一綴目 『場念<フォット>』
可憐な衣装を内側に秘めつつ、少しずつ色付いてきた蕾達がいよいよお披露目の候、あと十日程度で付近は花見客で賑わうであろう。しかし、そこから程近い場所にありながら、その賑わいから排除された哀れな男が、『諸悪の根源』を恨めしく思い、タブレットを睨みつけていた。
画面にはリモート会議アプリが起動し、桜田警部がその顔を晒していた。桜の花を見たいのに、画面いっぱいに映っているのは桜田の顔だ。眉間に皺を寄せ、汗で額を光らせているその様子が、イケメン感を三割増しにしていて、青山としては屈辱的でつまらなかった。桜田は極めて真面目な性格だが、青山は「顔だけで昇進した。」などと事実無根で勝手な評価が脳内を支配している。とは云え、ひとまず仕事なので、青山は仕方なくその桜田から事件について説明を受けている。
『拾い屋』を民間人に委託している都合上、危害が民間に及ぶことを避ける、または事件を担当している刑事が特定されないように、警察と『拾い屋』は極力、直接接触しないよう推奨している。
話を戻そう。事件の内容について、桜田が汗を拭いながら説明する。
「被害者は高校教師の由依遥二十七歳。この女性です。」
由依遥の写真がタブレットに共有された。
「……スゲー美人…」
青山がゴクリと唾を飲んでため息をつくと、
「そこですか、第一声…」
桜田が呆れた顔で、叱責を試みたが、青山はそれを遮り、
「いや〜、こんな娘が殺されるなんて、まさに国の損失ですよ。」
と青山が渋い声で力説する。
「そういう言い方もどうかと思いますよ。」
桜田は叱責を諦めた。馬鹿馬鹿しくなった。説明を続ける。
「桜並木の横を流れる桜川の中央の岩に引っかかってるところを、登校中の中学生が発見し、通報。遺留品は既に鑑識に回してありますが、遺書などは見つかっていないとのこと。何らかの事件に巻き込まれた可能性がありますが、犯人に繋がる証拠が何一つ出ていないので、依頼させていただきました。詳しい資料は物証捜査専用クラウドの例の場所に置いてます。ファイル名などの詳細はメールをご確認下さい。」
桜田が説明を終える。とにかく警察も人手不足で、一人で数件の事件を担当している。よっていつものように説明はあっと言う間に終わる。
「はい、承知しました。」
青山が丁寧に返事をした。
親子ほどの歳の差だが、相手は依頼主なので、青山は終始敬語で話している。
これから開花し、満開となって散っていく桜のように、このリモート会議も瞬く間に終了した。
青山の背後で、リモート会議を静かに聞いているのは敏腕秘書の大崎恵実。恵実と書いて「めぐみ」と読む。三十代前半に見えるが、実際は四十半ばだ。容姿端麗、頭脳明晰、才色兼備、貴賓優雅、花鳥風月、実に非の打ち所がない。
…はずなのだが、青山はちょっと違った見方をする。
「『アレ』さえなければホントいい女なんだけどなぁ。」
その大崎が『物証捜査専用クラウドにある資料に早速目を通し…と云うか、全てに目を通したタイミングで口を開く。
「今から現場を見に行きますか?」
◇ ◇ ◇
遺体が遺棄されていた現場に来た。川の中とは云え、この季節、水深は極めて浅いので、裸足で川に入り込む。通常ならば早春の候、かなり水が冷たくて凍えるはずなのに、気温が上昇しているおかげで寧ろ気持ちいい水温となっている。周囲からは、涼が欲しくて裸足になっている、とでも思われているだろう。
「いよいよですわ…」
大崎が期待を胸に声なき声を上げる。
青山は目を閉じて、深く呼吸を整え、神経統一に入る。
「ああ、なんて素敵なんでしょう!三ヶ月ぶりに見る雄姿!まるでGRAYのTERUですわ。ああ、ステキステキステキステキステキステキステキ…キャーッ」
