駆除
1936年 10月7日 アメリカ合衆国 ニューヨーク
マンハッタンのとあるアパートは騒然としていた。なぜなら、ニューヨーク市警によってその一画が封鎖され、警官とは違う山高帽に黒いスーツを纏った大柄の男達が忙しなく走り回っていたからだった。
「突入の準備が整いました。」
「うむ。」
警部の報告を受けて、その男は車を降りた。
「包囲態勢はどうなってる?」
「はっ、このブロックに警官100人と12台のパトカーを投入し、検問も設置しました。」
「よし。」
彼はホルスターからM1911を取り出し、安全装置を外した。
「今日こそ捕まえてやる。」
不安そうな住民を尻目に、緊張しながらアパートへ入って行った。目標の部屋の前にはたくさんの警官や捜査官がいた。
「FBIだ。ドアを開けろ。」
中は物音一つしなかった。ドアが蹴破られるまで1秒もかからなかった。それはまるで、朝の通勤ラッシュのようだった。先陣をきって突入していった警官が血相を変えてこう報告した。
「だ、誰も居ません‼︎ もぬけの殻です‼︎」
“まさか!” 警官達を押しのけ、部屋に入っていった彼は意外と広い空間に翻弄された。
「チキショウ!またか‼︎」
彼は壁を思い切り叩いた。この場所を突き止める迄の労力や時間が全部無駄に思えてきた。部屋の中には家具どころか、塵一つ無かった。
「主任…」
身を案じた部活が声をかけたが、返すことができなかった。警察も、部屋に何も無いのではどうすることもできないので、退散するしか無かった。
「全く…。あれだけの人数を動員して何の成果も無しか…。」
軽い口を利いた警官を睨みながら外へ出た。車のボンネットにもたれ掛けてタバコを吸った。心地よい煙が彼を少し落ち着かせた。
「ジョン、空振りだったそうだな。」
声をかけてきたのは、住民に聞き込みをしていた相棒のケリーだった。
「あぁ、聞き込みの方はどうだ?」
「近所の人の話だと、2日前に引っ越したそうだ。」
「2日前か…。引っ越し先は?」
「ハワイらしいが、詳しい住所までは伝えてないそうだ。」
「ハワイ…。」
“ハワイ”という単語がひたすら脳内を駆け巡った。彼の中では新たな決心がついた。それはケリーにも伝わっていた。
「今度こそ、あの忍者を捕まえようぜ。」
“忍者”とは米国内で活動している東機関の諜報員を指す言葉で、ルーズベルト政権に移行してからの大規模な防諜対策の一環として、FBIには国内の諜報員を逮捕するように大統領からの直々の命令が下っていた。
そこでFBIはニューヨーク支部のジョン・スコフィールド捜査官を総指揮官とする各支部の腕利きの捜査官を選りすぐった特別捜査班を編成してこの任務に充てていた。
ジョン達が追っているのはニューヨークで諜報の指揮を執っていると思われる商社勤めの“進藤”という人物だった。しかし、東機関が米国内で構成している諜報網はFBIだけでは手に負えない程大きな物だった。
同年同日 アメリカ合衆国 ワシントン州 ホワイトハウス
FBIニューヨーク支部からの報告は直ちにルーズベルト大統領へと伝えられた。報告を聞くや否や、直ちに国務長官を呼んだ。
「お呼びですか?大統領。」
「君はFBIがこの事態に対処できると思うかね?」
「おそらく厳しいでしょう。我々の分析では彼らはかなりの情報網を構築していると思います。」
「そうか…。」
ルーズベルトは深くうなだれた。
「大統領、私に考えがあります。」
「言ってみたまえ。」
「大統領直轄の諜報機関を設立してはどうでしょうか。我々も彼らと同じ事をするのです。」
「変に緊張を煽るだけじゃないのかね?」
「情報とはいかなる手段を使ってでも知るものです。大統領が思われているより、内部情報は日本に渡っています。“組織”としましてもフーバー前大統領のような失敗はしてもらいたくはないのです。」
「ふふっ。本音が出たな。“組織”としての意向なんだな?」
「ま、そういう事ですから。ご検討ください。」
暫く間を置いてルーズベルトが口を開いた。
「見返りはあるんだろうな。」
「もちろん、次の選挙も全力で応援しますよ。では。」
足早に退室しようとした国務長官にルーズベルトは釘を刺した。
「言っておくが、私はフーバー程臆病では無い。重大な決断だって出来る。彼らにもそう伝えておいてくれ。」
「その言葉、期待していますよ。閣下。」
大統領直轄の組織であるOCI(情報調整局)が発足したのは、このやりとりの1週間後の事であった。




