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47. 真衣の決意 その1

「うう……、疲れたあ……。お姉ちゃん、仕事しながら毎週末こんなことしてたわけ? どれだけタフなのよ、ほんと……」






 姉の結衣を失ってから一週間以上たった頃、両親がそろそろ結衣のスマホを解約しようとしていたところ、一通のラインが入っているのに気づいた。


『結衣さん、お忙しいところすみません。こちらの中間試験が終わりましたので、来週の土曜日からまたご指導お願いします。来月の演奏会の動きについても、次回打ち合わせをさせてください。

次回の練習で、何か生徒への指示や準備物があればまたご連絡ください。 瀬川』


 両親より先に、私はこのラインの内容にピンと来た。お姉ちゃんがボランティアで指導に行っている、中学校の吹奏楽部の顧問の瀬川からだ。瀬川は、元々私の同級生であり、彼が最初にボランティアを依頼してきたのは私だったから、このやり取りの意味も分かるのだが……。


「お母さん、お父さん、瀬川はお姉ちゃんがボランティアをしている吹奏楽部の顧問だよ。私の同級生でもあるんだけど……。そう言えば、お姉ちゃんのことをまだ話してなかったから、私が電話で連絡してきてもいい?」


 両親が頷いたのを確認すると、私は姉のスマホと自分のスマホを持って、ベーゼンドルファーが鎮座する姉の部屋へと向かった。






「え……? お前、それ本当なの? 結衣さんが亡くなったって……」


 私と瀬川は中学校まで同級生であり、お姉ちゃんを含めて近所に住む幼馴染のような間柄でもあった。高校に入ってからは疎遠になっていたが、瀬川が中学校の先生になって近所の中学に赴任してきたこと、そしてサッカー馬鹿だった瀬川が、なぜか吹奏楽部の第一顧問になっていると聞いたときには、本当に驚いた。


 瀬川の勤める中学校は、私たちの母校とは家を挟んで反対側にあるのだが、十分近所と言えるくらい近い場所にある比較的新しい中学校だ。その中学校の吹奏楽部は、コンクールには出るが、創設以来銅賞しか獲ったことがなく、また部内の雰囲気もよくなかったらしい。その上吹奏楽部自体が、教師の中では最も負担の重い部活動の一つらしく、統率の取れていない吹奏楽部など、誰も持ちたがらなかったそうだ。

 そこで、楽器の経験もない、楽譜も読めないにも関わらず、新任の瀬川が体よく押し付けられた形だった。副顧問もおらず、いきなり指揮者までも任された瀬川は困り果て、最初に頼ったのが私だったそう。


 しかし、私は当時既に引きこもりだった。瀬川がうちに来て私が何かを教えるのであれば、なんとかいけそうな気がしたが、家から出るのは絶対に無理だった。困った私と瀬川がお姉ちゃんに助けを求めると、話を聞いたお姉ちゃんは即決で快諾してくれた。それ以来、お姉ちゃんは、瀬川がいつか指揮者として指導できるように教えながら、吹奏楽部の指導と演奏会の指揮者をこなしてきた。


「うん……。信じられないし、私は信じてないけど……」


「そっか……。俺も信じられんな。信じたくないな。俺もさ、散々お世話になったし、幼馴染だし……葬儀、行きたかったわ……まさか、こんなことになってるなんて、思ってもいなくてさ……」


「ごめん、あの時ほんと頭回ってなくて……自分でも何してたのか、全然覚えてなくて……」


 電話越しで、瀬川が笑って気にするなと言っている声がする。ただ、彼の声は思った以上に沈んでいた。


「……ねえ、さっきお姉ちゃんのスマホに来たラインを見たんだけどさ、お姉ちゃんなしで練習とか演奏会とか大丈夫? 次のボランティアはすぐ見つかりそう?」


「いや、こんな時に言うのもあれだけど……全然大丈夫じゃないな。俺は相変わらずスコアどころか楽譜も読めないし、毎回結衣さんが指揮棒振ってても、今どこ演奏してんのかすらわかんなかったし……。

