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19. ある工房の娘とグラナディラ

「親方……無事、終わりましたね……よかった、本当によかった……」



 早朝から疲労を顔に滲ませつつ、大仕事をやり遂げた晴れやかな顔をした職人たちが、万感の思いを込めて小さな櫛を見つめている。



「ああ、みんなご苦労だった。うちの工房始まって以来のお貴族様からの依頼だ。この出来なら領主様にもきっと喜んでもらえるだろう」



親方と呼ばれた体格のいい30代後半くらいの男性が、小さな黒い櫛を綺麗な布にそっと包み、この工房の焼き印の入った小箱に丁寧しまいながら続ける。



「特に、このラナンキュラスの彫刻はよく考えたな。トレッサ、よくやった。領主様にもこの意味をきっと伝えよう」



 そう言って、親方は少女の頭をよしよしと撫でながら満足そうに笑った。











 ここは、ヘンストリッジ辺境伯爵領の領都にあるアルダー工房。夫婦と数人の職人で営む小さな木材加工工房だ。



 そして、私の名前はトレッサ。このアルダー工房の親方の娘で、先月15歳になって正式に職人の仲間入りをしたばかり。

 この国の職人は、7歳から奉公というお手伝いや雑用を始めて、12歳からは見習いとして少しずつ職人としての仕事を学び、15歳になるとようやく一人の職人として認めてもらえるようになる。



 私は小さいときから、太めの針のような刃物を使って木に絵を描くのが大好きだった。特に花を描くのが得意で、木の表面に本当に花が咲いているみたいに立体的に彫ることもできる。

 アルダー工房では、普段は特に装飾を付けずに、テーブルや椅子を様々な木材を使って作っていた。しかし私が遊びというか、趣味の一環でやっていた彫刻を見ていた親方が、今回とんでもない仕事を私に振ってきた。







「グラナデュラの木で、櫛を作ってほしい? それも、何か装飾付きで?」



 2週間ほど前の朝、私は親方のところに呼び出された。なんと、領主夫妻から直接贈り物の用意を依頼されたらしい。

 親方に詳しく聞いてみると、どうやら病気で寝込んでいた一人娘のソフィア様に、誕生日プレゼントと病気の快復を祝って贈り物をしたいとのこと。櫛にしたのは、病気の影響を受けた髪の毛を短く切ったので、これから綺麗に伸ばすためだそうだ。



「なるほど、確かに綺麗に髪を伸ばすなら、櫛は絶対必要だと思いますけど……櫛なんて、他の工房でいくらでも作ってるでしょうに。なんでうちみたいな、小さな工房に依頼が来たんでしょうか」



「それは俺も不思議で聞いてみたんだ。それがな、実はグラナディラの木の加工は、もう他のところはやめちまってるんだってよ」



 え、他はグラナディラを加工してないのか。それは知らなかった。いや、あれは『ハズレの木』だもんな、仕方ないか。







 グラナディラは、この国では魔素の多いヘンストリッジ辺境伯爵領に最も多く生えている木の一つだ。この木の外側は茶色だが、木の年輪部分が真っ黒な木だ。ただ、一口に木と言っても、他の木とは全然違う。

 まず、ものすごく硬いので他の木と同じ道具では切れない。金属を加工する時に使うような道具が必要だし、力も技術も要る。

 その上やたら重いし、比重がとても高い。それはものすごく丈夫だという意味でもあるんだけれど、加工がし辛い上、水に沈んでしまう。水に浮かなければ船には使えないし、家に使うのも硬すぎて加工が大変だ。

 だから、たくさん生えているのにほとんど需要が無い木で、職人たちの間でも加工が大変な割に人気が無い『ハズレの木』としてある意味有名な木だ。



 うちで加工しているのは、単に親方の趣味だ。親方は、お金にならなくてもせっかく領地にたくさん生えてるんだから、この木を何かに生かせないかとテーブルや椅子、本棚みたいに硬くても加工がそんなに難しくないものをグラナディラで作っていた。



「親方の趣味が、この工房にこんな大きな仕事をもたらしちゃうなんて……」



「ほんとだよな。それでな、お前に頼みがある。うちの職人の連中でも、櫛は問題なく作れるだろう。でも、櫛に装飾といえば彫刻だが、うちにはお前以外グラナディラに彫刻できるやつなんかいない。ほんとはこんな責任重大な仕事を、まだ下っ端のお前にやらせんのは荷が重いとは思うんだが……」