青山が目を開く。
「あの〜、大崎サン、変な念を新規作成しないでいただけますか?とっても邪魔なんですケド〜。」
「ああっ、申し訳ございません。久々なので、つい思いがこみ上げて参りました。反省致します。罰として私を好きにお召し上が…」
と、モジモジしながら反省の念?を放射したが、青山には一粒たりとも掠りもせず、大崎の言葉の粒子を遮りながら、
「じゃ、ひとまず半径十メートル以上離れてくれる?」
と願い出た。大崎は顎に人差し指を当てて、何か言いたげだったが言葉が出ずに静かになった。
青山は精神統一を再開し、緩やかな空気圧のような波が辺りを舐め回したあと、青山が呟く。
「犯人は安村浩介二十八歳。由依遥の交際相手で間違いなさげ。ああ、腹の立つ。どうやら単独犯で、他の場所で殺害後、何か見せしめのようにこの場所に遺棄したようですね。」
青山は、こんな美人を殺害したこの若造に腹を立てつつ、その特殊な『能力』はその犯行を明らかにした。
「相変わらず素晴らしい能力ですわね。」
いつものように大崎が上品に褒め称えると、
「そうでもないっすよ。」
と青山が自嘲しながら返す。毎回のルーティーンだ。
青山の能力は、正式にはFOT (Field of Thought)と呼ばれる"場の念"──通称「場念」をスキャンする能力である。勿論、物体を検知する能力でもなく、人智を超えた存在と交信する系ではない。したがって、直接物証を探し当てることはほとんどない。言い方は悪いが、要は『中途半端な能力』だ。その場に残された『念』を感じ、『対象者』と『状況』を読む。それ以外のことは分からない。情報としては不確かなので、裁判では到底相手にしてもらえない。よって、自分で物証を求めて探し回るしかない。
青山は、前の場所の手がかりを探す為、場に残留する念をさらに深く読むことを試みる。が、遺棄されただけの現場から得られる『念』には限界がある。と云うか、先ほどの大崎によって新規作成された念に邪魔されて、ものすごく読みにくくなってしまった。
「…ダメだな、誰かさんのせいで…」
と青山がちょっとイラッとして大崎を見たが、すかさず大崎は目線を外しつつ提案した。
「では、由依さんのご自宅へ参りましょう!」
◇ ◇ ◇
由依のマンションの管理人に大崎が事情を説明し、鍵を借りる。部屋に入ると、早速青山が場念のスキャンを試みようと精神統一に入る。すかさず、大崎が青山をチラ見しながら妄想を始める。
「ああ、こんなお部屋に二人暮らしとかいいなぁ〜。あ、そうか。今、所長と二人っきり…」
この妄想が大きくなる前に、青山は遮った。
「分かってるとは思いますが、変な雑念を新規作成しないで下さいね。さもなくば、バケツに水を入れて外で立って持ってなさい。」
昭和の小学生か、そんなの漫画の中だけですよ、と思いつつ、大崎はショボーンと気のない返事を返す。
「は〜い…」
無事にスキャンを完了し、青山が真相を語る。
「矢張り安村は由依の交際相手でした。しかし腹の立つ。そして安村は大学院生のようです。」
「このあとは被害者の勤務先を伺う予定でしたが、先に安村の大学を訪ねますか?」
スマフォを片手に大崎が尋ねると、
「いや、ひとまず被害者関連の足跡を辿ります。」
と、青山はタブレットのスケジュールアプリと地図アプリを確認する。
◇ ◇ ◇
由依の勤務先に到着して、大崎が入館許可を申請し、承認後、二人は真っ先に由依のデスクに向かう。
大崎が聞き込みを行なっている隙に、青山が場念のスキャンを行なう。
