6杯目
『急で悪いっすけど、バイト誰か変わってほしいっす。サークル活動に集中したくて……』
『私変われますよ〜』
『あざす。よろしくお願いします。俺しばらくシフト入れないかもっス……』
「……ふー……」
『チャイムバイトチーム』のグループチャットでのメッセージの後、律は土下座をするパンダのスタンプを送信し、大学ラウンジの机に肘を置いて物思いに耽った。
――巽と最後に別れてから、おおよそ1週間の時間が流れた。
律は既に決まっていたシフトを、サークル活動を理由に他のアルバイトの人に代わってもらっていた。
本来の理由は巽に会いたくないからなのだが、それを同じバイト仲間に言えるはずもなく……。律は気を揉んで無意識にため息を吐く。
自分から傷つけるような事を言ってしでかしておいて、どう顔を合わせたらいいのか、見当もつかなかった。
「ん……」
巽との出来事を思い出し憂鬱になった律の耳に、スマホのバイブ音が届く。律はやり取りの直後だったのもあり、気になってスマホの画面を覗いた。
『そうだ、谷中くん。シフトのことは全然いいんだけど、マスターが空いてる時間に給料だけでも取りに来てほしいって』
ロック画面の通知に表示されているグループメッセージの文章を見て、律は表情を曇らせた。
チャイムの給料は、現金で手渡し制だ。
流石に自身の給料の受け取りまで他の人に任せられない――。シフト交代以外にこれ以上迷惑をかけたくなかった。
律は通知をタップしてアプリを開くと、手短に文章を打つ。
『わかりました、近いうちに取りに行きます』
送信して、今度こそスマホから手を離した。
気は向かないが、そこまで忙しくない時間帯にサッと取りに行こう。元々自分がシフトに入る予定じゃなかった日に、できれば他のアルバイトがいる時間帯に。そうすれば、巽との接触は最小限に――。
「あー! 谷中クンだ〜! よっすよっす〜」
「……橋場先輩」
「久しぶりだね〜、元気だったー? お昼ご飯、ここで食べていい?」
「いいスけど……もう16時過ぎてますよ。遅くないっすか」
「それがさぁ、ゼミの課題してたら食べ損ねちゃったんだよね〜。律くんはこれからサークル行くの?」
「まぁ、そうすね」
律が項垂れていると、傍から1人の女子大生――橋場舞都が律に手を上げ揚々と近づいてくる。
橋場はアッシュブラウンのセミロングを律にはよく理解できない仕組みでハーフアップのように編み込んでいた。
「お腹すいた〜」
橋場はごく自然な流れで律の向かいに座る。
自分で作ってきたのか、ご飯も入らないだろう小さ過ぎる弁当箱を机の上に出して開けると、改めて柔和な雰囲気と笑顔で律に話しかけた。
「もうすぐ『ダンジャム』の時期だね〜。谷中クン照明だから大変だと思うけど、頑張ってねぇ」
「……ウス。もちろんっす」
律が所属しているサークルは放送局サークルで、放送設備の管理や大学内外のイベントの司会・設営などの活動を行っている。4年生の橋場は引退するほんの2、3ヶ月前まで当サークルの局長だった。橋場はかつてアナウンスなどの司会担当、律は裏方の指示出しや照明を担当していた。
ダンジャムこと『ダンス☆ジャム』は、律たちの大学のダンスサークルの発表会のことで、律たちのサークルはその全体の総合司会や照明音響などの演出を任されている。
照明は一曲ごとに照明の演出が異なり、照明担当は発表会の1ヶ月前は自主練を含めた、多くの練習を重ねることになる。放送局サークル毎年恒例の、大イベントの一つだった。
「後輩も今年は多く入ってくれたから、大丈夫だと思います。みんな覚えもいいっす。……それより橋場先輩の司会がないと寂しいって、ダンスサークルの人たちが言ってましたよ。橋場ロスがすごいっす。――先輩はやっぱ、卒業したらアナウンサーになるんすか?」
「えー? さっすがに、本業はちょっとね〜? アタシはインテリアデザイナーになるのが夢だし! ……でもそう思ってもらえるのは、素直に嬉しいよねぇ〜。またサークルに顔出しちゃお」
