プロローグ 移ろう魂
もっと親孝行しとくんだったな──今になって思うのは、そんなくだらない事である。
今の状況だが、黒い覆面を被った大柄な男が持つ鋭利な包丁が、俺の顔に迫っていた。それはもう、目と鼻の先ってぐらいの距離に。
はてさて、どうしてこんな事になってしまったのか?
それは、約数十分前に遡る。
………
……
…
俺は、年齢十七歳の無職。……ああいや、アルバイトはしているし、その場合フリーターになるのか……? まぁ、普通なら高校に通っている年齢だろうが、高校には行っていない。諸事情ってヤツでね。見逃してくれ。
そんな俺だが、今は自室に引きこもってネット小説ばかり漁っていた。
ウチの親は意外と放任主義で、俺が高校に行くのを辞めた理由も知っている。なので、特に怒られる事もない。家事はシッカリこなしているし、バイトもしてるしね。今日は水曜日だが、休みってだけだ。何の問題もないのである。
しかし、そんな状況でも、娯楽のない日々は結構辛いものだ。学校に行っていれば、明確に〝やる事〟があったので暇はしなかった。環境はサイアクだったが。
そんな鬱屈とした、ただ家事をこなすだけの生活を送っていた……ある日。ある、ネットニュースを見かけた。
それは、ウェブ小説が書籍化したというもの。
先ず思ったのは、『ネットに小説があるのか……!?』というものだった。
それから、ネット小説を漁る事に明け暮れていたのだった。
「ありがとうね。後はやっとくから」
「うい」
母さんが家事を引き受けてくれるというので、俺は二つ返事でそれを切り上げ、階段をあがって自室に入る。
さてさて、今日も小説を──
「わあ! おにぃ、今度は何見てるの?」
「おわっ!?」
机の影から、小さな頭がぴょこりと飛び出る。それは──
「びっくりさせんなよ……。また小説だって」
「ふーん、そっか。ねえおにぃ、また面白そうなの見つけたんだよ。一緒に読も?」
俺の五つ下の妹、美羽だ。
「えー、これか? あんまだと思うなあ、俺は」
「ええーーーっ!? 僕、結構面白いと思ったんだけどなあ」
幸い、美羽はこんな俺にも懐いてくれている。どんな理由であれ、学校に行っていない、不良の俺だというのに。
境遇は最悪だったが、俺はこの家に生まれる事が出来て良かったと、心の底から思っている。こんな幸運な家庭に生まれる事が出来たのだ。学校での事は……ツケみたいなものだろう。
「俺のおススメはコレだな!」
「おお! これ、面白いね!」
「だろ? ほら、主人公の心情の移ろいというかさ」
とはいえ、学校には行けていない。就職もままならないだろうし、かなり大変だろう。でも、俺が選んだ道なのだ。あとは真っ直ぐ、突き進むのみである。
「わかるわかる! でもなぁ、僕はやっぱり──」
「ええー?」
とても、平和な会話を繰り広げていた。
今日だって、いつもと変わらぬ〝今日〟だと思っていた。
……しかし、違った。何もかも、違った。
「きゃああああああああああああっ!?」
「っ!?」
「おにぃ、今のって……!」
二階にある俺の部屋まで届く程、大きな悲鳴。それは、リビングにいた母親のものだ。
俺は果てしない焦燥感に駆られ、妹と共に階段を駆け下りた。そこには──
「り、龍我っ!! 美羽、来ちゃダメよ! 部屋に戻ってなさ──」
「ウルセーぞ、ババアッ!! まさか、男がいたとは……誤算だったが、ガキで良かったぜ」
黒い覆面を被り、包丁を手に持った大柄な男が一人。
言われなくてもわかる。強盗だろう。
チクショウ、なんでよりによってこの家に──と、俺は唇を噛む。そして、どうにかしなければと、すぐに思考を回し始めた。
単純に考えて、俺程度にどうにか出来るわけでもない。相手は包丁を持っていて、俺は素手。しかも、後ろには大事な大事な……俺の宝物である、美羽。とても怯えているが、泣いてないだけ立派だろう。俺だって、泣き出したい気持ちでいっぱいだ。
しかし、兄である俺が泣いてはいけない。妹が泣いていないのだから、耐えるべきなのだ。
さて、どうしたものか?
ここで武器を取りに部屋に戻ろうものなら、人質──母さんがどうなるかわかったもんじゃない。しかし、父さんや警察にも電話は出来ない……。
いるのは、俺と美羽、そして母さん。母さんはほっそりとした美人で、美羽も母似。つまり、頑張ったとして、戦えるのは俺だけ。
しかし……俺に、どうしろというのか?
思考が堂々巡りになりそうなところで、思考を切り上げた。
──もう、この手しかない。
そう思いながら、俺は暴漢に立ち向かう。
………
……
…
「テメッ、何しやがるッ!?」
暴漢に飛びかかり、タックルしたはいいものの、やはり、運動もロクにしていなかった非力な俺が敵うはずもなく……。玄関までの道を作る事しか出来なかった。
しかし、道は開けた!
「早く逃げろ!! 俺はいいから!!」
まさかこんな台詞を言う事になるなんて──と思いながら、暴漢を押さえつける。かなりの体格差もあるのに、思ったよりも押さえつける事が出来ていた。自分でもびっくりなほど、俺には結構な馬鹿力があったのだ。
俺もどちらかと言えば小柄な方なので、この結果は良い意味で予想外だった。
「離しやがれっ、クソガキ!!」
「クソガキで悪かったな、クズ!!」
俺は威勢だけはいいので、そう言い返しておく。
「こんの──クソがッ!!」
「うがっ──」
結局は、暴漢に突き飛ばされる俺。
これはもう……終わったかな。でも、美羽達は逃げられただろうか。父さんにも、連絡してくれたのだろうか。
後は、このクズが捕まる事は祈っておこうかな。
「クソがッ! こうなったら腹いせだ……テメエだけでもブチ殺してやらぁ──ッ!!」
そう叫ばれ、包丁が俺の顔に迫る。
──終わったな。まさか、こんな事で俺の人生が終わるなんて。
ザクリと、俺の目に包丁が突き刺さる。
「うううううああああああああああああああっ!!」
「ゲラゲラゲラゲラ! 痛いか? 痛いかよ? もっと喚け喚け! ゲラゲラゲラゲラゲラゲラァ──っ!」
続けて、ザクリ、ザクリ、ザクリ……。
「ううっ、ううっ、ううう、痛い! 痛いいいいいいっ!!」
痛い、痛い痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
死ぬのが怖い。
死にたくない。
もっと、もっともっと……!
美羽と。
母さんと。
父さんと。
もっと、一緒に、一緒に……!!
《死ぬのが怖いかい?》
──声が、聞こえた。
《キミは、勇気があるね。そういう人間、大好きだよ。だから、二度目の人生をあげる》
誰だ……?
気づけば、痛みも、恐怖も、なくなっている。
《フフ……それはじきにわかる。さあ、新しい人生を始めよう?》
その声は歓喜に満ちていて──
──フワウワと、温かいモノに包まれているような、心地良い……。
それが、俺の、この世界での最後の思考だった。