 親方は心底心苦しそうにしながら私に言った。無理もない。だって、うちで初めてのお貴族様からの依頼なのに、その中でも重要な装飾の部分をこなせそうなのが、職人なりたての自分の娘なのだ。もし万が一、満足してもらえるようなものが作れなかったら……

 でも依頼を断ることもできない。領主様がグラナディラの櫛を欲しがっているのに、作れそうところがうちしかないんだもん。



「親方、私なら大丈夫。ちょっと緊張はするけど、これってとっても名誉なお仕事でしょう? 最高のものを彫ってみせるから! お父さんが付けてくれた、『器用』のトレッサの名に恥じない、素晴らしいものをね!」



 私は、親方を安心させるように笑って引き受けた。その後、領主様からの依頼を詳しく聞こうとしたが、彫刻のデザインは任せてくれるらしい。よし、腕によりをかけて作ろう。











 そうして、約束の2週間後の早朝。先輩の職人たちが櫛の本体を作り、私が装飾を施した黒く美しい櫛が完成した。櫛の歯は細く、滑らかに磨かれ、髪が引っかからない様に丁寧に仕上げられている。花油によってしっとりとした艶を持つ櫛の中で、その持ち手の部分には何枚ものたっぷりとした花びらが美しい、ラナンキュラスが咲き誇っていた。



 そして冒頭に戻る。誰もが初めての大仕事で、担当でない職人たちも含めてみんなが緊張から解放され、工房全体の空気がほっと緩んだのを感じた。私もなんだか肩の荷が下りたようにほっとしたし、ソフィア様のためにラナンキュラスを選んだのだ。気に入ってくれると嬉しいな。



 私はそんなことを考えながら、ふと、そういえば、みんな櫛の出来が気になって、朝ごはんも食べてないで工房に来ていたことに気付いた。当然仕事前の、祈りの塔にも行ってない。私自身、安心したらなんだかお腹が減ってきてしまった。



「親方、そろそろ朝食にしませんか? ほっとしたら、朝ごはんを忘れてたことを思い出しました。みなさんもそうなんじゃないですか? それに、いつも仕事前に行ってる祈りの塔も忘れていますよ」



「おお、そうだな! 俺たちが飯のことを忘れるなんてな! よし。交代で飯食って祈りの塔に行くぞ。食う順番はいつも通りな。あとは、朝の開業作業を各自始めとけよ」



 親方がそう指示を出すと、職人たちがそれぞれ動き出した。私は、親方や同じグループの職人たちと食事を摂って、祈りの塔に歩いて向かった。








 この街の多くの人が、毎日祈りの塔に足を運んでいる。それが日課の人もいれば、何か祈りたいことがある人もいるのだろう。私は生まれた時から両親に連れられて毎日通っているし、見習いを始めてからは仕事前に行くのが日課になった。神様云々というよりは、朝起きて歯を磨くのと同じくらい、私の日常の一部になっているからだ。



 でも、その日の祈りの塔はなんだかちょっと雰囲気が違った。よく見ると、最前列の方に白い騎士服の人たちがいる。



「お、領主様たちじゃねえか! 見ろ、トレッサ。あの短い髪の子がソフィア様らしいぞ」



 親方が、塔の後ろの方にある長椅子に座りながら、私に教えてくれる。最前列までの距離はそんなに遠くない。私が目を凝らすと、騎士服の大人たちに囲まれた小さな銀髪の子どもが見えた。



 病み上がりだと聞いていたソフィア様は、少しやせてはいるものの、元気そうに見えて安心した。短く切られたさらりとした銀髪に、アメジストのような深い紫色の目をした、美しい少年のような女の子だ。私は、ついソフィア様をまじまじと見てしまった。



「それにしても、ソフィア様の騎士服姿、似合うねえ。エリアーデ様の影響かもしれないけど、噂によるとソフィア様も騎士に憧れて、ああやって騎士服を好んで着てるらしいぞ。さすがは俺たち民を守る、強きヘンストリッジ家の血ってとこだよな」



 私の横で、親方もソフィア様を見ていたらしい。そうか、騎士に憧れてるのか……あのままいったらさぞかっこいい女性騎士になるんだろうな、と思いながら彼女を目で追っていると、ソフィア様が一人、最奥の壁の方に歩いて行った。と思ったら、あれ、壁と領主様たちの間を行ったり来た……







