50. エリアーデの特別講座
閉じた目の向こう側が明るいことに気付き、ソフィーを通して私の意識が再浮上する。そしてそっと目を開けると、私は自室のベッドに横になっており、お母様とお爺様、それからリタがそばで見守ってくれているところだった。
「ああ、ソフィ。気が付いたかしら。うふふ、聞いたわよ。なかなかいい動きをしたんですって?」
「おお、ソフィー、目が覚めたかのう! 今日は大目に見るが、訓練中に寝るのはいただけんぞ。儂が気づかずに叩きのめしてしまうかもしれんからのう、がははは!」
私が目覚めたことに気付いたお母様とお爺様が口々に声をかけてくる。リタはそんな私たちを見ながら穏やかに微笑んでいた。
「急に動いたからか、疲れてしまって……。眠ってしまってすみませんでした」
「気にしなくていいのよ、ソフィー。私だって、まさか今日いきなり模擬戦形式でやるなんて思っていなかったわ。身体の筋肉が大分傷んでいたから、治療しておいたわよ。痛みはないかしら?」
「むう、それでソフィーの力を引き出したのだ。儂は間違ってはおらんぞ」
どうやらお母様は、本当に今日は剣を振ってみるくらいだと思っていたらしい。お爺様は、私にあんな訓練をさせたことを相当責められたのだろう。口を尖らせ、子どものように拗ねているようだった。時々わがままなところを見せる、ソフィーの表情にそっくりだ。
「お母様、ありがとうございます。痛くはありません。ただ、なんだか身体がとっても重くてだるいです……」
「ああ、そうよね。回復魔法も万能じゃないの。痛みや傷を治療するはできても、酷使した部分に溜まった疲労を取ることはできないの。
そうね……、今日は午前のお勉強をお休みして、今から一緒にお風呂にでも入りましょう! その草やら泥やら汗を落とした方がいいし、身体を温めた方が疲労は取れやすいって聞いたことがあるわ」
「それが良いと思います。本日の時間割変更の連絡とお風呂の手配をしてまいります」
「ふむ。確かに風呂には入った方がよいな。リタがお前の身体を拭こうとしておったが、ソフィーがその前に目覚めたからの。一時間も寝ておらんかったが、体力や魔力は大丈夫そうかの?」
なるほど、回復魔法は傷の治療しかできないらしい。なんでも回復とはいかないようだ。
私はお母様やリタ、そしてお爺様に言われるがままお風呂に入ることになった。準備が整ったのと連絡を受け、お風呂場に向かい、湯船にゆっくりと浸かって身体を温めた。
しかし、さすがはヘンストリッジ家。当然、それだけで終わるわけがなかった。
「うぎゃああああ! お母様、もう無理、無理ですうううう!」
お風呂から戻ってきた私を待ち構えていたのは、元の世界であればヨガをする時に着ていそうな、身体のラインにぴたりと沿う服に身を包んだお母様だった。一体何が始まるのかと思いきや、身体があったまっているうちに、ストレッチをしようとのことだったのだが……
「いいえ、ソフィー。人間、無理なことなんてないのよ。うふふ。ストレッチをしておくことで、だるさも抜けやすくなるはずよ」
「……奥様、力加減が強すぎるのではないかと……」
家具が全く無い部屋に連れて行かれた私は、床にキルト素材のようなふわふわした大判の布を敷き、その上にお母様の指示通りに足を伸ばして座った。すると、お母様がいきなり後ろから私の背中を思いっきり押し始めたのだ。
久しぶりに、あの抱き殺されそうになったバカ力に晒された私は、背骨が折れるのが先か、足の筋が切れるのが先かと恐怖に震えながら必死に叫んだ。だが、お母様には全然届いていない。見かねたリタが、間一髪私とお母様の間に割って入ってくれなければ、どうなっていたかなんて想像したくもない。
「あらあ、とってもとっても優しく押したつもりだったんだけれど、ちょっと強かったかしら? じゃあ私はお手本をやるから、リタがソフィーのサポートをしてちょうだい」
お母様が悪びれなく首を傾げながらそう言って私から離れたことで、なんとか私の背骨も足も危機を脱した。お母様はまっすぐに伸びた美しい銀髪をポニーテールのように一纏めにし直すと、笑顔でストレッチの続きを始めた。
「ソフィー、ストレッチはとっても大事なのよ。こうやって、身体の疲れやだるさを取るだけじゃないの。闘うときだって、ストレッチを普段からやってない人はとっても不利になるのよ」
「闘う時もですか? どうしてでしょうか」
今度はリタにゆっくりと背中を押してもらったり、腕を引っ張ってもらったりしながら私はお母様との会話を続ける。
「もちろんよ、むしろそっちの方が大事なの。なぜって、まず身体が柔らかくなければ、攻撃を受けた時に避けられる範囲が狭くなってしまうわ。きちんとストレッチをして、身体が柔らかければ、心臓や頭を狙われた時もこんな風に避けることだってできるでしょう?」
そう言ってお母様は立ち上がると、勢いよく頭と両手を後ろに倒し、立ったままブリッジのような体勢になった。そして、そのまま左足で床を蹴ると、くるりと回転して元の姿勢に戻った。
「ね? 左右に避けてもいいんだけど、それだと避けきれなかったときにダメージを受ける部分が出てしまうかもしれないでしょう? 頭と心臓は、人間も魔物も同様に狙ってくるところなの。だったらいっそ、射程圏内から完全に外してしまえばいいのよ。こういうのは、身体が柔らかくないとできないのだけれど」
