再軍備
少し遅くなりました。
1931年 5月19日 ドイツ ドイチェヴェルケ造船所
ヒンデンブルク大統領は装甲艦ドイッチュラントの進水式に出席していた。12000tの船体はドイツ海軍の新たな出発を示しているようだった。ヒンデンブルク大統領は外国人で唯一、駐在武官の遠藤喜一大佐を招待した。
「遠藤大佐、どうかね?この船は。」
ヒンデンブルク大統領が遠藤大佐に感想を聞いた。
「今回はお招きいただき光栄です。まさに“狩人”のような船ですな。」
「ハハハッ、狩人とは上手い事を言いますな。」
「ところで大統領、本題というのは何でしょうか?」
「そうでしたな。別室へ行きましょう。」
ヒンデンブルク大統領が遠藤大佐を呼んだ理由、それは日独協力協定を更に発展させた日独同盟についての相談だった。ここ数年で日独の水面下での関係は頂点に達していたが、両国は英国との関係を考慮して同盟を結ぶまでには至らなかった。
しかし、一方の英国はロンドン海軍軍縮条約での失態が国際的な発言力を弱体させていたのでドイツがヴェルサイユ条約を破棄した時も何も言わなかった。
日本ではドイツとの接近を危惧する者が少なからず陸海軍内にも居たが年を経る毎にだんだんいなくなっていった。ヒンデンブルクとの会談を終えた遠藤はエーリッヒ・レーダーの元へ訪れた。
「Z計画⁉︎」
「はい、それが我が海軍が現在進めている海軍拡張計画です。」
レーダーから渡された資料を見た遠藤は驚愕した。
「よろしいのですか⁉︎ こんな物を見ても?」
「かまいません。むしろ私としては意見が欲しいのです。」
「そうですか…」
再び資料に目を通した遠藤はその内容にしばし目を奪われた。Z計画は戦艦10隻、装甲艦15隻、航空母艦8隻、重巡洋艦5隻、軽巡洋艦24隻、偵察巡洋艦36隻、駆逐艦及び水雷艇148隻、Uボート249隻を6年で揃えるという壮大な物だった。
「どうですか?遠藤大佐。」
「はっきり言わせてもらえば、これだけの戦力を揃えるとなるとドイツの総力を動員しても難しいでしょう。さらに人材の育成も必要です。軍艦の数だけでは勝負になりません。」
それを聞いたレーダーは苦笑いをした。
「確かにおっしゃる通りだ。もしかすると私はかつての大洋艦隊の復活を意識していたかもしれない。」
レーダーは何処か寂しそうだった。
「しかし艦艇が少なくても勝てる方法はありますよ。」
「と言われると?」
「相手の10倍訓練をするのです。そうすれば少ない艦艇でも倒す事ができます。」
「なるほど!確かに!」
「何なら私が上へ掛け合ってみましょう。きっと何かのお役に立てられるはずです。」
「はい!是非お願いします!」
2人は固い握手を交わした。後に遠藤大佐から相談を受けた軍令部総長の谷口尚真大将は帝国海軍によるドイツ海軍軍人の育成に理解を示し。ドイツ海軍側もヒンデンブルク大統領からの許可が出た為、成立することとなった。
1931年 8月12日 ドイツ キール軍港
軽巡ライプツィヒは横須賀へ向けて出港した。日本で訓練を受ける海軍軍人と日本へ輸出する工作機械や武器を送り届けるという大任を負った軽巡ライプツィヒにはレーダーも乗艦していた。ドイツ海軍は確実に変わりつつあった。




