藝術
油絵には葡萄棚の下、陽光に照らされる美しい女と、抱かれたふくよかな赤子が描かれて居る
彼がよく貴族などの依頼者から『描かされる』モチーフはいつもこんな調子だ
僕の視立てでは、この一枚の絵だけでもそれなりの価値が有るように思えたが、次の瞬間には描いた本人によって蹴破られてしまった
「描き損じちゃった事を神に感謝したいよ、蹴破る理由が出来たからね」
オーウェンは画家としては本当に一流なのだが、とにかく素行に問題が多かった
僕は画商として、近頃は何故かビジネスだけでなく彼自身を補佐する事まで仕事になってしまっていて、疲れを感じている
でも、それは心地良い疲れだった
世の中は自由が効かなすぎる
人の悪口を言えば評判が落ちるし、道徳に反する行動には社会から苛烈な反撃が待っている
僕はオーウェンにいつまでも自由で居て欲しかった
自分が一介の商人として感情を殺して生活している代わりに、彼に怒って欲しかったし、笑って欲しかった
悲しい時には、僕の代わりに泣いて欲しいとも思っていた
もっと言えば、僕は過去の画家を諦めた経験などがないまぜになって、彼に対し思慕の情を抱いてもいた
「なんでこんなにみんな、『優しい世界』とか『ヒューマニズム』みたいのを絵に求めるんだ?」
「こんなの、娯楽なのに!ただの!」
オーウェンがアトリエの床に座って、パイプでカナビスを吸引しながら僕にまくし立てた
「うるせーな、売れるんだから描けよ」
僕は苛立ちにこめかみを押さえながらそれだけ答えると、あとは『この煙が大麻であると、誰も気付きませんように』と願いながら、換気のために窓を開ける
オーウェンはカナビスを吸い終えると、床に仰向けになり、子供のように『やだやだ』をしながら、「女性器が描きたい!」と騒ぎ始めた
人に聞かれてしまってはまずいと思い、僕は今度は急いで窓を閉じると、流れるような動きで鍵を掛ける
覚えているだけで、こうした緊急の施錠は僕たちが出会ってから627回目だった
結局、オーウェンはそのまま、カナビスが全身に回ったのか、すやすやと昼寝を始めてしまった
寝冷えでもされては困るので、僕は背広の上着を脱ぐと、それを床で眠る彼に被せ、手持ち無沙汰なのでアトリエに在る絵を一つ一つ視て回った
部屋の隅にはおびただしい数のイーゼルが無秩序に立ち並び、或いは積み重ねられ、同じ数だけの油絵が放置されている
彼の性格そのままの光景だ
僕はそれを順番に視て、素人なりの感想などを頭の中で考えていたが、或るイーゼルの存在に気付くと足を止めた
部屋の一番隅に在るそのイーゼルにだけ、何故か絵を隠すかのように、上から大きなシルクの布がかけられていた
乱雑な絵画の迷路の一番奥でこそあるが、何故か、通り道かのようにその絵へと繋がる、人の通れる程の隙間が存在している
僕にはそれが、「絵に通じる通路」のように視えた
振り向いてオーウェンを視る
大の大人が、まだ仔犬のような姿勢と表情で眠りこけている
僕はなるべく音を立てないように、絵へと近付いた
辿り着いて、布をめくる
僕は息を呑んだ
そこに描かれていたのは、静謐に描かれた寝具の上で熱く見詰め合う、僕たちの姿だった
状況から視るに、この場面は既に何度も獣のように交わった後だ
二人の躰は躰液に濡れ、窓の外からの薄い光に乱れた寝具が退廃的に照らされている
にも関わらず、絵の中の僕がオーウェンに回す腕は、母性のような愛を持って彼を抱いているようにも思えた
不意に音がした
振り向くと、オーウェンは上躰を起こしてこちらを視ようとしていた
僕は何食わぬ顔で絵に布を被せると、彼に振り向く
「視た?」
彼が尋ねる
僕が「視てないよ」と答えると、オーウェンは「絶対視るなよ」「視たら、お前にはもう絵は売らない」と口にし──少し考え込んだあと、「今度、お前を描いたら駄目かな?」と、急に僕に尋ねた
僕は「もちろん良いよ」「でも、そんなの多分売れないから、二人だけの秘密の絵にしようね」と、彼に表情を視せないよう、彼から顔を背けながら答えた