基本的には青山が聞き込みも行なっているが、スキャンを念入りにしたい時は、大崎でカモフラージュする。とは云え、聞き込みした内容は全て大崎が記録している。おかげでいつも聞き込みの細かい内容を取得しつつ、丁寧に場念をスキャンすることが出来ている。実に有能な秘書だ。
しかし残念ながら、このデスクからは勤務以外の念を感じ取ることが出来なかった。いや、決して念が薄いワケではない。寧ろ、いろんな念が入り込んで、何か大事な念を取りこぼしている気がした。
さらに、教室や食堂など、関わりある場所の念を片っ端から場念をスキャンする。が、それ以上のモノがなかなか出ない。人の往来が激しくて雑念が邪魔をする。
「はぁ〜、疲れた。帰ろうかなぁ…」
と思いながらも、資料室の場念をスキャンしたところ、その片隅から激しい哀しみにも似た、ちょっと変わった念を感じる。
「何だろう、この念は。激しい対立、だけど優しさがある。由依遥ともう一人、田部洋子三十五歳の念を感じる。」
田部洋子は事件発覚前日に退職し、行方をくらませている。さらに、被害者と口論しているところを目撃されているため、警察は田部の線で捜査しているそうだ。答えを知っている青山は真相を吐き出したい。然し、物証がないので口を閉ざすしかない。
「ケーサツのバーカ。能無しぃ〜。鳥脳ぅ〜。」
と脳内で繰り返すので精一杯だ。
◇ ◇ ◇
田部洋子と云う人物が出てきたので、行き先に急遽、田部の自宅を追加した。
が、場念からは田部の念は感じられない。何故か安村の念を感じた。あとは雑念のみ。恐らく田部はこの部屋には殆ど帰っていないのだろうか。では何処に?
◇ ◇ ◇
犯人の通っていた大学を訪ねた。と云うか、本人に会っている。
青山はこの男が犯人であることを既に知っている故、美人と付き合いやがって、その上殺害しやがって、と、強い怒りを覚えており、冷静ではいられない、と、冷静に判断して、聞き取りを大崎に一任した。
犯人である安村は、彼女が殺害されたショックを演技している。実にリアクションが巧い。俳優経験でもあるのか?そんなコトを思うや否や、大崎による聞き取りが開始した。
「由依遥さんとお付き合いされてどのくらいですか?」
「二年ほどです。」
震えた声で安村が答える。演技している。青山は答えを知っているだけに、顔に出さないように気をつけつつ、
「白々しいわ!このクソ野郎!」と思っている。
「どちらからのお誘いで?」
「遥から」
その嘘も知ってる。あー暴露したい。
「遥さんが殺害された時、あなたはどこに?」
「自宅にいました。ライブ配信を視聴していたので、ログ見れば分かります。」
?、何を言ってるのかな?意味が分からん。ツッコミどころ満載なのに、警察はまんまと騙されているようだ。耳を揃えて税金を返して頂きたい。そんなことを考えながら、青山は持て余した思考エリアを無駄遣いしていた。
「証明出来る人は?」
大崎が冷静に質問を投げる。
「いやぁ、一人だったので、いません。」
安村は答える。一瞬だが、嘲笑うような表情を見せた。このように答えることも計画の一部か。ひとまず、帰宅時間まで待って、自宅を訪問する約束だけ取り交わして大学を後にした。
◇ ◇ ◇
安村の自宅は、マンションの一室で、まだ新しく、一人暮らしには大きすぎる3LDKの間取りだった。ガサ入れしたら色々出てきそうだなぁと青山は思った。ただ、今は任意の事情聴取、且つ、警察的には被害者の交際相手つまり遺族みたいな扱いなので、下手に手出しは出来ない。
引き続き、MCを大崎に任せているので、こっそり場念をスキャンしてみる。
「お!」と声を上そうになるのをなんとか抑えて、大崎MCの締めを待って、部屋を後にした。
◇ ◇ ◇
事務所に戻ってきた。情報を整理している。
安村の自宅をスキャンしたときに判明した事実がいくつかある。
