16. 女神の使徒(パシリ)
(あああ、どうしよう、どうしようどうしよう!)
私が余計なことを言ったせいか、本当に女神ハルモニアが現れた。いや、現れたことはこちらとしてはよかったはずなんだけど……やっぱり怒ってる!
女神の怒りを買ったことは想定済みで、ちゃんと謝る覚悟を決めて来たはずなのに、いざ本人を前にするともう頭がパニックになってしまった。
だってさ、神様だよ、神様! 異世界でも神様に会うのなんて初めてだよ。しかも、直視したら目が焼けるんじゃないかと思うくらい眩しい光を纏っていることを除いても、相手はあの女神ハルモニアだよ! クラオタ的には、本物に会えるなんて感動! と言いたいところなんだけど……うああ、どうすればいいの?!
しかも、この状況で曲は弾き続けろとか、ハルモニア様の鬼! これ両手両足を同時に使うんだよ? パイプオルガン弾きながら他のことやるなんて、難易度高すぎるんですけど……
パイプオルガンをギリギリ弾ける集中力だけを残し、私の頭の中はどうすればいいか思考の渦でぐちゃぐちゃになっていた。なかなか言葉を発しない私に痺れを切らしたのか、女神ハルモニアが再び口を開いた。
「愚かな人間よ。まさか我の名を利用するような者が、リュフトシュタインを使いこなし、我の手足となる者とはな……おい、人間。お前は我に何か言うべきことがあるのではないか?」
言いたいんです! というか、謝罪したいんですけど……パイプオルガン弾きながら謝るとかいいの? それ態度悪くない? うう、でも弾けって言われてるしなあ……神様の常識的にはOKなのかな……ああ、ソフィーもろとも消されたりしませんように……
……ん、リュフトシュタイン? 手足? どういうことだろう? いや、これは後回しにしよう。ここは順番を間違えたらやばい気がする。まずは謝罪だ。
「ハルモニア様。私はソフィア・ヘンストリッジと申します。既にご存じのようですが、私の個人的な事情でやむを得なかったとは言え、ハルモニア様の御名前を嘘に利用しました。申し訳ありませんでした」
私は、鍵盤が視界に入るギリギリの角度で左側にいる女神ハルモニアの方を向き、頭を下げて謝罪した。パイプオルガンを弾きながらなので、すぐに頭を上げてしまったが、女神ハルモニアはそれを気に留めた様子は無かった。
「ほう、言い訳はしないのか? 我が眷属がお前の嘘を聞いていたが、お前は我が名を悪用したわけではないのであろう? それにお前は、リュフトシュタインで我とこの世界に貢献し、なかなか良い曲を奏でておる。我は、今まあまあ機嫌がいい。お前の事情とやらを聞いてやろうではないか」
そう言いながら、女神ハルモニアは長いパイプオルガンの椅子に、私にくっつくように座る。そして、その眩しい輝きを放ちながら、私がパイプオルガンを弾くのを興味深々といった様子で眺めている。
私が素直に謝ったことで気が済んだのか、それともこの曲が気に入ったのか、とりあえず女神ハルモニアが話を聞いてくれるようだ。よかった。事情も説明するけど、それとともに、あの伝説も伝えよう。
「……なるほどな。では、お前があの時の2つの魂の持ち主か。そして、ここがその『乙女ゲーム』とやらの世界と同じだと……不思議なこともあるものだな」
事情を聞いた女神ハルモニアは、ふむふむと頷きながら聞いてくれた。あの時の、ということは、契約やら呪いの時の声はハルモニア様の声だったのか。
「その通りだ。……お前の事情は分かった。あとは、もう一つ私に話があるのであろう? お前の頭の中で考えていることは、全てではないが、おおよそ伝わってくるからな」
なんで、と聞きたいが、やめておこう。口を動かさなくても伝わるときもあるなら、その方が演奏中は負担が少なくてありがたいし。それに、そんなことよりも大事なことがあるんだから。