「え……?」



 私は、確かにそれをソフィア様がやったのを見た。ソフィア様が、最奥の壁に片方の手を触れて、そのソフィア様のところから真っ白な光が壁に、天井に、床にぶわりと広がっていった。そして、その幻想的な真っ白な光に埋め尽くされた壁や床がゆっくりと音もなく動き始めた。








 祈りの塔にはたくさんの人が来ていたはずだった。でも、誰も、何も言わない。誰も動かない。誰もが目の前の神秘的な光景を、ただ静かに固唾を飲んで見守っていた。












 祈りの塔の最奥の壁は、まるで息を吹き込まれたかのように動き、床から天井まで伸びた巨大で不思議な物体となって止まった。

 それは初めて見るものだった。太い棒のようなものがたくさん付いたそれは、青白く輝き、なぜだかとても神々しく見えた。



 誰も動かない。物音もしない。その中で一人、ソフィア様だけが動いていた。というより、ソフィア様はその物体が動くのに巻き込まれていた。どうやら何かにしがみついて、その上によじ登ったところのようだ。よかった、けがはなかったらしい。



 私がほっと一息ついていると、突然大きな音がいくつもいくつもなり始めた。ソフィア様が、あの物体の何かを引っ張ったり押したりしている。

 何をしているんだろうか? ソフィア様には、あの大きな物体が何かわかるということなのだろうか。



 そう考えているうちに、ずっと鳴りっぱなしだった音が止んだ。そして、ソフィア様の纏う空気が変わったと思った次の瞬間、








 壁から出てきた巨大な物体が、その空気を、祈りの塔の壁を、床を、天井を震わせ、澄んだ美しい音をゆったりと響かせ始めた。



 私は、音が鳴る『楽器』というものがあるということ自体は聞いたことがあったが、実際に見たことも聞いたこともなかった。



 しかし、おそらくこれが『楽器』というものなのだろう。



 この位置からは、ソフィア様が何をしているのかはわからない。それでも、祈りの塔いっぱいに響く音が、重なり合い、交じり合い、空から降り注ぐ雨のように次々と降ってくるのを、私は身体全体で感じていた。



 私は、気づいたら涙を流していた。



 決して悲しい音楽じゃない。むしろ、この一定の間隔で刻まれる音に、心が安らぐような、落ち着くような……そんな美しい音楽のはずなのに……なぜだか私は涙が止まらなかった。

 隣に座っているはずの親方を見た。親方もソフィア様を見つめたまま泣いていた。周りを見渡した。みんな涙を流しながらソフィア様を見ている。目を閉じて、祈っている人もいる。



 私は周りを見て、なんだか怖くなった。一体ここで何が起きているのか、親方に声をかけようとしたところで……



 





 祈りの塔の天井の奥に、目も眩むような真っ白な光が現れた。







 それは祈りの塔の『神の道』と呼ばれる、塔の先端部分から一筋の光となって勢いよく降りてきて、まっすぐにソフィア様のところに向かって行った。光は私の座っている席のそばを通って行ったが、眩しくて目が焼けそうだった。そして、一瞬光の中に見えたその姿は、








「……女神ハルモニア……?」









 ……ああ、なんてことだ。







 私の周りで、次々とみんな床にひれ伏していく。誰かにそうしろと言われたからじゃない。私の勘違いじゃない、あれはきっと本物の神様なんだ。

 この世には、世界を守る神々がいるって聞いてはいたけれど、今その姿を見たって言う人はほとんどいない。私は、神様なんて半信半疑だったし、祈りの塔に来ていたのは単なる習慣だった。



 それが、まさか本当に神が降りてくる、その姿を見る日が来るなんて!



 私は、地面に膝をつけ、そして手をついた。眩しい光を放つその姿を見て、私は生まれて初めて畏れというものを感じた。頭を下げる前に見たソフィア様は、声は聞こえないが、音楽を奏でながらハルモニア様と何かを話しているみたいだった。



 神様とお話しするなんて、ソフィア様はとんでもない子だ。きっと、今後私が関わることなんて二度と無いだろうけど、そんなすごい人への贈り物を作る一人になれたのが、なんだかとても誇らしかった。













 この時の私は、まだ気づいていなかった。






 まさか、このソフィア様に『グラナディラの櫛』のせいで目を付けられ、






 彼女の壮大な計画に巻き込まれ、






 一生振り回さ……いや、付き合うことになるなんて……
















 祈りの塔に響く美しい音楽は、女神ハルモニアが再び一筋の光となって塔を昇って消えるまで、途切れることなく鳴り続けていた。


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