先ずは、安村の本名は、
『徐玉成』
と云う。
”安村浩介”は偽名であることが分かった。
何らかの組織の構成員であり、部屋には組織の者と思われる者が何人も出入りしていた。諜報や工作を行なう組織のようだ。
そして、由依を殺害した凶器は自宅に隠し持っていることの確証を得た。
徐が犯人であることは既に分かっている。ただ、警察は徐を『被害者側』として扱っている為、令状を取ってガサ入れする必要がある。従って、令状を取ることが出来るだけの根拠を揃える必要がある。
ガサ入れすればすぐに凶器が見つかり犯人特定となるが、そのガサ入れする為の証拠が徐の自宅にあるので、非常に頭が痛い。
青山は煮詰まった空気を排出すべく、深呼吸した。ちょっと悩みこんでいて気付かなかったが、先ほどから腹の虫が騒ぎ立てていた。おもむろにカップラーメンにお湯を注いでる。
ちなみに、敏腕秘書の大崎は料理も上手ではある。しかし、放っておくと、青山に食べてもらいたいと必要以上に腕を振るってしまう。 結果、食材の価格を顧みない超豪華料理が狭いテーブルを占拠してしまうことになる。
誤解のないように言っておくと、大崎は決してコストを計算出来ないわけではない。寧ろ得意分野である。ただ、青山のためなら平気で地腹を切ってしまう、それだけだ。
なので、青山が先に自分でカップラーメンを作っておかないと、大崎の切る腹がなくなる。また、自分の分だけ作るのも、それはそれで部下へのコミュニケーション的にどうよ?って感じなので、きちんと二人分を用意する。
それを大崎がまた大きな勘違いをして妄想が止まらない。
「所長が私だけのために。私だけのために。」
このやりとりも、ルーティーン化して久しい。
そんな大崎をスルーして、青山はラーメンを啜りながら唸った。
「どうやってガサ入れさせるかなぁ。」
組織に就職する為に大学院に行っているとは考えにくい。組織に所属していながら、何かしらの諜報や工作の為に、大学院生に成りすましているのであろう。
スパイ防止法の観点から、徐を容疑者に仕立てあげられないかを考えている。
◇ ◇ ◇
いくつか気になる点があった。
先ず、由依のデスクのスキャンで取りこぼしている念。ただの雑念なら気になることもないが、今回は何かが引っかかる。
次に、田部については、由依との口論の内容もさることながら、何故自宅の場念に田部を感じなかったのか。どこに居るのか。
もう一つ、犯人である徐は、何故普通に生活出来ているのか。(困惑する芝居をしつつも)平気な顔して事情聴取に応じられるのか。
そんな折、桜田警部からメールが入った。
「監視カメラの映像に、ちょっと不審な点が。」
◇ ◇ ◇
そこに映っているのは徐玉成。被害者の交際相手として、警察から遺族のように扱われている『安村浩介』という偽名を名乗る男だ。
監視カメラは田部宅から少し離れた場所に設置されていた。離れているとはいえ、付近を歩く人々の人相は辛うじて確認可能だ。ただ、夜になると画像の質が落ちて少々確認しづらいのも事実だが、徐が普段から身につけているブレスレットが特徴的なのでほぼ間違いない。
手に何か持っているが、そこまでは分からない。直後からしばらく映像が乱れ、再び映像が戻った時には手に大きなバッグを持っていた。
一体何を持っていて、何を手にしたのか。
それと、映像の乱れは何なのか。
いろいろ疑惑があるので、他の念に邪魔されないよう、翌朝未明のうちから現場に向かい、場念をスキャンすることにした。
◇ ◇ ◇
夜明け前の午前4時、モーニングムーンを歌うASKAの声が頭の中で鳴り響き、何度もリピートしてしまう。年代を感じつつ現場に到着すると一転、仕事モードになる。