橋場は頬に片手を添えて、上品にはにかんだ。
誰にでも分け隔てなく人懐っこさも面倒見の良さも持ち合わせる橋場は、どことなく巽の性格と通ずるものがあった。異なるとすれば、彼女からは憂いや翳りなどは全く感じられない。裏表のない完全な『陽』だ。
橋場は律の顔を覗き込むように、箸を置いて話しかけた。
「――そうだ。ね、バイトどお? マスターかっこいいし良い人でしょ?」
現在の律の心情を読み取ったかのように、橋場の話がアルバイトへとシフトする。律は思わず口ごもってしまうが、律の表情にその気まずさは出ていなかったのか、橋場は遠慮せずそのまま続ける。
「谷中クンは学祭の模擬店の時も手際良かったし、絶っ対ぴったりだと思ったんだよね〜。アタシもマスターにバイト代以外に試供品とかおかずとかいろいろもらってお世話になってたから、ただで引退するのも申し訳なかったし……谷中クンを紹介させてもらって、ホント感謝してる」
「そうすか……」
「んー、あれ? もしかして、なんか上手くいってないカンジ?」
律のつれない反応に、橋場は首を傾げる。
律は悩んだ。
橋場は恐らく、巽の事情は知らない。巽の告白の仕方からして、客だけでなく他のアルバイトの子たちにもゲイであることを隠しているように思えた。――それでも誰にも話せず悶々としていた律は、以前からアルバイト先を知る橋場に思い切って心境を打ち明けることにした。
「えっと……確かに仕事もやりやすいし、たっ……マスターも良い人なんスけど、俺は気を遣われてるんじゃないかって……本当は店の役に立ててないんじゃないかなって、最近思うんすよ……」
「ふーん? それはどうして?」
「……なんつーか、自分でも恥ずかしい事言ってると思うんすけど、やたら褒めてもらえたり失敗しても怒られなくて……店長は俺に甘すぎるんス」
「えー? 褒められたり怒られないんならよくない?」
「それはそうっすけど……なんか嫌なんすよ。頼りにされてないっていうか、相手にされてないんだなって……」
「谷中クンは真面目だなぁ。アタシなら仕事が上手くいってるならそれでいいって思っちゃう。マスターだって、谷中クンのそんな真面目な人柄とか反省しているのがわかってるから、評価もするし怒ることもしないんじゃない?」
「……そう、なんすかね……でも……」
巽の『思わせぶり』な反応など詳細については橋場に説明できないため、律の歯切れは悪くなる。言い淀む律に橋場は食べるのを再開し、卵焼きを一口放り込んだ。
「そんなにマスターの事が気になるんなら、今度バイトの時に聞いてみたら? マスターのこと、キライじゃないんだよね? 谷中クンが考えてるほど、複雑じゃないかもしれないよ」
最後の一口、橋場は鶏の照り焼きを最後に弁当箱を閉じる。律はかすかに俯いて思慮した。
――あの時は慣れない感情に支配されて、巽に強く当たってしまった。律は橋場の言葉を受け、巽を初めて抱き寄せた日のことを思い出す。
触れるまで気がつくことができなかった、人知れず震えていた背中。警戒するように強張っていた肩――。
「……先輩、ありがとうございます。なんかやる気出てきました。俺、もう行きます」
「そっか、ならよかったねぇ」
「はい、行ってきます……!」
律はいてもたってもいられなくなり立ち上がる。突然を席を立った律に気を悪くすることなく、橋場は右手を振った。
「またね〜。サークルのみんなと、マスターによろしく〜」
「ッス……!」
律は橋場にぎこちなく会釈をすると、気が急くまま小走りでラウンジを出て行った。
*
――日が沈み始め、空が本格的に暗くなり始める黄昏時。
本来であれば、律はダンジャムの自主練のため大学の講堂に行かなければならなかった。しかし今は、それを差し置いてでも巽に会いに行きたかった。律はチャイムに向かう途中、サークルメンバーに急用のため今日の自主練は休むと連絡を済ませていた。
