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56. ヘンストリッジ男爵家の到着 その1

 明くる朝、お勤めを終えた私はいつも通りお爺様との鍛錬、そしてお母様とのストレッチ兼身体づくりを終え、お風呂で一旦汗を流していた。今日は親戚とは言え、お客様が来るのだ。汗臭い令嬢とかありえないだろう。頭も体もしっかりお湯で洗っておく。

 その後、リタに身支度を手伝ってもらって白の正装に身を包んだ私は、みんなと一緒にダイニングで昼食をとりながらヘンストリッジ男爵家の到着を待った。






「第2部隊の先触れが来たぞ。もう10分ほどで到着するそうだ」


日本で生活していた時とは違い、ここではリアルタイムで何時に着く、とか連絡を取り合うことはできない。到着も「お昼頃」とのことだったが、何時まで「お昼」と言ってよいのかわからないと思い、私は何となくそわそわしていた。

 そんな私の様子を察したように、13時近くになったところで、執事が持ってきた書面を受け取ったお父様がにこやかに告げた。


「うふふ、久しぶりのお客様ね。ソフィーが目覚めてからは初めてかしら。気を引き締めていきましょうね、ソフィー」


「ふん、相手はメイソンとキリアスであろう? そんなに気負わずともよい。ここはヘンストリッジ辺境伯爵領なのだ。儂がおれば万事大丈夫じゃ、がははは!」


 執事に先導され、一足先にダイニングを出たお父様の後を追い、お母様とお爺様に手を引かれて私もエントランスへ向かった。一体何が大丈夫なのか全くわからないお爺様はさておき、私は親戚の子であるキリアスがどんな子なのか、ちょっとだけわくわくしながら彼らの到着を待った。






「第2部隊、ただいまヘンストリッジ男爵家の皆様をお連れしました」


 エントランスのドアの両脇には、入り口近くからずらりと並んだ使用人、次にエントランス付近が持ち場の第1部隊の騎士たち、その奥にお父様、お母様、お爺様に続いて私が並んで待っていた。ほどなくして外から騎士の張りのある大きな声が聞こえてくると、それを合図に観音開きのドアを内側から使用人がゆっくりと開けた。


「え……?」


 ドアを挟んで両側に一列ずつ並んだ使用人たちが、一斉に同じ角度で礼をするその景色にも驚いたが、それ以上に本日のお客様のはずのメイソンとキリアスを見て、私はつい小さな驚きの声を上げてしまっていた。


「ソフィー、感情を表に出してはだめよ。お願いだから、ここは黙っていてね」


 上からお母様の硬い小さな声が降ってくる。私はびくりと肩を震わせると慌てて口をつぐみ、気を引き締めた。エントランスには、両肩をそれぞれ騎士に支えられてゆっくりと歩いてくる初老の男性と異常なほどに痩せ、文字通り死んだ魚のような目をしている少年が一歩足を踏み入れていた。






「あひゃひゃ、俺は誰だ? あひゃ、ここはどこだ? あひゃあひゃ、俺は何をしてる? あひゃひゃひゃ」


「……アランおじ様、エリアーデおば様、お久しぶりでございます。ソフィア様、お初にお目にかかります。こちらが父のメイソン・ヘンストリッジ、私が息子のキリアスです」


 騎士に連れられた白髪の混じる赤い髪の男性は、私たちの目の前まで来たが、焦点の合わない目で変な笑い声を上げ、絶え間なく大きな独り言を呟いている。その男性を見ようともせず、燃えるような波打つ赤髪に、光を失った若葉色の目をした少年が一歩前に出て私たちに挨拶を始めた。


「ああ。遠路はるばるよく来てくれた。どうやらとても大変な旅路だったようだね。キリアス、よく頑張ってくれた。

 しかし、メイソンは……まだよくなってはいないか。いや、滞在中に回復することもあるかもしれない。メイソンは客室に案内し、とにかく休ませるとしよう。キリアスは我々とお茶でもどうかな。昼食がまだであれば、こちらで用意させよう」


 キリアスの挨拶に応え、お父様が私たちを代表するように一歩前に出てキリアスと話を始めた。私はお母様の忠告通り黙っていたが、昨日聞いたメイソンおじ様が「体調が悪い」というのを大して重視していなかったことに激しい後悔を感じていた。


 体調が悪いと言っても、馬車で移動できるくらいだから、てっきり風邪を拗らせたとかだと思っていた。でもお父様を始め、誰もメイソンが一人でしゃべり、笑い声を上げ続け、しまいには開いたままの口からよだれがだらりと垂れていても誰も何も言わないのだ。「体調が悪い」はこれだったのだろう。まさに、気がふれてしまったと言うべきか。


 旅の途中で、突然自分の父親がそうなってしまったら……キリアスはどれだけ不安で混乱しただろうか。ぱっと見たところ、男爵家はメイソンとキリアスだけであとは連れてきた使用人のようだった。つまり、メイソンがおかしくなってしまった後、キリアスが男爵代理として指示を出し、ここまで来たのだろう。そんな大変な中、私は呑気に楽しみだなんて……。

 いや、それもそうだけど、メイソンはでっぷりとしているのに、なぜキリアスは異常なほど痩せているのか……。私の頭の中がキリアスへの心配でいっぱいになっている間も、彼はぎこちない笑顔をお父様に向けて会話を続けていた。


「ありがとうございます、アランおじ様。父上はそうしていただければ幸いです。私は、昼食はとりましたので、お茶でよろしければご一緒させてく……」


「あひゃひゃひゃ……アラン……?」


 キリアスがお父様に返事をしている途中で、突然それまで笑い声を上げていたメイソンの声が止んだ。キリアスが言った「アラン」という言葉に今突然反応し、焦点が合わなかった目に力が戻り、その目がお父様を捉えた。


「ああ。私だ、メイソン。久しぶりだな。体調はどうだ? さっきキリアスが……」


「アラン……、アラン! お前の、お前のせいだ! 殺してやる、殺してやるうううう!」


 メイソンと目が合ったお父様が、穏やかに微笑んで彼に声をかけ、一歩近づこうとした。しかし、その前にメイソンの様子がまた急激に変わった。それまでまるで「独り言をしゃべる人形」のようにうわ言を繰り返し、一人で歩くこともできなかったメイソンが、両脇を支えていた騎士を力一杯振り払い、大声で叫びながらお父様に飛び掛かろうとしてきたのだ。


「お父様!」


「構わん。手を出すな」


 私はつい声を上げてしまったが、それは騎士たちも同じだったようだ。とっさに剣を抜こうとした騎士たちを一言で止めると、お父様は掴みかかって来たメイソンをさっとかわして懐に入り、そのみぞおちに鮮やかに一発入れ、私が気づいた時には既にメイソンの動きを止めていた。


「うぐう……」


「客室へ丁重にご案内しろ。決して始末してはならん。暴れるようなら、最小限の怪我で済むよう意識を刈り取れ」


 どさりと床に崩れ落ちたメイソンは、それでも何事かを呟き続けていた。お父様は護衛騎士たちに客室へ連れて行くように指示を出し、メイソンを運ぶ騎士たちに続いて、男爵家の使用人たちが生気を失ったような顔でぞろぞろとついて行く。


「アイリーン……、アイリーンを返せ……」


 再度目の焦点が合わなくなったメイソンが、またうわ言のようにそう零しながら連れて行かれるのを、お父様とお母様、お爺様がとても苦しそうな顔で見送っていた。


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