ひとまず大崎は置いてきた。この時間の変なテンションで変な雑念を新規作成して現場を荒らされては困る。抑も、早朝だし時間外労働だ。そんなカネはない。まぁ本人はボランティアでも来てしまうことは想像に難くないが。
ということで早速、場念をスキャンして、いくつかの疑問を解いた上でまた事務所に戻った。
◇ ◇ ◇
「何故私を連れて行って下さらなかったのですか!」
大崎がビービー喚いてる。連れて行かないならないでこうなるよなぁと思いつつ、
現場保存を優先した自分の判断に間違いはない、と、強く思った。
「そーんーなーこーとーより、です!」
青山が声を張り上げる。
大崎はシュンとなって静かになる。
「どうやらヤツは田部を始末するよう組織から命令を受けていたようですよ。あと、大きなバッグには、遙たんを殺害したときの衣類が入っているみたい。」
「遙たん?」
「あ、ミステイク、被害者の由依遥さん、です。」
「遙たんって何なのですか?何なのですか…!」
「聞き違いです。」
「ミステイクって仰いましたよね!?」
「それも聞き違いです!」
「何なのですか!何なのですか!」
…と、大崎が興奮して埒が明かないので、
「そーんーなーこーとーより、ですよ!」
青山が怒鳴ると大崎はシュンと静かになる。
「兎に角、徐は田部を始末して、由依遥の血液の付いた服を移動しました。よって、由依遥を殺害したのは田部なのか?警察はこれで『田部が由依遥を殺した』と考えるだろうが、違います。真犯人は徐玉成です。且つ、何故か田部は生きている。始末されていない。だからあの部屋では田部の念を感じないんだ。ここが引っかかる。何故?」
「田部は別の場所に隠れている、と云うコトですか?」
「そう、始末したくも対象がいなかった。そうなると、徐玉成が田部の部屋からバッグを持ち去ったってコトは、田部が部屋にいないことを知ってて、由依遥殺害後に合鍵で田部の部屋に忍び込んで、衣類を隠していた?う〜ん、田部と徐の繋がりがしっくり来ないなぁ。でも、田部の部屋に何か取りこぼしがあるかも知れない。」
そう思って、再び田部の自宅へ行ってみた。
◇ ◇ ◇
「微かだけど、ありました!」
場念に残っていた徐の足跡を丁寧に辿る。すると、恐らく落としたことにも気付かなかったのだろう。鑑識も気付かなかったようだ。借りて間もない感じの殺風景な部屋の片隅に、何かのメモの切れ端が挟まっていた。
「この切れ端から僅かながら徐の念を感じます。奴の指紋が検出されれば、ここに出入りしていることが判明しますね。」
一旦、田部犯人説を支持しつつ、田部と徐が繋がっている<仲間>だということにして、例のバッグの中身を調べる為に、令状を取ることを、桜田警部に提案することにした。
◇ ◇ ◇
事務所に戻り、デスクに並べた資料を整理している。大崎がアフタヌーンティーを、と言って、暖かい緑茶と煎餅を用意しながら妙にハイテンションだ。
「大崎さん、先ほどのメモの切れ端、アレを桜田警部にお渡しするので準備しておいて。」
「はい、準備完了しております。」
仕事が早い。自発的に青山の意図を汲んで先回りした仕事を完了しておく。とてもよく出来た秘書だ。
それなのに…と言いたくなったそのとき、桜田警部からの着信が入った。
「先に謝っておきます。申し訳ございません。」
と、桜田警部は申し訳なさそうに肩をすぼめる。
「…?何があったのですか?」
「実は、田部が自首してきました。よってこの捜査は打ち切りです。」
???、青山の頭の中はクエスチョンマークで一杯だ。
今回の由依遥殺害事件の犯人は徐なのに、何故田部が?
田部は徐のターゲットなのに。もしかして、裏取引して、罪を被るかわりに命を保障させたとか?