「はい、ハルモニア様。ハルモニア様が、今後もしテーバイの王族の一人で、その国で英雄と呼ばれている『カドモス』という方とご結婚される予定があるのでしたら、事前にお伝えしておきたいことがあるのです」
「……お前、なぜそれを知っている? カドモスのいるテーバイの王家のものですら、まだ一部の者しか知らぬというのに」
女神ハルモニアがすっと目を細めて、一段低くなった声で聞いてくる。なんだか、スパイかなにかを疑われていそうだが、そういうことじゃないんです! 私は意を決し、続きを話す。
「私の元いた世界に、ハルモニア様とその家族の伝説が残っているのです。
『女神ハルモニアは、人間と結婚した数少ない女神である。かの女神は、結婚式の祝い品として受け取った黄金の長衣が原因で子どもたちを不幸な死で失い、黄金の首飾りにかけられた呪いのせいで夫のカドモスが蛇となり、最後には女神ハルモニアもカドモスと調和し、2人は一匹の大蛇となってエリュシオンの野へ追いやられることになる』と」
私は、パイプオルガンを弾いたまま、でも意識は全力で女神ハルモニアに向け、一気に伝えたいことを言い切った。眩しい光に包まれた女神の顔を見たが、その表情は読めない。私と女神の間に長い沈黙が降りた。そして、女神ハルモニアは長く息を吐いた後、
「……なんということだ……我らの結婚式まで、もうあと半年ほどしかないというのに……一応聞くが、お前はその長衣と首飾りが誰から贈られるものか知っておるのか?」
「はい。長衣は知恵の女神アテナから。首飾りは鍛冶神ヘパイストスからと言われています」
女神ハルモニアが、その美しい眉をピクリと動かし、反応する。
「ヘパイストスはわかる。アテナの方は心当たりがないぞ?」
「ええと、まず、両方ともハルモニア様のお母様である、美と愛の女神アフロディテを通して、結婚式の当日に贈られ、最初にハルモニア様が身に付けたそうです。
両方とも、ハルモニア様を含め、神々が身に付ける分には特に問題は起こりません。
しかし、黄金の長衣には、それを着る者を誰よりも美しく、妖艶に見せる効果をアテナ様が付けていたそうです。
ハルモニア様が結婚後、その長衣はテーバイの王家に受け継がれ、その後成長した子どもたちが身に着けたところで、神々を交えてトラブルに巻き込まれ、結果的に子どもたちに死をもたらす要因の一つとなったとされています。
アテナ様が、幸せになるハルモニア様に嫉妬してわざと造って贈ったのではないかとも言われていますが……個人的には、神々にとってはおまけのような効果として付与したものが、半分とは言え、人間が身に付けるには強すぎたのではないかと思います」
そう、黄金の長衣の方は、直接それ自体が害を為すわけではないのだ。受け取っても、女神ハルモニアが王家に受け継がないか、飾るだけにしておいて人間の血が入った者には着るのを禁じればいい話だ。よりまずいのは首飾りの方だ。
「ふうむ。お前の考える通り、長衣の方は我が気を付ければよいな。それに、今回は神々が初めて人間の結婚式に参加するのだ。我らは人間が身に付けるようなものを贈るなどしたことがない故な、確かに力の加減を間違えることはあろうな」
おお、これは読めるのか。なんだか、頭の中を覗かれながら話すって変な感じだ。というか、これ私声出す必要性あるのかな? 私は疑問に思いながら演奏を続けつつ、考える。
「ん? あるぞ。さっきも言ったであろう。すべてを知ることができるわけではないのだ。重要なことは、お前の口から直接聞く方が正確であろう?」
「わかりました。……あの、長衣はともかく、ヘパイストス様からの首飾りには、人間を蛇に変える呪いがかけられています。そして、それをカドモス様は結婚式当日に、最初に身に着けたハルモニア様から受け取ってつける流れになって……」