チャイムの閉店時間は18時。
今は17時半――閉店間際の時刻だ。
電車を降り店まで走ってきた律は裏口に回るのも億劫で、正面のドアから荒々しくドアチャイムを鳴らし入店した。
「巽さん……!」
「いらっしゃ――あ、律くん?」
巽はカウンターで読書をしていた。
店内は巽と律以外誰もいない。
――この時間帯のチャイムには初めて来た。
外が薄暗くなっているためか、室内のレトロなオレンジ色の照明がより際立ちムーディな雰囲気が漂っている。
巽は文庫本に栞を挟んで閉じると、小首を傾げた。
「……こんな時間にどうしたの? もしかして、お客さんとして来てくれた?」
「え……いや、その……最近バイト入れてなくて……給料を……」
「ああ、給料取りに来てくれたんだ。遅い時間にありがとね。今持ってくるから待ってて」
意を決して会いに来たものの、律は巽の顔を見た途端尻込みし、心から言いたいことを言えないまま喋り出してしまう。巽に気を悪くしている様子は見受けられなかったが、全く安堵できなかった。
「――はい、お待たせ。これが今月のお給料。お疲れ様だったね」
巽は表に戻ってくると札束を封筒から取り出し、律に扇のようにして向けて見事に指で1枚ずつ弾いて数えて見せた。飲食店を続けていると、こんなこともできるようになるのだろうか。
「……あざっす」
お札を仕舞った巽からあっさりと茶封筒を渡され、つられて頭を下げる律。しかしすぐにハッと思い直す。
場の空気に流されず言葉にして言わなければ。律は顔を上げ、今度こそ覚悟を決める。
「あ、あの巽さん」
「……ん?」
律が名前を呼ぶと、巽は素直に律の目を見つめ返した。
律は巽の色素の薄い儚げな瞳に吸い込まれ、胸が苦しくなる。話そうと思っていた自らの行いの謝罪と巽に問うべき真意を全て忘れ、代わりに込み上げる想いを口にしていた。
「俺、巽さんが好きです」
一言、2人だけの店内に震える律のか細い声。我ながら女々しい、情けない声だった。
律は何も言わぬ巽の間に耐えきれず、表情をチラチラと窺いながら目を伏せて話を続けた。
「……あ、あの、巽さんはどうなんすか? あんな思わせぶりなこと言っといて、なんで次の日何も言ってくれなかったんすか? ……ズルいすよ。俺寂しかったんです。巽さん大人だから俺遊ばれてんのかなって、ドキドキしてんのは俺だけなのかなって……不安になるじゃないすか……」
ずっと心の奥に仕舞い込んでいた感情の吐露に、自然と早口になってしまう。律は忙しなく首を触ったり横を向いたり、話すうちに巽を見る余裕もなくなっていた。
そうしてひとしきり打ち明けた後、食い入るように律の顔を見ている巽に意識が向き、律はやっと我に帰る。
「あ、違った俺……まず失礼なことを言った事とか、勝手にキスをした事を謝らなきゃいけないんスよね……。だから怒ってるんでしょ? ……いやでも、巽さんもやっぱひどいっすよ。俺のこと、どうせガキだと思ってからか……」
「……律」
収拾のつかなくなってきた律を見て、巽がようやく喋り出す。律の彷徨っていた視線は、一瞬で巽に釘付けになった。
いつもより低い声に感情の読めない表情だったのもあり、律は口を閉ざし巽の次の言葉を不安気に待つ。
「……オレの部屋、来る?」
「……え」
かけられたのは律の問いかけに対する答えではなく、思ってもみない誘いだった。
巽はカウンターから出て、愕然と固まる律の隣をすれ違う。
「……今日はもうお客さん来ないだろうし、早めに店を閉めるよ。そこで改めて、話を聞かせてもらっていい? オレも、ちゃんと話すから……」
「え……あ、はい……うス……」
選択肢は与えられていたが、事実上有無を言わせぬ物言いだった。巽は入り口のドアにかけてあるサインプレートをひっくり返し、『closed』の面を表に向ける。
「……じゃ、行こっか」
律を振り返った巽は美少女だと見紛うほど妖艶にあどけなく、消え入りそうな表情で繊細に微笑んでいた。




