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和製ファンタジーにおける”魔法”の設定について  作者: 囘囘靑
第十講:知覚問題

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10.3.仮説①魔術生命体説

 実はこの「主観と客観の問題を乗り越えるために“神”を介在させる」というせこい戦法は、デカルトというフランスの大哲学者がやっているわけですが、デカルトの「神」は論法の中で自然消滅する一方、魔法の設定における「神」は消えてなくならない、という厄介な一側面をはらんでいます(とはいえ、「神」が消えないために、宗教を作品内に出す根拠が勝手に生じる、という利点ももちろんあります)。


 そして「そもそも『神』なんていう代物を出すくらいならば、もうはじめから何でもかんでも『神』を根拠に据えればオッケーだから、こんな魔法の考察なんて無駄ですよ」という直球の意見が飛んでくるのは必定になってしまいます。この問題を克服するためには、”魔術仕掛けの神 (デウス・エクス・マギガ)”を作者の手で抹殺し、もう一度問題の始原に戻る必要があります。


 ここでは「“神”の介在を求めることなく、魔法使いの魔法が対象に一定の効果を発揮することを担保する」ことを考えてみたいと思います。ちなみに「超越者の存在を仮定せずに主観と客観とを一致させる」という難題については、すでにヨーロッパの著名な哲学者が激しくなぐり合っており、正直筆者の手におえる問題ではないのですが、あくまで「魔法の設定」を考察することがこの作品の目的ですので、若干とんちに近いアイデアでも臆面もなくさらしていきたいと思います。


 われわれは、「魔法使いが呪文を唱えたから、魔法の効果が発動した」と考えています。このことを逆手にとって考えてみましょう。すなわち「魔法使いが呪文を唱えたから魔法が生じたのではなく、魔法の発現について、魔法使いの呪文が事前的に(可逆的に)可能になった」と考えてみるのです。


 「魔法使いが呪文を唱えたから、魔法の効果が発動した」と考えているとき、当たり前ですが、まず①魔法使いが呪文を唱える、次に②魔法の効果が発動する、というプロセスをたどっているはずです。このとき、「魔法の効果」は、「魔法使い」に従属しています。


 逆転させるのは、この「魔法使い>魔法の効果」という一種の不等式です。金づちでぶん殴られたら、誰しもが「痛い」と言うはずです。「金槌でぶん殴ってくる」のが「魔法」であり、「痛い」と言っているのが魔法使いと考えたとき、主従関係はとうぜん「魔法の効果>魔法使い」になります。つまり、魔法が自由自在に動き回っているという事態を、魔法使いが事後的に(事前的に?)承認することで、あたかも「魔法使いが呪文を唱えることによって、魔法が発動している」ように見える、というわけです。


 つまり、魔法を一種の意識を持った何かと見なし、その意識が暴れる際の静電気のようなものが、魔法使いの口を通じてはじき出される、といったような具合に考えるわけです。とはいうものの、「痛い」と言うためには、その前に金づちでぶん殴られている必要があります。したがってこの意識を持った魔力(魔性)は、われわれの意識に直接与えられた時間とは真逆の流れの中に身を置いていることになります。宇宙は虚数i時間の中で成長を遂げているらしい(?)ので、「意識を持った魔力は実数時間の中でうごめいており、魔法使いを一種のチャネルとして利用することによって、自らのエナジーを発散している」というような設定を作ることはできるかもしれません。

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