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「……ただただ帰ってきただけじゃん」
焼き鳥の櫛を煙草のように咥えながらご立腹な七海さん。その理由は父さんを追跡した結果、自宅へとんぼ返りしたからである。
「いや、俺にそんなこと言われても……」
とは言ってみるものの、ジトーッした目つきをやめることなく七海は俺を見続ける。
しかしよくよく考えてみれば、俺の父さんはものすごく気が弱い。母さんに頭が上がらないし、人と街で肩がぶつかってしまった時も全力で謝る。そんな父さんが母さんと修羅場になるようなことなんて起こせるはずないのだ。
妹も同じ考えに至ったようで、二人は目が合うや否や、安堵もしくは落胆のため息が零れ出た。
――じゃあ、父さんは何をあんなに慌てていたのだろう? 修羅場展開の線が消えた今、その疑問だけが残る。
「まぁ、入ってみれば分かるか」
「どうせもうすぐ帰る予定だったしね。……もうちょっと食べたかったけど」
「……太るぞ」
バキッッッ!!
咥えていた焼き鳥の串が七海の頑丈な歯によって噛み砕かれた。アレ? なぜか串が俺の骨と重なって見えるぞ? 幻覚かな?
「ささ、七海様? お先にどうぞ」
「なんで様付け? まぁ、いいけど」
それは俺の健康が危うくなっているからでございますよ七海様?
七海は砕いた(というより折った)串を握りしめながら、玄関の扉を開き、中へと入っていく。俺も後に続いた。
靴を確認すると、やはり父さんの靴がある。慌てて脱いだようで乱雑に脱ぎ散らかされていた。
廊下を歩いてリビングの方へ向かうと、何やら声が聞こえてくる。物音を立てないように忍び足でドアに近づき、聞き耳を立てる。
『――大丈夫だったのか!? よ、よかった……!』
大丈夫……? 一体どういう意味だろうか?
『そんなに慌てて帰ってきてどうしたの? 餓死寸前みたいにガリガリじゃない?』
それは元々だ。
『……い、いや、こんなメールが届いたから……』
ガサゴソと音が聞こえる。父さんの言葉から察するにポケットの携帯を出して、母さんに渡したというところだろう。
『何これ? ただのいたずらメールじゃないの?』
『俺もそう思ったんだけど、万が一があってはいけないと思って……』
『それでウチを心配して帰ってきたんだ、ハイハイありがとう』
しばしの間、無音が続く。するといつの間にかドアを少しだけ開いて中を覗いていた七海が、今起きている状態を報告してくれた。
「お母さんがお父さんにキスしてる」
「え、そんな気まずい報告やめてくんない?」
嫌だ! なんか親のそういう一面を見るのはなんか嫌だ! 夕食の時とかどういう反応をしていいのか分からなくなるじゃんか!
「あ、お母さんがお父さんを押し倒した」
「リビングで変なことすんじゃねぇぇぇぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」
思わず絶叫&突入。仕方ないじゃん!? これは緊急事態じゃん!? つーか、七海はなんでそれを冷静に実況してるんだ!! ドアを押し破るように開いた俺はリビングへと飛び込む。するとそこに広がっていた光景は――
「嘘、だったんだけど……」
普通に二人で携帯を覗き込んでいるだけだった。突然入ってきた俺に気付いた母さんは『何コイツ?』みたいな感じでこちらを見て、呆れた顔をしている。父さんは普通に驚いていた。
「…………た、ただいまー」
そそくさと俺は大量の食材が詰まった買い物袋五袋をテーブルの上に置くと、リビングを後にする。そして廊下に出た瞬間。
「気まず過ぎる――――ッ!!!」
顔を覆って泣き崩れる女子のように俺はその場で蹲った。勝手に変な想像して奇声を上げながらリビングに突入する息子……文字にしたら最悪だな!
「ごめん兄貴。たまには兄貴をからかってみようと思ったら、あんな事に……」
「もう少しからかい方考えようぜとか言おうとしたけど、もうなんかどうでも良くなってきたわ……」
正直、もう今俺がどういう状況になってるのか分からなくなってきてる。というか分かりたくない……!
「――アンタら帰ってたんなら一言くれればいいのに」
『うわっ!?』
気が付くとリビングのドアから母さんがこちらを覗いていた。
「まぁ、狛犬は一言貰ったけど? とても情熱的な奴」
「普通に傷口に塩ねじ込むのやめてくれ!!」
せっかく徐々に頭のハードディスクから消していこうとしてたのに!
「アンタがおかしいのは元からだから、気にしてないけど」
「まだねじ込むの!?」
本当にこの人俺の母親か!? それにしては息子の精神をガリガリ削ってくるんだけど!?
「まぁ、それに関しては今度個人面談をすることにして……ちょっとアンタたちに見てほしいものがあるだけど」
「あ、さっきお母さんとお父さんがメールがなんとかって言ってた話?」
そうそう、と軽い感じで母さんは俺たち二人をリビングへと招き入れる。すると父さんも話を聞いていたようで、携帯を持ちながらこちらを見ていた。母さんは父さんから携帯を受け取ると、俺と七海に画面を向ける。するとそこにはこんなことが表示してあった。
――『願いは夜明けと共に叶えられる。深い絆を結びし人達と共に貴方を『幻想』の世界へ誘わん』
「何コレ? 悪戯メールにしか見えないね」
「でしょ? お父さんもメールの内容から私たちを誘拐する文章じゃないか、って思ったみたい。でも本気で誘拐するならこんな分かりづらい痛い文章は余計でしょ?」
七海と母さんは呑気にそう言った。父さんも連絡先を知られていることを不安に思っているようで、オドオドと忙しなく体を動かしている。……そうか、普通は悪戯メールくらいにしか思わないよな。うんうん、普通はそうだ。
だけど、俺は違う可能性を見出していた。そう、ライトノベルやマンガを読みまくった俺だからこそ辿り着いた可能性――。
――これ、違う世界へ行けるフラグじゃね?
ほら、ラノベとかゲームとか漫画でよくあるじゃん? なんか変なメールが届いたと思ったら、主人公が異世界に飛ばされて活躍する物語。このメールはそのフラグだと思うんだよ俺は。しかし、それを仮定するにあたって疑問が一つある。
――なんで主人公である俺じゃなくて父さんに届くの!? こういうのって、流れ的にかつ一人称的にメインである俺に届くべきものじゃないの!? 納得いかねぇ! なんか神様的な奴に『え? お前が主人公? 冗談は顔だけにしとけよ』みたいなことを言われてるみたいで、すごく惨めな気持ちになるわ!
「……ねぇ、兄貴がなんか妄想モードに入っちゃったんだけど」
「ほっときな、アレはいつもの癖だから。どうせ、『コレ、違う世界へ行けるフラグじゃね?』とか考えてるんじゃない?」
的確に思考を見抜き過ぎだろう。サイコメトラーか何かか母さんは。……そう言えば、さっき一般人にも見抜かれた気がする。
「まぁ、息子の馬鹿な妄想はさて置き」
おいおい、俺もそろそろ泣いちゃうぞ?
「お父さんの連絡先を無断で知っているということは、家も知られてる可能性がある。だから少し気を付けた方がいいかも知れない。分かった?」
『分かった』
俺と七海が返事をすると、母さんは『よし』と一言だけ返事して、夕飯の支度を始めた。
「……やっぱり母さんは頼りになるな」
「父さん、今頃喋るの!?」
それが今日、俺と父さんが初めて交わした会話だった。
――そして。