「いちお、実労働時間を元に算出した最低賃金は支払うことは可能なので、それで勘弁して頂けますか?」
と、申し訳なさそうに桜田が言った。
「まいったなぁ。これじゃ、徐の自宅のガサ入れが出来なくなった。まぁ一応提案してみるか…」
青山は困惑しつつも、田部宅で見つけたメモの切れ端のことを話した。
「分かりました。一旦そのメモを受け取ります。今のところ田部については自供しかありませんので。」
桜田警部が了承した。恐らく田部を真犯人にする為の証拠だと思って受け取るのだろう。
青山の思惑としては、このメモによって、徐と田部が繋がることを目論んでいる。
まだ気は抜けないが、とにかく一安心した。
「じゃ、大崎さん、コレを桜田警部に。」
「先ほど申しましたが、準備完了しております。」
「あ、そうだった。じゃ、送っといてね。」
「承知しました。」
◇ ◇ ◇
翌々日、ひとまず何もやることがなくなって、それでも腹の虫が騒ぎ立てるので、カップラーメンを啜ってる。
すると、桜田警部から着信が入った。
「全て解決しました。あの切れ端のおかげです。ありがとうございました。特別報酬が出ます。そのうち。」
(「そのうち」)と云うのが気になるが、つまり、青山の思惑通り、あの切れ端により徐玉成が田部の部屋に侵入したことが発覚した。
しかも『田部の部屋』とは言ったものの、それはあくまでも「田部洋子」の名義で契約されているに過ぎず、田部自身は住んでいないことは田部が本当の住所と共に自白した。どうやらその場所は徐の作業場だそうだ。
最近までスパイ天国だったこの国では、自分の住所がどのように悪用されるか知れたものではないので、職場では本当の住所を伏せて、自分名義の徐玉成の作業場の住所を登録していた。
◇ ◇ ◇
徐玉成と田部は中共のスパイで、いろんな諜報・工作を行なっていた。しかし、田部が指令に対し敵対するようになり、徐玉成に指令が降りた。「田部を始末しろ。」と。
いち早くそのことを察知した田部は、全ての事実を親友である由依遥に説明し、その身の安全の為、彼氏である安村浩介(こと徐玉成)と別れるように説得を試みたが、失敗して口論になった。
資料室で感じた激しい対立の念はこれだった。
とは言え、由依遥は田部から聞いた内容が気になってしまい、帰宅後に彼氏である(はずの)徐玉成(安村浩介は偽名)と顔を合わせられなくて、怪しまれ問い詰められたので、つい事実確認と諭すことを試みたが、刹那、殺害された。
遺体は、田部に対する見せしめで、「次はお前だ!」と言わんばかりに川に遺棄された。
鮮血を浴びた服装は一旦、田部名義の作業場に隠した。が、意外と早く捜査(青山の調査)の手が伸びたので、別の場所で始末しようと運び出した。
ちなみに監視カメラには、部屋に入る前に持っていた『何か』について、凶器かと思っていたが、単に部屋の鍵だった。
では凶器はどこに?それは田部の自白により判明している。
田部は口論のあとの由依遥が気になってずっと影から見守っていた。しかし彼女の部屋の中だけはどうにも出来ず、みすみす死に追いやってしまった。
その後は徐玉成を見張って、徐玉成のバイクにコッソリ発信器を仕掛けた。すると、例の鞄を持ち出したあと、山に向かったのが確認出来た。
徐が山を出たあと、入れ替わるように田部はその山に入った。
辺りには焦げる臭いが立ちこめており、鞄と衣類は焼却されたようだ。と、ふと見たところに、月明かりに照らされて、キラリと光るものがあり、近寄ると、血の付いた刃物があった。
服と一緒に焼却したつもりだったのだろうが、途中で落としたことに気付かなかったようだ。
田部は自分の指紋が付着しないよう衣類で丁寧にくるんで、『自首』したようだ。
何故『自首』なのか。それは自分のせいで親友の由依遥を死に至らしめた後悔の念と、警察に拘束されないと自分の身の安全が確保出来ないと思って、「自分が殺った」と偽った、とのこと。
ちなみに田部は由依遥と仲良くなって『親友』になったことから、組織の指令から離れようと少し前に帰化したので、『田部洋子』は本名である。
元の名前については、桜田警部から聞くこともしなかった。
そして、由依遥のデスクに残っていたあの念が何なのか、結局分からなかった。
◇ ◇ ◇
まぁとにかくこれで片付いた。一息つこうと思うや否や、桜田警部が口を開く。
「それで、次はですね…」
ああ、まだまだ事件は続くのね。まぁ仕事にありつけるのはありがたい話だけど。そう思いつつ、
早く少子化と人員不足が解消してほしいと願う青山の思考を、
大崎が先回りして察知し、
「私がいます。私が。私と拵えて下されば、少子化なんてあっという間に解消しますわ!!!!」
と大騒ぎ。
「はぁ〜」
と青山は頭を抱えながら深〜いため息をついて思う。
「次の欠片(pieces)はどこで呼んでいる?」