ボランティア? そんなの簡単に見つかるわけないだろう……? うちの部はお金ないから、ボランティアって言うと、その……、本当に本当のボランティアで、謝礼はおろか、交通費すら払えなくて……お茶出すので精一杯なんだよ。そんな部に指導に来てくれる人なんて……」


 そう言いながら、瀬川の声が段々小さくなって、消えていく。そうだ。吹奏楽部は、唯一顧問または指揮者が生徒と共に舞台に立ち、本番を闘う部活動だ。指揮者の能力は、直接生徒の演奏に影響を与え、演奏の良し悪しに直結する。そもそもスコアが読めない時点で、瀬川が指揮することなんてできない。指揮者は、演奏者以上に大変なポジションだ。今の瀬川にはまだ無理だ。


「……ねえ、瀬川。次の演奏会って、お姉ちゃんが前から準備していたやつなんでしょう? だったら……私が代わりに指揮をやろうか?」


 気づいたら、私はそんなことを口走っていた。外は怖い。でも、お姉ちゃんが大事にしていたものを壊したくない。私は言うだけ言うと、自分の気が変わる前に電話を切った。そして、お姉ちゃんの指揮棒と譜読みの書き込みで真っ黒になったスコアの束を取り出し、ベーゼンドルファーの鍵盤を開けた。






「真衣、忘れ物はないかい? 母さんが銀行に行くから、ついでに学校まで送ってくれるって言ってたぞ」


 瀬川にあんなことを言ってしまった日から、私はピアノでスコアを全て確認し、お姉ちゃんの書き込みを読み込み、オーボエでも5曲分全てのパートを鳴らした。そして、部屋で発見したお姉ちゃんの練習ノートを見ながら、一回の練習の流れや全体合奏の仕方、各パートや個人の良いところ、今後伸ばすべきところまで、とにかく頭に叩き込んだ。


「そっか。随分朝早くから銀行に行くんだね」


 お姉ちゃんが死んでしまった時には、勢いで外に出た。でも、それ以来引きこもりに戻ってしまった私が、今度は『自ら』外に出ると言い出したのだ。私ももういい大人だが、両親が内心、とてつもなく心配しているのが伝わってくる。銀行だって、今はまだ朝8時前だ。そんな時間から開いているわけがないだろうに。でも、そのさりげなくサポートしようと頑張っている両親が、今はなんだか微笑ましく思えるくらい、私の心は落ち着いている気がした。


 怖くないかと言えば、大嘘だ。正直、すごく怖い。家から出るのも怖いけれど、今回はその上中学生に指導するのだ。いくら音楽の経験上は先輩とは言え、私に上手く指導なんてできるだろうか。そもそも、私なんかの言うことを聞いてくれるだろうか。お姉ちゃんがよかったのに、とか言われたらどうしよう。お姉ちゃんのために、お姉ちゃんが可愛がっていた吹奏楽部を守りたい。でも、私はお姉ちゃんにはなれな……


「真衣、お茶は持った? まだあの中学校はエアコンが付いてないから、音楽室はすっごく暑いって結衣が言ってたわよ。ほら、これも持っていきなさい。講師が倒れたら、生徒さんに心配かけちゃうわよ」


 私の思考が悪い方へ悪い方へと流れていきかけたところで、お母さんの能天気な声がそれをぶった切ってくれた。


「確かに。お姉ちゃん、水筒3本も持って行ってたから、登山に行くみたいなバックパックで行ってたもんね。お姉ちゃんのあれ、借りて行こうかな……」


 指揮棒も、スコアも、ノートもお姉ちゃんのものだ。お姉ちゃんのものがいっぱいあればあるほど、気のせいかもしれないけれど、お姉ちゃんが力を貸してくれそうな気がした。お姉ちゃんは、きっとそこらへんにいる。お姉ちゃんのために行くんだもん、バックパックも借りていいよね。


「準備はできた? じゃあ、私は銀行に行くから、その前に中学校に寄るわね」


 私は、水筒3本にスコア5冊、指揮棒にノート、筆記用具、愛用のオーボエとここ5年間決して抱えることのなかった重量感ある荷物を背負い、父に見送られて玄関まで来た。そして前を歩く母に先導され、すでに眩しいほど太陽が照り付ける家の外へと、一歩踏み出した。


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