33. エティエロ王子と第〇回王子会議
「エティ! 何ですか、今の態度は。使用人なんぞに礼など言うものではありません。平民や貴族におもねるような真似など、我ら王族のすべきことではありません」
俺の名前は、エティエロ・ローエングリン・ミネルヴァ。ミネルヴァ王国の第3王子であり、ローエングリン公爵家の末娘、王妃フローラの一人息子だ。
「思っていることを口に出すなんて、はしたない。人に気持ちを気取られるような言動をしていては、一国の王になどなれません」
母上は、とても美しく、そして厳しい人だった。俺と同じ金色の髪に青い目。俺は、以前の母上にそっくりらしい。実際、姿画に描かれた母上はとても美しい人だった。物心ついた時にはやつれ始めていたけれど、それでも俺は母上がこの国で一番綺麗な人だと思っていた。
「エティ、決して他人に侮られるようなことがあってはなりません。あなたは未来の王なのです。常に、相手にそう感じさせるような態度を取らねばなりません」
俺は、4歳になる前まで母上のそばで暮らしていた。それまで、母上は一日中俺と一緒にいて、色んなことを教えながら、母上から見た『王族としてふさわしい態度』がどういうものかを教えてくれた。母上は、正妃の息子である俺がきっと次の王になるから、と言っては厳しく注意し、時に頬を強くぶたれることもあった。痛かった。でも、それは母上が俺のことを思ってだと今でも信じているし、子どもである俺にもひしひしと伝わってくるくらい、母上は必死だった。
「ねえ、エティ。あなたは、ずーっと私の味方でしょう? あなたが王にならなかったら、私はどうなるの? ……うふふ、第1王子が王になるなんて、そんなことは起こらないわよねえ。だって、あなたは私のたった一人の子どもですもの。あなたが王になるに決まってるわ。そうよね、エティ? うふふ……」
俺が丁度4歳になったころ、第1王子のアンドロスが『知性の女神メティス』の加護を受けたという知らせが入った。女神メティスの加護は、王の資格というわけじゃないけれど、父上も持つ特別な加護だ。それが、俺じゃなくてアンドロスに与えられた。
俺はアンドロスどころか、他の王子にも会ったことがなかった。母上から会うことを禁じられていたからだ。それに、特に会いたいとも思っていなかった。でも、会わざるを得なくなった。アンドロスに与えられた加護のせいで、母上が壊れてしまったからだ。
母上は、自分に長く子どもができなかったせいで、父上が側妃を娶らなければならなくなったことに負い目を感じていた。15年もかかってせっかく子どもができても、2人の側妃には子どもが3人ずついるのに、自分には1人だけ。一人息子が王にならなければ、自分も、息子も王宮での立場が危うくなるかもしれない。
でも、きっと陛下は正妃である自分の子を王にするはず。そうなるように、厳しく、王にふさわしくしつけておけばいい。そう母上が思っていたところで、加護の差が生まれた。母上の恐れていた通り、王宮では次期王太子は第1王子かとの噂があちこちで流れ始めた。
そして、母上は壊れてしまった。俺にはどうにもできなかった。もう俺のことも、誰のことも、ずっと毎日会いに来てくれていた父上のことだって、目に入らなくなったみたいだった。俺も、父上も目の前にいるのに、「誰も私に会いに来ない! みんな裏切者よ! レドは、エティはどこなの!」と泣き叫ぶようになっていた。
「エティ。フローラは思い詰めすぎてしまったようで、少し具合が悪くなってしもうたようじゃ。しばらくは、フローラを離宮で療養させようと思うてのう。エティは、このまま王宮に残ってもらおうと思うがどうかの? 他の王子たちには余がよく言い聞かせておくゆえ、フローラがいなくてもお前のことをきっと助けてくれると思うが……」
父上からそう言われたのは、そのあとすぐだった。俺は加護の話が出てきた頃から、段々母上が怖くなっていた。時々、俺のいない方向を見ながら「このまま、エティを殺して私も……」と言っていたのは、意味はよくわからなかったけれど、なんだかすごく恐ろしいことのような気がした。だからもし、母上が離宮で休めばよくなるかもしれないなら、その方がきっといい。
そして、俺が王になって母上を守れるようになれば、母上も元気になるはず。殴られても、怒鳴られても、俺にとってはたった一人の母上だ。国王として、本当はどの王子にも平等に関わることができない父上と違って、母上はずっとそばにいてくれた。その母上には、俺しかいないんだから。
ははうえ、いつかげんきになったら、おれのことをほめてくれるでしょうか?
