしろなんて言っても、静かにならないのが人間なのだ。


 考えを巡らせていた私の頭に、ふと中学校の家庭科の授業で参加した、保育園での実習体験の光景が浮かんできた。当然だが、保育園の子どもたちが好き勝手騒いでいる中で、「静かにしろ」と言っても静かになるわけがない。

では、保育園の先生たちはどうしていたかというと、「静かに」と言う前に歌を歌ったり、ピアノを弾いて子どもたちの注意を引いていた。そして、ちゃんとみんなが話を聞ける状態になったのを確認してから話を始めていたのだ。


 大人だってそうだ。うるさい中一生懸命話をしても、自分の声が届かなくてイライラするし、実際誰も聞いてなんかいない。騎士たちの話を全然聞いてないんだもの、子どもの私が声を張り上げたって、たかが知れている。だったら……みんなが黙って耳を傾けるような状況を作ればいい。


「よし。楽器は手元にないから、歌でも歌ってみようかな」


 私は笑みを浮かべながらそう呟くと、頭の中でとある美しい旋律のアリアの楽譜を開いた。そして領民に向かって大きく両手を広げると、思いっきり息を吸い込んだ。






「おや、ソフィア様がこちらに手を伸ばしてるぞ? 何か言ってるみたいだけど、聞こえないや。おい、みんな黙れよ!」


「しーっ! 使徒様が何かなさってるぞ、静かにしろ!」


「何かの歌のようだねえ。なんとも、胸に響くような歌声じゃあないか。ずっと聴いていたくなるねえ……」


 小さな銀髪の少女は、領民たちに向かって両手を広げたかと思うと、その身体を目いっぱい使って歌い始めた。聞いたことの無い言葉に聞いたことの無い旋律。驚いた領民たちは何事かと、少女に近い位置にいた者たちから徐々に口を閉じ、少女に黙って注目する人間の波が少しずつ広がっていく。








 G. プッチーニ作曲 歌劇『トゥーランドット』より、第3幕 アリア『誰も寝てはならぬ』


 プッチーニの最後のオペラであり、世界的にも非常に有名な作品だが、日本でも聞いたことがある人が多いだろう。というのも、以前オリンピックで日本のフィギュアスケート選手がこの曲で演技をし、当時日本勢初の金メダルを獲ったからだ。この美しいアリアとともに素晴らしい演技が何度もテレビで放映され、この曲が大好きな私としては二重の意味で嬉しかったことをよく覚えている。


 私は思いっきり息を吸うと、登場人物のカラム王子が一人で歌うテノールの旋律を、自分が歌える音域へと少し変え、囁くように歌い始める。


 この曲は、カルロ・ゴッツィの戯曲『トゥーランドット』を元にして作られたオペラだ。舞台は古代中国、絶世の美女「トゥーランドット姫」がカラム王子とのやり取りを通して愛を知る、美しくも壮絶な物語だ。


「Nessum dorma! Nessum dorma!」


 はじめは静かに語りかけるように始まるメロディー。この物語は、美しいトゥーランドット姫に求婚が殺到するのだが……姫と結婚したければ姫が出す3つのなぞなぞを解かねばならず、間違えたら首をはねられるという、なんとも恐ろしい設定で始まる。


 難しい条件を付けて求婚を断ろうとするのはまるで『竹取物語』のようだが、それと決定的に違うのは結婚の条件をクリアしてしまう男性が現れるところだろうか。それが、この「誰も寝てはならぬ」を歌うダッタン国の王子カラムだ。


「Tu pure, o principe」


 カラム王子は、なんと処刑を見に現れたトゥーランドット姫に一目ぼれしてしまう。彼は、目の前でペルシャの王子が処刑されたのを目にしながらも姫に求婚し、見事3つとも謎を解くのだが、物語はこれで終わりではない。


「Nella tua fredda stanza guardi le |stele,」


 心を閉ざしたわがまま姫は約束を破り、カラム王子の求婚を拒否するよう自分の父親である皇帝に訴える。その様子を見たカラム王子は、そこで姫にとんでもない提案をするのだ。『夜が明けるまでに私の名前を当てたら、私は潔く死にましょう』と。


「Che tremano d’amore e di speranza!」


 そして、ここからが多くの人が聞いたことがあるメロディーだ。ロマンチックで、一度聴けばきっと耳から離れないこの曲は、「誰も寝てはならない」というタイトルの通り「カラム王子の名前がわかるまで、国民の誰一人寝てはならない(寝たやつは処刑 by 姫)」なのだ。




「Ma il mio mistero e chiuso in me, il nome mio nessum pera!」


 少しずつさざ波のように広がっていった静寂の波は、どうやら見えないところの領民にまで広がったのか、いつの間にか辺りは水を打ったように静かになっている。私は、せっかく差し掛かった胸を打つような美しい旋律をできる限り届けようと、全力で全身に身体強化をかけ、口から、喉から、おでこから、歌声を響かせていく。


「No, no sulla tua bocca o diro, quando la luce splendera!」


 王子の名前がわかる前に寝た者は処刑するとまで言われ、誰もが必死でカラム王子の名前を探るがわからない。勝利を確信した王子が歌うこのアリアは姫への愛に溢れているが、このまま終わるわがまま姫ではない。


 「誰も寝てはならぬ」の最初の1フレーズを歌い終わったところで、見渡す限り皆黙ってこちらに注意を向けていた。ストーリーには続きがあるし、アリアの続きもあるが……ソフィーの身体で、この声量を維持して歌い続けたらすぐ喉が壊れてしまいそうだ。目的は別にあるのだから、歌はこれくらいにしておこう。この短時間で思った通りの成果だ。さすがはプッチーニの傑作の一つと言ったところか。