まるで、さっきのソフィーをもっとパワーアップさせたかのような動きをするお母様に呆気に取られていたが、お母様はそんな私の様子に気付かずに続ける。
「それに、普段身体をほぐしていない人が襲撃に遭ったとするじゃない? その時に慌てて身をよじったりして避けようものなら、あっという間に筋肉が攣って動けなくなるわ。反撃どころか、その一瞬の間にやられて終わりね」
「はい、次はこの体勢でここを伸ばすのよ」と指示を出すお母様に大人しく従っていたが、私の頭はお母様の説明でフル回転していた。
今までリハビリのために軽いストレッチはやっていたけれど、相手の攻撃を避けるための身体づくりとしては考えていなかった。しかし、言われてみれば、私は攻撃魔法が使えない上、剣術だってこれからなのだ。私にとって、どれくらい柔軟に攻撃を避けられるかは重要な要素になるだろう。これは真面目にやるべきだ。今のところ、盗賊の襲撃に遭って殺されることになっているのだから。
「そんなの嫌でしょう? それに、身体の柔軟性が上がれば、剣での攻撃の幅も広がるし、多少の体力も付くし、身体のラインも姿勢も美しくなるし、いいことばかりよ。最近の若い貴族は、身体が締まってないし、姿勢もラインも美しくない人が増えてみっともなくってねえ……」
最後の方のぼやきは途中から聞こえなかったが、とにかくストレッチはいいこと尽くめなのはわかった。お母様に手伝ってもらうのは怖いのでお断りしたいが、今後も剣術の訓練の前後に行うことになった。前世では、とんでもなく身体が硬かったので、毎日やるとどれくらい柔らかくなるのかも楽しみだ。
ソフィーがエリアーデのストレッチ講座に参加しているころ、屋敷の執務室で書類に目を通していたアランのもとに、ヘンストリッジ家の騎士がやって来た。執務室の扉が2度ノックされ、騎士の声が聞こえてくる。
「失礼いたします。アライア領からの街道警備にあたっております、第21部隊副隊長のモーリスと申します。隊長からの伝言を預かって参りました」
「うむ。入れ」
アランの声を待って、扉の側に控えていた執事がさっと扉を開けた。すると、モーリスと名乗った騎士は、一秒でも時間が惜しいとばかりに足早に入室し、アランの机から一定の距離を取って片膝をついた。
「何かあったか。話せ」
「はい。第21部隊は、アラン様のご指示の通り3つの班に分かれ、警備と情報収集を行っております。それらの班の情報を集約しましたところ、今朝早くヘンストリッジ男爵家と見られる馬車の一団がアライア領境に到着した模様です。アラン様のおっしゃる通り、あの街道を通るには馬車の警備が手薄すぎるので、これより遠方から護衛任務にあたるとのことでした。
現在2つの班が一団の左右に分かれ、街道の林の中から護衛を始めております。残りの1班は遊撃隊として、周辺の魔物や盗賊の駆逐にあたっているところです」
「やはりそうか。よろしく頼む。ヘンストリッジ領に入るところまでは、第21部隊で護衛せよ。今日この後、領都の第2部隊を領境に向けて派遣する。男爵家が領内に入ったところで、護衛を交代してくれ。
このペースなら、遅くとも面会予定日の前々日の夜には領内に入っているだろう。それまで変則的な動きになるが、第21部隊の皆によろしく頼むと伝えてくれ」
騎士の報告を思案顔で聞いていたアランは、報告を踏まえた上で手早く次の指示を出す。ヘンストリッジ男爵家は、ヘンストリッジ辺境伯爵家と親戚関係ではあるが、アランの祖父との兄弟という、かなり遠縁であること。また、その兄弟同士があまり仲が良くなかったらしく、男爵家は今でもこの屋敷の転移陣を使うことができない。
王都から陸路で来るとなると、アライア領からの長く見通しの悪い街道を通らなければならないが、そこは魔物と盗賊の頻出する場所だ。そして、男爵家の給金では、魔物や盗賊の相手をできるような傭兵や騎士を道中ずっと雇うのは困難だ。恐らく人数を絞っているのではないかとアランは予想していたが、その通りだったようだ。何もなければいいが、こちらに来る途中で貴族が襲撃に遭ったとなれば、ヘンストリッジ辺境伯爵家の外聞も悪い。だからこそ、アランは事前に護衛と警備の指示を出していたのだった。
「かしこまりました。ご指示の通り、連絡をしておきます。では、私はこれにて失礼いたします」
新たな指示を受けた騎士は、そう言うとすぐに執務室を出ていき、乗って来た騎馬を駆ってあっという間に屋敷を去って行った。
その姿を窓から見つめていたアランは、ふと手に持った植物紙に目を落とした。
「道中ももちろん、何もなければよいが……週明けにやって来るメイソンは、ソフィーにかけられた呪いに何かしら関わっているかもしれない。上手く話が聞き出せるか……いや、何も問題が起きずに面会を終えられるか……。ふう、準備をしなければならないことが山積みだな」
そう一人呟くと、アランは控えていた執事に、屋敷の警備にあたる第1部隊の隊長と騎士団長のレイモンドを呼ぶよう指示を出し、執務室の椅子に座り直した。