ははうえがいなくてもがんばったおれを、だきしめてくれるでしょうか?
おれは、これから、ひとりでもがんばります。
ははうえのいうとおり、だれもがひれふすおうじになります。
おれが、ちちうえのぶんまでははうえをまもるから、はやく、はやくかえってきて……
父上の言うことに従って、他の王子と生活し始めてしばらくしたころ、ある公爵が俺に話しかけてきた。
「はあい! では、なんかいめかわからないけど『王子会議』をはじめるのー。きょうのしかいは、リュカなのー。はくしゅー」
ソフィーが退室した後、王子たちは執事兼護衛を一人残し、他の使用人に持ち場へ戻るように指示を出した。大人たちの話し合いの間、ソフィーをもてなすという仕事は終わったのだ。ここから先まで全員を拘束する必要はない。
「セバスはなにかあったときはおねがいねー。でも、これはぼくたちのしゅみだから、まってるあいだ、すわってゆっくりしてていいからねー」
「リュカ王子、お気遣いありがとう存じます。しかし、私にとっては王子殿下をお守りするという大切なお仕事でございます。このまま、立ったままで警戒に当たらせていただきとう存じます」
「うん、セバスがいいならいいのー。あとはおまかせするのー」というリュカの間延びした声を合図に、今日の王子会議がスタートする。このやり取りも毎回のことのようだ。
「はいはーい! きょうのソフィーのおはなし、おもしろかった! 『女神の使徒』ってなんだかこわそうだとおもってたけど、ソフィーはいいこだったね! エティのこともおこらなかったよ?」
「はあ、やさしいのはやさしいけど……そもそもエティはそのわるくちいうの、どうにかならないの? レディーにはやさしく。これきぞくやおうぞくならきほんってせんせいがいってたよ? せめておんなのこには、やさしくおはなししようよ?」
まずは、ユーゴー王子が椅子に座って足をぶんぶん振りながら楽しそうに話し始めた。それに続いて、リカルド王子がテーブルに頬杖をつきながら不満そうに言う。
「ユーゴーもリックもうるさいぞ。おれは、あんなやつきょうみないし、あいつが『女神の使徒』だなんてみとめないからな。どいつもこいつも、かってなことばかりいいやがって……」
いの一番に槍玉に挙げられたエティエロ王子が、ぷいっと顔を逸らしながら言い返す。それ見て苦笑いしながら、
「でも、一番ソフィーにきょうみがあったのはエティでしょ? 父上のお部屋にしのびこんでカロー男爵との話をぬすみ聞きして、ソフィーにぼくたちを会わせてもらえるようにたのんだのはエティじゃないか。父上にしこたま怒られても、そこだけはってお願いしたんでしょう?」
「うっ……それは、あいつがいきのこったとくべつなやつで、『女神の使徒』だってきいたから……なにか、すごいやつかとおもうじゃないか! もしかしたら、おれだって『神の加護』をえられるような、そんなほうほうをおしえてくれるとおもったんだよ! なのに……なのに、なんだよあいつ。ほんとうにつかえない……」
「はあい、エティ、ひとのせいにしちゃだめー。そもそも、エティのせいでちちうえはあぶないところだったのー。あれは、『国家の最高機密』っていってたのー。おうぞくのぼくたちはしっててもいいけど、むやみにいいふらしちゃいけないのー」
ソフィーは知る由もないが、今回の王子とのおしゃべりタイムは、エティエロ王子主導で組まれたものだったらしい。自分のしたことを反省するどころか、この場にいないソフィーに文句をまき散らすエティエロ王子を、リュカ王子が再度窘める。
