日独防共協定
1934年 7月1日 ドイツ国 ベルリン
ドイツはこれまでのワイマール共和国に変わり、ドイツ国となった。政権を樹立したヒトラー総統はこれまでの日独協力協定を拡大発展させた日独防共協定を締結した。祝賀パーティーを終え執務室に戻ったヒトラーは宣伝大臣のゲッべルスを呼び出した。
「お呼びですか?マイン・フューラ。」
「なに、話したいことがあってな。」
「私で良ければ何なりと。」
「ゲッべルス君、私は日本へ行くことになるだろう。」
「は⁉︎」
ゲッべルスは驚きを隠せなかった。ヒトラー総統は元々、日本人に対していい印象を持っていなかった。我が闘争でも日本批判を綴っていた程である。
「我が闘争でああ書いたが実際はこの目で見ないとわからない事もある。」
「では、我が闘争の改訂も?」
「当たり前だ。考えてもみたまえ、日本は3000年間負けたことの無い国だ。一度は訪れてみたいだろ?」
「なるほど…」
「聞けば、海軍の再建にも協力してくれているそうではないか。」
「訪日研修将校団の件ですね?」
「彼らを迎えに行く事も大きな宣伝になる。私の名を日本に広める機会ではないか。」
ゲッべルスは何かを察したようだった。
「わかりました総統!そうゆうことでしたらお任せください!」
「では日程を決めておいてくれ。私は書類の後始末があるのでな。」
「ジーク・ハイル!」
ナチス式敬礼をしてゲッべルスは退室した。
「日本か…代々エンペラーによって治められた国…」
書類を整理しながら世界地図に目をやった。右の端に描かれた島国が眩しく見えた。
同年 7月14日 大日本帝国 江田島海軍兵学校
「総統が日本に⁉︎」
ヒトラー総統の訪日の報はドイツ海軍研修将校団団長のオットー・チリアクス大佐にも届けられた。
「皆にも知らさなければ!」
彼らはあと2ヶ月で2年間に渡る研修を終えようとしていた。彼らは日本海軍から多くの事を学んだ。特に松本元校長が唱えた五つの訓戒である五省はドイツ海軍でも採用され、海軍総司令部の作戦室に貼り出されるようになった。
後に巡洋戦艦 シャルンホルストの艦長に就任したオットー・チリアクス大佐も艦橋に五省の書かれた紙を貼っている。
同年 8月7日 キール軍港
装甲艦 ドイッチュラントはヒトラー総統、レーダー海軍元帥を乗せ日本へ向けて出航した。ヒトラー総統の留守中はゲーリング国家元帥とゲッべルス宣伝大臣が内政を取りまとめる事になった。ヒトラー総統初となる海外訪問とあって日独内で大きく取り上げられた。
「レーダー君、君には2回目の訪問になるな。」
「はっ!」
「ところで、今言うのもなんだがゲーリングが空母艦載機を海軍所属にしてもいいと言ってたぞ。」
「本当ですか⁉︎」
「連携の事もあるだろう。私が説得しておいた。」
「ありがとうございます!マイン・フューラ!」
「海軍力はイギリスに対抗する為にも必要だ。期待しているぞ。」
「必ずや期待に添えるよう尽力いたします‼︎」
ヒトラー総統乗艦という栄誉を受けたドイッチュラントは順調な足取りで日本へ向かっていった。