「はあ……ヘパイストスめ、よほど我が憎いと見える。我が何をしたと言うのか? 直接会ったこともないというのに」
え、会ったことないの? まあ、そりゃヘパイストス様からしたら絶対会いたくないでしょうね。
だって、伝説と同じなら、ヘパイストス様はハルモニア様のお母様であるアフロディテ様の旦那様。そして、ハルモニアのお父様は、ヘパイストス様じゃなくて戦神アレス。それなのに、神々がみんな出席するからって、奥さんであるアフロディテ様と一緒に、嫁の浮気相手の子であるハルモニア様の結婚式に行かなきゃいけない。なにこれ、ヘパイストス様辛いじゃん。
呪いはダメだし、ハルモニア様は全然悪くない。罪の無い子どもを巻き込んでないで、夫婦喧嘩は夫婦でやってなさいとも思う。
ただ、やっぱりヘパイストス様はちょっとかわいそうだ。これを期に夫婦仲はますます冷え込んでしまうし……なんかこう、うまい方法ないのかな。ヘパイストス様だけが悪者になるの、なんだか私は納得できない。
「しかしな、ヘパイストスは我よりも上級の神だ。それに、お前の話が『地球』では伝説として残っていたとしても、ここでも同じことが起こるとは限らん。確たる証拠もなしに、上位の神を疑って贈り物を拒否したり、呪いの有無を事前に調べさせたりするわけにもいかぬ。困ったのう……」
私は顎に左手を当てて、悩むハルモニアを横目にパイプオルガンを弾き続ける。確かに、何の証拠もないし、ここでハルモニア様に教えちゃったから、未来が変わって全然違う展開になるかもしれない。私だって、これを伝えるので精一杯で、この先どうするとか正直全然考えてなかった。
まあ、あとは神様のことだもん。人間である私の出る幕なんかないだろう。ヘパイストス様のことは気になるけど……
ハルモニア様、あとはがんばってください、応援してますよー! と頭の中で言うだけ言ってあとは呑気に丸投げしようした。
すると、そんな私の不届きな考えを察したのか、ハルモニア様が私を見る目をキラリと一瞬光らせ、
「ふむ、良いことを思いついたぞ。ソフィア・ヘンストリッジ、お前も我の結婚式に参列せよ。お前は我の手足であるリュフトシュタインを弾いた。ということは、今からお前は私の使徒である。ならば、我が使徒として、テーバイの祈りの塔で我の結婚式のためにリュフトシュタインを弾いても何の問題もあるまい?」
へ? ハルモニア様の結婚式に参列? ハルモニア様の使徒? えええ、どういうこと、私後は逃げる気満々だったんですけど!
「お前な……。よいか、お前がパイプオルガンと呼ぶこの神具、というかこれは生き物だから神獣と言った方がよいかもしれぬが、これは全体を総称してリュフトシュタインと我々が呼ぶものだ。創造神デュオディアイラス様が、我がこの世界を治めるのを手助けできるように御創りになったものだ。
リュフトシュタインは、その1本1本が異なる意思を持ち、異なる役割を持つ。全体としての役割は、我と同じでこの世界に調和と平穏をもたらすことだ。
我がこの世界を治めるには神力を使うが、神力は当然限りがあり、万が一の時のためにむやみに頻発するわけにはいかない。そこでリュフトシュタインがあれば、我の力を温存しつつ、その音色を聴くあらゆるものの魂と心を浄化し、結果的にこの世の調和と平穏を保ちやすくなるのだ。
リュフトシュタインは、1本ずつ癒すものが違う。怒りや悲しみ、悔しさや後悔、恨みや嫉妬……生きるものすべてが持つ、数多の負の感情をひとつひとつ鎮めることがこれの役割であり、これを養うことができる白の魔力持ちのお前の仕事だ」
えええ、ちょっと待って。パイプオルガンひゃっほー! とか言って弾いちゃったのが、実は神具というか神獣で、これ弾いてハルモニア様のお手伝いをしろってこと? え、世界を治める余裕なんてないんですよ、私は自分の追放死亡ルートをまず回避するのに必死なんですから!