 私は両手を下して姿勢を整えると、再度声を張り上げた。


「今からみなさんに大切なお話をします。私が『以上』と言うまでその場を動かないように」






 動くなと言われた領民たちは、固唾を飲んでこちらを見守っている。前の方が動かないからか、良く聞こえていないであろう後ろの方の人々も前に倣って動かずに待っているようだ。


「私の愛するヘンストリッジ辺境伯爵領の領民のみなさん、まずは私をこのように歓迎してくれたことに感謝します」


 私はそう言ってにっこりと笑いかけた。だが、領民たちは私の動くなという言葉を守っているからか、次に何を言われるのかわからないからか、固まったまま動かない。


「今日は、騎士団長を務める祖父にお願いし、こうして領都まで来ました。私はまだお披露目前ですが、次期領主候補として領都にはどのような店や工房があり、領民のみなさんがどんな暮らしをしているのか、早くこの目で見て、聞いて、学びたいと思ったからです」


 本当は単なるお爺様とのデートなのだが、それは伏せておくことにする。とにかくここを通してほしいし、見て回りながらこの領の状況を知りたいのは本当だ。今はそこまでではないようだがゲームの設定上、貴族院高等部に入るまでにヘンストリッジ家は「超貧乏」になっているのだ。それを回避できそうな案を考えるためにも、白土以外の領内の現状も把握しておきたい。


 ここで一度言葉を切った私は、もう一歩前に出た。店に続く階段の一番上の部分まで来たことで、領民たちの顔が目前に迫っている。その領民たちを見回して微笑みかけながら、


「時間の許す限り、一つ一つこの目で見て回りたいのです。領民のみなさん、私の気持ちを汲んでくれませんか?」


 そう言うと、手を2回叩いて『以上!』と叫んだ。すると、止まっていた時が突然動き出したかのように領民散らばり始め、あちこちで怒号や歓声が上がり始めた。






「ちょっと、うちの店にソフィア様が来てくれるかもしれないんだよ! こうしちゃいられない、すぐに帰らないと!」


「おい、お前ら道を開けろ! ソフィア様の視察の邪魔だろうが!」


「しとさま、ぼくのいえにもきてくれるかなあ?」


「後ろの人たち、ソフィア様のお話聞こえたかしら? ねえ、ちょっと後ろに伝言で回しましょうよ!」


 人々がああでもない、こうでもないと口々に話しながらも大半は店の前から去り、残った者たちは私たちが通れるように、声を掛け合って道を空け始めた。


「ふうむ。いきなり歌い出して、一体何をするつもりかと思ったが……剣も抜かず、どけとも言わず……人々が話を聞ける状態を作り、ソフィーの意思を自らの意思として動くように仕向けたのか……。

 がははは、ソフィーはとんでもない子じゃのう! さすがはソフィア(神の叡智)じゃ、がははは!」


 ぞろぞろと長い道を作っていく領民を見つめていると、お爺様がいつもの笑い声を上げながら私の隣へとやって来た。そして私の頭をわしゃわしゃと撫でると、私の目線に合わせてしゃがみ、


「しかし、ソフィーがあのように言えば、領民たちは自分たちの店や工房に本当に来てくれるかもしれぬと期待するぞ? 

 今日まわることができるのは、多くても3か所ぐらいじゃ。とても全てなんぞ無理じゃぞ? できぬことを無暗に期待させるようでは、かえって領民の信頼を損なう。そこはどうするつもりじゃ?」


 と少し心配そうに小声で尋ねて来た。確かに、領民たちの期待に満ちた反応を見たら、そう言いたくもなるだろう。期待を裏切るのは、期待を持たせないことよりも(たち)が悪い。だから、私はお爺様の心配を取り除こうとにっこり笑い、


「おっしゃる通りだと思います。だから、私は自分が言ったことをできる限り実行したいです。いずれこの領地を継ぐためにも、領都のことを自分の目で見て学びたいのは本当です。ちょっとやってみたいこともあります。それに……」


 しゃがんでくれたお爺様に一歩近づく。そして、お爺様にいたずらっぽく笑いかけ、


「これからも、たくさん領都をお爺様と見て回りたいのです。そうすれば、お爺様とたくさんデートができます! お爺様とお話しながら、色々見て回るのはとても楽しいです!」


 私がそう言うや否や、お爺様は上機嫌で大笑いしながら私を両手で高く抱き上げてくるくると回し、ゆっくりと下して私の手を優しく握った。


「がははは! そうか、儂とのデートが楽しいか! よおし、毎月……いや、2週間に1回はソフィーとデートをする時間を取るからな! がははは、儂とソフィーで領都の店も工房も制覇しようぞ! 儂がどこでも案内してやるからの! ならば早速行くぞ、ソフィー! がははは!」


 「アランに自慢してやるからの!」と大声で笑うお爺様に手を引かれ、私は今日まず3件のお店を見て回った。文字のエミリー先生には、店の名前をメモするように課題を出されていたが、せっかくなのでそれぞれの店の特徴や価格帯なども書き取った。

 今日来た記念に一つ私のほしいものを買ってもらい、大量のスイートタロームを回収した私たちは、その後は領民が大量に寄ってくることもなく無事に帰路についた。






 これから数年にわたって定期的に続いていく、『お爺様とデート』と言う名の領都の視察もどき。これがまさか、将来ヘンストリッジ領の経済の立て直しに一役買うことになるとは……この時の私は、全く気付いていなかった。

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