決闘開始
「随分遅かったな」
先に闘技場にいたヤマトは遅れてきたヒノワを睨みつけた。鋭い左目の眼光に当てられては、並みの学生では一目散に逃げていくだろう。
しかしヒノワは彼の眼つきを恐れることなく周りを見渡した。決闘が決まってから半刻も経過していないはずだが、見物に来た野次馬が大勢いたのだ。噂の転入生の、しかも退学を賭けた戦いと聞いて面白半分で見に来たのだろう。人が動き回るには広すぎる、しかし魔法を使うには狭い闘技場が、妙に狭くなったように感じる。
「無能が無様に去っていくのを見たいらしい。くだらねぇ」
ヤマトは舌打ちと共に悪態をつく。彼にとって気に食わない存在でも、これは真剣勝負として設けた場であった。歴代最低と言われていようが甘く見ない。油断をしないことが彼の強さの所以でもある。故に茶化しに来ただけの連中がいることに苛立ちが募っていた。
「ごめん、さっき登録してきた」
「……ああ、そういやペア登録をしなくちゃ参加資格が無いんだったか。物好きがいたもんだな」
「うん、ツキヒが、ね」
普段人を名前で呼ぶことが少ないヒノワは、女の子の名前を呼び捨てることに少なからず抵抗を覚える。先刻ペア登録をした際に、『相棒だから』と念を押されたのであった。
「ツキヒ? ……ああ、朧のやつか。あいつならお前に丁度いいかもな」
「どういうこと?」
「あいつも魔法をほとんど使わないからな。お似合いだろうよ」
「!!」
その言葉に驚きを隠せなかった。なぜならば、登録した時に確認したランクは184位だったからだ。魔法を使わないということは、ほとんどの決闘を体術でこなしてきたという事。彼女の小さな体にそのような力が秘めているとは、到底思えなかった。
それに、『使わない』ということは『使えない』というわけではない。彼女の本来の実力は順位以上と言える。思わぬ僥倖につい顔が綻んだ。
「それは、この先が楽しみだね」
「笑ってる場合かよ。お前が負ければその先はねぇんだからよ」
冷たい言葉を浴びせられ、浮ついていた意識を吹き飛ばす。
勝てば学年3位。負ければ退学。
やっとのことで入ることのできた学園を去るわけにはいかない。
「……そういや、お前が要求する対価を聞いていなかったな。負ける気がしねぇが、一応聞いてやる」
ヒノワも言われて、自分がまだ要求していないことに気がついた。勢いで返事をしたは良かったが、要求したいことは正直思い浮かばない。
「……じゃあ僕が勝ったら、友達になってよ」
「……は?」
鳩が豆鉄砲を食ったよう、とは正にこのことだろう。開いた口が塞がらないヤマトの目には、困ったように笑うヒノワが映る。
「友達。僕、いないからさ」
「--あっはっはっは!!!」
言葉の意味をようやく理解した途端、堰を切ったように笑い出した。文字通り腹を抱えて笑っている。その様子にヒノワはおろか周りの生徒たちですら驚いていた。ヤマトは小等部の頃からこの学園にいるが、笑っている彼を見た者は少なかった。
「お前、本当に良い度胸してるよ! まさか退学の対価に、しかも俺にそれを要求してくるとはなぁ!」
最早涙目になりながら笑っている。何がそんなに可笑しいのか、ヒノワは首を傾げた。
「……こんな見た目でこんな性格だからよ、近づきたがる奴なんて殆どいねぇし、殆ど潰してきたからな。いいぜ、親友にでも何でもなってやるよ」
漸く笑いが引いたのか、左目に僅かに浮かんだ涙を拭う。その表情は先ほどよりも幾分か和らいだように見える。
そこに白衣の教師が闘技場に入ってきた。高等部教諭の中でも群を抜いて実力のある彼が選ばれたのは、魔法の使えないヒノワが無駄に命を散らさぬよう最大限の配慮をしている、と思えなくも無い。
「さて、黒子君。君が挑戦を受けたんだ。決闘内容を決めてくれ」
「一本勝負。先に膝をついた方の負け。でどう?」
「良いだろう」
「魔法適性の相性を鑑みて、危険を感じたらすぐ止めに入ります。宜しいですね?」
「はい」「かまわねぇ」
「では、MRTを出してください」
マジックランクターミナル。MRSの個人情報を管理する携帯端末である。
ここには個人のランクや戦闘履歴などの情報が閲覧でき、決闘時にはそれを教師用MRTと接続しランキング戦を行うことになる。
受信した情報が、教師用MRTを通じて会場全体に浮かび上がる。
対戦情報
挑戦 RANK84 H1-E 神山大和
応戦 RANK外 H1-E 黒子日輪
勝敗条件 膝を突かせた者の勝利
禁止事項 対戦者の殺害
備考 武器・道具の持ち込みに範囲無し
「両者距離を取って」
合図とともに、両者共飛び退く。
「……てめぇ、俺とステゴロでやり合おうってのか」
武器を出さない様子のヒノワに向かって、歯をむき出して笑う。歴代最低、などというレッテルさえなければ最初から彼のお気に入りになっただろう。
そんなヒノワを気にもせず、魔力媒体を兼ねるメリケンサックを装備する。
「武器も使えるけど……たぶん素手のほうが強いよ、僕」
血を求めるように輝くメリケンサックを見てもなお、表情に陰りはない。魔力媒体として使う指輪だけを嵌めた。
「……上等ぉ!」
会場の熱気に当てられたのか、それとも目の前の相手に燃えているのか、やけに体が熱く感じる。戦いにおいて久し振りの高揚感を、ヤマトは感じていた。
監督教師が右手を上げ、決闘が始まるその瞬間。会場がしん、と静まり返った。
手を下ろし、叫ぶ。
「試合開始!!」
勝負は、一瞬だった。