「そうだよ、ぼく、ちちうえがけいやくをやぶってどれいになるのいやだよ? エティは、ちちうえがどれいになってもいいの? ぼくはエティがそうなるのだっていやだ。ルールはだいじ。ちちうえのおしごとはだいじなことがいっぱい。じゃまはだめ」
「うっ……、べつに、ちちうえにめいわくをかけたいわけじゃない……おれは、おれはただ、みんながしらない、おれだけがしってることがほしかっただけで……」
リュカ王子の「あぶないところだった」という言葉を受け、ユーゴー王子がその目に涙を浮かべながらエティエロ王子を見つめて訴える。エティエロ王子は、わかりやすく狼狽えて口をもごもごさせながら言い返すが、その声は段々小さくなって聞こえなくなっていく。
「ねえ、エティ。嫌味に聞こえるかもしれないけど、エティがどんなに嫌な言い方をしようが、嘘をつこうが、悪役になろうとしようが、ぼくには『真実の声』が聞こえるんだ。時々声がぼやけちゃうから、エティにもこれで合ってる? って確認するけどさ……そんな嫌なことばっかり言ってないで、本当にエティが思っていることを言ったらいいんじゃないのかな」
そう、『知性の女神メティス』の加護を受けたアンドロスは、言葉を発する相手の本心が別の声として聞こえてくる『真実の声』と呼ばれる力を得ていた。同じ神様の加護を受けても、それで得るものは同じとは限らないが、王族としてはとても便利な力を手に入れたものだ。
そんなアンドロス王子の言葉に、エティエロ王子は悔しさを露わにしながら、またテーブルを怒りに任せて両手で思いっきり叩き、
「おまえにおれのなにがわかる? 『真実の声』なんて、あてにならないじゃないか! おれがこうなったのはだれのせいだ? おまえじゃないか! おれじゃなくて、おまえがかごをうけるから……!」
ここで一旦言葉を切った。そして、涙を堪えながら、
「ははうえは、おれはこうすべき、おうになるにんげんとしてふさわしくなるべきだっていった! このまえあったボールドウィンこうしゃくだって、このおれが、おうじのなかでいちばんとくべつ、いちばんおうにふさわしいっていったんだ! おれはただしい! これがおれのほんとうのきもちだ! わかったようなかおで、かってなことをいうな!」
そう言い切ったところで、癇癪を起したエティエロ王子は、大泣きしながらテーブルの茶器を床に叩き落とし、椅子を小さな足で蹴飛ばし、部屋から飛び出して行った。突然部屋の扉が勢いよく開いたことに驚いた近衛兵たちだったが、巡回していた兵士のうちの何人かがセバスの方をちらりと見たかと思うと、急いでエティエロ王子の後を追いかけて行った。
「……はあ、またぼくはやっちゃったかな。『エティの声』は、エティといつもちがうことばかり言っているから、てっきりエティは不器用なだけかと思ってたんだけどなあ……」
「おんなのこにやさしくしないおとこはだめなやつなんだよ。エティはさぼってばかりだから、きっとおべんきょうがたりないんだよ」
「にいさまはわるくないのー。エティはわるいこじゃないとおもうけど、にいさまがつうやくしてくれないとわるいこにしかみえないのー。ひどいこといってるってことも、ぜんぜんきづいてないのー。よけいわるいこなのー」
「でも、それがおうになるためにひつようだって、おうひさまにおしえられたってことなのかな? ボールドウィンこうしゃくもなの? ちちうえをみるかぎり、エティのたいどっておうさまらしくないって、ぼくはおもうよ?」
エティエロ王子が出て行ったあとも、4人の王子会議は続いた。この4人は生まれた時から比較的一緒にいる時間が長く、お互いに仲良しだった。そこへ、去年からエティエロ王子が入ってきたが、療養中の母親と離れ離れになって、辛い思いをしていると色んなところで聞いていた。父上の願いもあったが、自分たちが政治的に、権力的にも狙われたり利用されたりすることも、なんとくわかってきている。だからこそ、あんなに我儘でもエティエロ王子をもちろん見捨てるつもりはないのだが……
