夢
これは何度も見た夢で、唯一見たことのある夢。
吐き気さえ覚える、紅く黒い夢。
燃え盛る教会に、横たわる一組の男女。彼らは気絶した少女を守るかのように、上に被さっていた。
そんな彼らを冷たく見下ろす、漆黒の悪魔。
頭からは捻れた角を、背中からは蝙蝠のような翼を、腰からは鋭く長い尾を生やし、血涙を流し、右手からは男女のものである血を流している。
その血に塗れた右手を上げ、とどめとばかりに再度振り抜く。教会自慢のステンドグラスが血で汚れた。
息の根が止まった男女。悪魔は気絶した少女を抱え込むと一言、吼えた。
燃え盛る轟音にも負けず響く雄叫びは、ステンドグラスも窓も吹き飛ばした。
教会が崩れ落ちる音を聞き我に帰った悪魔は、そのまま扉を蹴破り教会を後にした---。
◇◆◇◆◇◆
夜中、いつもの悪夢を見て目を覚ましたヒノワは、月明かりを頼りに台所で水を飲む。見慣れているはずの悪魔だが、彼の額には珠のような汗か滲んでいた。
ヒノワには記憶がない。厳密には、夢に見たあの光景以前の記憶が。
五年前、魔法大戦時代。魔法使いだった両親は戦に身を投じていた。自国でも有名な腕利きだったという。
久し振りの休日、妹のヒナタと四人で教会に行ったあの日、事件は起きた。敵国の魔法使いが召喚した悪魔に両親は殺され、ヒナタの精神を蝕んだ。
幸い妹のヒナタは保護され命にこそ別状は無いが、五年経っても未だ目を覚まさない。
ヒノワは魔法に両親を、妹を、記憶を、全てを奪われたのだ。
ヒノワは復讐を誓い、力を求め、学を深め、修行に明け暮れた。力を付けた彼は復讐を決行する段階にある。その為にはまず、あの日奪われた記憶を取り戻さねばならい。その目的の為、彼は火那魔法学園に入った。
秋に行われる文化祭、火那魔法祭。全十日の日程の中で行われる催しの一つである魔法大会の優勝景品として、『全能』と呼ばれる大魔法使いに謁見することが許される。ヒノワはその『全能』直々に記憶を取り戻してもらおうと考えたのだ。
勿論、これまでにいくつもの魔法使いや医者に、記憶の復活を依頼してきた。しかし誰もが失敗に終わり、匙を投げたのだった。記憶がなければ、復讐が果たせない。もはや『全能』に頼るしかなかった。
グラスを置き、自分の寝室の隣の部屋に入る。そこには彼と同じ、血のような紅い髪の少女、ヒナタが眠っていた。月明かりに照らされた紅い髪を撫でる。表情は穏やかで、今すぐにでも自分と同じ紅い瞳で見つめてくるような、そんな気さえする。
ヒノワの魔力量が極端に少ないのは、彼女に理由があった。
今のヒナタは、ヒノワの魔力によって生かされている。魔力のみをやり取りする契約魔法を、とある魔法使いに施してもらったのである。本来は魔力欠乏症等に用いる高等技術だが、点滴を避ける為に使用していた。
魔力がほとんど使えないのは不便ではあるが、ヒナタが生きていることを感じられることはヒノワにとっては大きかった。
これまでに見てもらった医者達によると、ヒナタはいつ目覚めてもおかしく無い状態だという。まるで自分の意思で、何かを待つように眠りについているようだ。
何を待っているのか、言葉を発しない彼女から知る術は無い。だが、生きているという事実。それだけでヒノワは救われた。
人は一人では生きられない。
ヒナタはヒノワの魔力で生き、ヒノワもまたヒナタに縋り生きている。
ヒナタの冷たい手を握り、目覚めの時を待つ。幾百と繰り返してきたその行為も、彼女の目覚めるきっかけにはならない。
ヒナタの手をそっと戻し部屋を出た。
まだ眠れそうにない、そう思った時はいつも体を鍛える。今日はランニングをすることにした。
決まったコースは無い。ただ無心に走り続け、辿り着いた先で筋肉トレーニングをする。たまに迷うこともあるが、それも味があって良い。
ランニング、と言ってもただ流すだけではない。足に魔力を込め、全速力で可能な限り走り続ける。筋肉に超回復があるように、魔力にも超回復がある。空になるギリギリを見極めて魔力を使うことが、魔力量を増やし魔力コントロールをより精密にすることができるのだ。
ただでさえ普段からヒナタに魔力を供給している彼は、トレーニングを重ねることによってより綿密に魔力を扱うことができるようになっていた。
魔法をほとんど使うことができない彼だが、魔力を使わせたら右に出る者はいないという自負がある。あとはその技術を大会までに如何に隠せるかが重要だ。ネタが明かされ、大魔法で圧殺されてはどうしようもない。
今日の戦いで少なくとも『黒子ヒノワは高速で移動できる』という話が広がるだろう。ならばこちらもそれ以外の力をつけるか、その速さを更に強化するか。この高速移動術は汎用性が高く、どれだけ極めても十分ということはない。
足に魔力を込め、全力で地面を蹴る。
どんっ、と空気の揺れる音がした時には既に、100メートル先の地点にいた。それを何度も何度も、力の限り繰り返して行く。復讐の炎を燃やすように。妹の声を求めるように。
気がつくと見知らぬ公園に辿り着いていた。
ベンチとブランコと滑り台しかない、小さな公園。そのブランコに、人影が見えた。キーコ、キーコと、ブランコを漕いでいる人影は、ヒノワの姿を確認すると動きを止めた。
見覚えのあるローブ姿。フードから覗く二つの紅いお下げを揺らし、首を傾げる。
「……あれ、ヒノワ君?」
ヒノワの相棒になった少女、朧ツキヒがそこにいた。