私は必死に頭の中でハルモニア様に訴えたが、
「お前は、『お礼になんでもする』と言うたではないか。それに、我が名を利用した罰も与えねばな……
そうだな。毎朝7時になったらどこのでもいいから、リュフトシュタインに魔力を食わせて演奏し、我の仕事を手伝え。曲は、今弾いているものと、毎回違うのを1曲ずつだ。
これをお前への罰としよう。どうだ、我は優しいであろう?」
うう、それは私もパイプ…じゃなかった、リュフトシュタインが弾けて嬉しいけど……でも、女神の使徒というか要は下僕? いや、パシリ? とかちょっと荷が重いから、他の人に代わってほしいなあ……
消されなかっただけマシだということも忘れて、女神の恩情に対して頭の中で文句を垂れる私に、ハルモニア様が呆れながらも丁寧に説明してくれる。
「ぱしり? それが何かわからぬが、そもそも白の魔力持ちというのは現状とても貴重だ。
白の魔力とは、それ単体では他者を直接害さない種類の魔法を担う魔力のことだ。例えば、回復魔法や、お前が今使っている身体強化だ。
現在のところ、魔力を持つ人間の大半が、他の色の付いた魔力を持っている。例えば火魔法なら赤の魔力、水魔法なら青の魔力といったな。それは、人間たちにとって白の魔力しかないというのは、魔法で自分の身も守れぬ出来損ないのような認識を持ったために、他の色を得ようとしたからであろうな。やり方によっては後から魔力の色を増やすのは、できなくはないからな。
しかし、リュフトシュタインは混ざりものの魔力は食べない。調和と平穏をもたらすリュフトシュタインは攻撃魔法の魔力は受け付けないし、白単色の魔力を持つ者でないとあれに直接触れることすらできないのだ。
我の手伝いをできるものとして、デュオディアイラス様が残してくださった白の魔力持ちがたくさんいたが、魔法で身を守る手段がほぼ無いせいか、あっという間にその数を減らしてしまった。
その上、例え他に白の魔力持ちがいたとしても、中に数千人がいるリュフトシュタインを養えるだけの魔力を持ち、あの鍵盤やレバーを使いこなして弾くことができる者が、一体この世界に何人いる? 我は400年以上待っておったが、お前が初めてなのだぞ?」
は、初めてなんだ……魔力の量とかは自分ではよくわからないけれど、魔力が足りなくて壁の中に埋まっていたくらいだ。あれを引っ張り出して、しかも音を鳴らすってかなりの魔力が必要なんじゃないだろうか。確か、大型のパイプオルガンの最低音って、送風機で秒速10メートル近い風を送らないと音が鳴らないとかだった気がするし。
それに、楽器も音楽も極一部でしか扱われていないこの世界で、パイプオルガンを弾きこなす人とか……そりゃいないわ、多分。
「……わかりました。私は楽器が大好きなので、毎日リュフトシュタインが弾けるのは正直嬉しいですし、それを罰にしていただけるのであれば、これ以上の恩情はないでしょう。微力ながら、ハルモニア様のお役に立たせていただくことを、光栄に思います」
私の返事に、女神ハルモニアはとても満足した笑顔を浮かべて頷いた。そして、「では、また明日、待っておる」と言葉を残し、一筋の光となって元来た道を戻り、祈りの塔を昇って消えていった。
私はハルモニア様が消えた後、ようやくパイプオルガンを弾き終わって椅子から降りた。そして、目の前に広がる、辺り一面見渡す限り、人がみな地面にひれ伏しているこの状況を一体どうすべきか、私は再度頭を悩ませていた。