表と裏
1937年 7月5日 アメリカ合衆国 オアフ島某所
珍しく涼しい夜の町を1人の男が歩いていた。煙草の煙を引きながら、目的地へと向かう。暫くネオン通りを歩いて、裏道に足を進める。暗い路地に浮かんだ看板の灯りが目に付いた。入り口で煙草を捨て、身なりを整える。ドアを開けると灯りと騒めきが体を包んだ。酔いに浮かれた人々を尻目に奥へ進む。
「おーい、ここだ。ここ。」
訛った英語がその男を誘導した。帽子を壁に掛けて、椅子に座る。
「久しぶりだな、進藤。ワシントン以来か?」
「そうなるかな、キューン。」
挨拶を済ました彼らは固い握手を交わした。
「ニューヨークじゃ良い仕事したそうだな。こっちでも評判は上々だったよ。」
「なぁに、俺だけの手柄じゃないさ。」
「にしても、ここ最近。キツくなったよなぁ…。」
キューンは煙草を出した。キューンは進藤と同じく諜報員をしており。ドイツの諜報組織の1つである“ハンブルグ商会”に属していた。東機関とは協力関係を結んでいて、時には共同で諜報活動を行う事もあった。
「ニューヨークの拠点がやられた。芋づる式にマンハッタン、ブルックリンの支部まで干されたよ。」
「マジかよ…。随分と大人しくなったと思ったらそんな事情だったのか。」
「そっちはどうだい?」
「俺んとこは、まぁ店にガサ入れが来たぐらいかな。幸い何にも出なかったが。」
ハンブルグ商会は軍事施設が近い町に飲食店を展開しており、そこを諜報活動の拠点にしていた。無論、従業員は全員が諜報員で、今この2人がいる店もそのうちの1つである。
「アレを見てみろよ。」
キューンが指を指した先を見ると、酔っ払っている士官が若いウェイトレスと話し込んでいて、その後ろでは水兵達が出されている料理に舌鼓をうっていた。
「客は満足、んで俺らは金と情報をもらう。一石二鳥さ。」
「俺もここで寿司屋を始めたら、儲かるかな?w」
「オランダ人にはウケるだろうが、アメリカ人には早いだろうなw」
「冗談だって冗談。」
話がひと段落ついたのを見計らったのか、ウェイトレスが注文を聞きに来た。彼女はキューンの顔を見るなりニッコリと微笑んだ。
「いつものでいいわよね?お連れさんは?」
「俺のと同じでいいよ。」
彼女は注文を聞き終えると、何かを書いたメモ用紙をキューンに渡した。それをチラッと見たキューンは丸めてポケットに入れた。
「それは何だい?」
「あぁ、本部からの言付けだよ。君の依頼の件だ。時間はかかるが用意しておくだとよ。」
「それは有難い。感謝するよ。」
キューンは顔を近づけた。
「にしても、オアフ島要塞の見取り図だなんて、一体何に使うんだよ。」
「詳細は“軍機”でね。」
「ま、そう言うだろうと思ってたよ。ウチの関連が要塞で売店してて良かったな。」
さっきのウェイトレスが料理を運んできた。茹でたジャガイモにベーコン、ソーセージを添えた極めてシンプルなものだった。飲み物は無論、ビールである。
「乾杯!」
ジョッキの中身を一気に喉越しで押し込む。日本のビールとはまた違った味。進藤もキューンも愉快そうだった。
そんな彼らを店の奥からとある2人組が見ていた。