「……ねえ、ぼくがもし、この5人の王子の中で誰かを利用してやろうと思ったら……ぼくはエティを選ぶと思う。エティは自分を特別あつかいしてくれる人によわいもん」
「ぼくもー! エティをだますのってかんたんなのー。ちょっとほめてあげたら、すぐしんじちゃうの! あぶないのー」
セバスが、エティエロが座っていた椅子をそっと起こしたのを見ながら、ふと思い出したようにアンドロス王子がそう呟く。するとリュカ王子を始め、残りの二人もそれに同意しながら、4歳から6歳の子どもにしては背伸びした、いや王子という特殊な環境の子どもだからこその会話を続ける。
「まえに、ちちうえが『幼い王子は特に貴族に狙われやすい』っていってて、せんせいたちもきをつけてるっていってた! エティのせんせいたちはどうしてるのかな? あ、おべんきょうさぼってにげてるから……」
「うーん、このままだとエティは危ないかもしれないね。エティは今、王妃様っていう味方もいないし、使用人も先生もエティを注意できないし。エティは嫌がるだろうけど、ぼくたちが守ってあげないと、いつか父上だってこまってしまうかもしれない」
ユーゴー王子の言葉に、はっとしたようにアンドロス王子が続ける。彼らは王子だ。すでに、様々な貴族や貴族の子どもたちに非公式ながら会ったことがある。しかし、そのどれもが自分たちにおもねろうとする者や媚を売ろうとする者、誰が国王になるか見定めようとする者、隙あらば利用してやろうとする者ばかり……
王子というその立場上、これは仕方のないことかもしれない。だが、幼い王子たちが貴族不信になり、自分たちで身を守らねばと思うには十分なくらい、すでに貴族の嫌な部分を見すぎてしまっていた。
「いいのー、エティのわるぐち、もうなれたからへいきなのー。エティはちょっとへんだけど、にいさまのおかげでほんとうにわるいこじゃないのはしってるのー」
「ぼくもたすけてあげる! そして、ちゃんとエティにおんなのこをだいじにしなきゃいけないってことをおぼえさせるの! ぼくがんばるの!」
「エティはひとりでさびしい。ぼくたちがいなかったらほんとうにひとり。それはかわいそうだもん。ぼくも、ちちうえのぶんまでまもってあげるの! ぼくたちがなかよしだったら、ちちうえもよろこぶよ!」
ため息をつきながら話すアンドロス王子に、リュカ王子、リカルド王子、ユーゴー王子が次々と助け船を出す。そんな微笑ましい王子たちの姿に、セバスもつい笑みをこぼしながら彼らの話に耳を傾けている。
エティエロ王子は結局戻って来なかったが、4人の王子は次のお勉強の時間が来るまで今後自分たちにできることを話し合っていた。王宮だって、身内を除けば本当に信頼できる人間は多くはない。誰がどこでつながっているかわからないことくらい、幼くても彼らにはわかっている。彼らのことをよくわかっているセバス以外がいるところでは、こんな話はなかなかできないのだ。
「ソフィーは、今まで会った貴族とちがったね。ぼくたちに興味がないのもそうだけど、『王子とできるだけ関わりたくない』って言う人ははじめてだ。どうしてなのかは聞こえなかったけど、なんだかあの子は面白そうだ。ぜひ、また会いたいな」
時間になって教師たちが呼びに来たので、それぞれの王子が椅子から降りて部屋から出ていく。最後に残った一人が、陛下によく似た仕草で目をキラリとさせながら、小さく呟いたが、それを聞いていた者は誰もいなかった。




