覚悟の時の始まり
ある日は水族館へ行った。
水平移動するエスカレーターに乗ってトンネル状に形成された水槽を進んで行く。
時より魚たちも近づいてきては私たちを眺めて行ったりして、その度に私たちも「おぉー」なんて言い合ったり「あの魚ブサイクだねぇ」という冗談に吹き出したり。
ある日は予定を変更してたまたま見つけた野原で車に積んであったグローブ二つと野球ボールでキャッチボールをしたりフリスビーを投げたり。
木陰で風が気持ちいいね、なんて話してたら君はウトウトし始めていたから頭を撫でたら嬉しそうに目を細めて安心したようにゆっくり眠りに落ちていったね。
ある日はどこにも行かないでずっと家に居た。
何をすると決めたわけではない日。
ただ二人で居ようと決めただけの日。
君はお気に入りの本を読み直していたね。
君はあの日以来もずっと笑っていたね。
病気なんてものともしないって感じで気丈に振舞っていたね。
私はその姿を見て安心できた。
私がその姿に助けられた。
私は君を支えることができているのだろうか。
そして今、私は君の居る部屋に続くドアを開けようとしている。
君の居る真っ白な部屋に通じる真っ白なドアを。
「やぁ、おはよう。 調子はどう?」
私の顔を見た途端君は眠そうな表情から少し笑顔を作る。
「最近日が短いわ。 まぁ何をしてる、ってわけじゃないからそれでも退屈よ。」
「そう。 何事もないんならそれでいいさ。」
妻の病はついに日常生活も満足に送れないほどにまで進行してしまったらしい。
病気だと申告されてからまだそう長い時間も経っていないと言うのに。
まだやりたいことや行きたい所はたくさんある。
でもそれらはもうできないし行けない。
だから今までの限られた時間の中で"これはしよう"って決めて過ごした楽しかった日々を思い出すことしかできない。
「それじゃ、今日は医者に呼ばれてるからね。 話しをしてくるよ。」
「えぇ、気をつけてね。」
怠そうな手をゆっくり持ち上げて力無さげにフラフラと揺らす。
私もそれに答えるように手を振ってから部屋を出る。
妻とは反対に私の顔を見た途端に少し苦しげな表情をするのは、例の医者だ。
あの後も妻の病気について色々調べてくれたらしい。
やっぱり本当に良い人だ。
私が指定された椅子に座った事を確認してから、医者は口を開いた。
「こんにちわ。 ……奥さんの状態ですが、先日お話ししたように現在脳波を測定しています。 おそらく、もう近いうちです。 その時はすぐに連絡をするので携帯は常に持っていてください。」
少し早口。
申し訳ない、思っていることが伺える表情。
赤の他人のハズなのに、私たちのために気苦労を負わせてしまっている。
「初めはいつがその時になってしまうのか、すら判らなかったのに先生が調べてくれたおかげでそれも分かる事が判りました。 先生には本当に感謝しています。」
頭を下げる。
私も、顔を見られたくなかったのかもしれない。
「…いえ……こちらこそ、どうするこどできなくてすみません……。」
私は、医者にも恵まれているんだ。
色んな人に恵まれている。