初(出海・麦晴)
「くれぐれも校内で開けることのないように。家に帰ってから親と見ること」
そんな担任との約束を守る生徒は、このクラスに何人いるだろう。先生から渡された封筒を手元で遊ばせて、それをぼーっと見ているのは出海だ。
中学に入ってすぐ、体質の検査が行われた。これは不思議なことじゃなく、どこの中学でも行われていることである。
と言っても、体質は基本、遺伝によるものが大きいらしいので、両親共に体質持ちでない出海が興味を持つ話題ではなかった。
先生が退室すると、途端先の注意を破り、封筒を開ける奴が現れる。そういうやつは大抵、該当体質なしだ。
昼休みに突入すれば、他クラスの奴らもやって来て、さらに検査結果の話題で教室内は盛り上がる。何もありませんでした、からそこまで盛り上がれるのは、素直にすごいと出海は思う。
――何がそんなに楽しいんだか。
冷めた目で教室を見渡していた出海のもとに、麦晴がやって来た。出海と麦晴は入学初日に麦晴から話しかけて以来、なんやかんや一緒にいる仲である。
「眉間に皺寄ってんぞ」
麦晴は出海の眉間に人差し指を置き、グリグリとシワを伸ばすように動かした。
「なんか嫌なことあったか?」
「嫌っつーか、ノリがよく分かんねえ」
頭を掻く出海を見て、麦晴は首を傾げる。
お前、賑やかなの嫌いだっけ? と言いたそうな顔だ。
実際、特段賑やかな空間が嫌いなわけじゃない。出海は盛り上がるところで盛り上がれる男だ。
「そんな、分かりきってる中身見て楽しいか?」
それを聞いて、麦晴は納得の声を出した。
「確かに、サプライズ受けるみたいな楽しさは無いか。あ! 中身分からない楽しさならさ、今日俺の家来ねえ?」
話を飛躍させた麦晴曰く、ゲームのガチャがようやく引けるらしい。一人で黙々と引くのもなんだから、遊びに来いというお誘いだ。
出海は二つ返事で誘いに乗った。
「じゃあ、あとでなー!」
大きく手を振る麦晴に小さく返した出海は自宅へ向かう。
家には母親がおり、ソファに座ってドラマを見ていた。「ただいま」と帰宅を伝えるついでに、封筒を渡しておく。
「はい」
「はいって、これはなんなのか教えなさいよ」
「体質の検査結果です」
母親はその場で封筒を開け、中から髪を取り出した。
出海はそれを横目に、麦晴の家に行く支度をしようと、自分の部屋へ足を向ける。
「あら」
母親の声に、再び振り向くことになった。「あら」は"該当体質なし"で出る反応じゃないだろう。
見ないわけにはいかず、ソファの後ろから覗き込んだ。
紙には〈スタッフ〉と書かれていた。
母親によれば、両親共に体質持ちではないものの、母親の祖父は〈スタッフ〉だったからその遺伝だろう、とのことだ。
出海は複雑な心境だった。体質持ちは苦労する点がある、とはいえ何か害があるわけじゃない。自分は関係ないと思っていたのに、それが覆ってしまったからなのか、それともいっそのこと分かりやすい〈チャイル〉が良かったのか、麦晴の家に着くまで考えてみたが心境の理由は分からなかった。
麦晴に招き入れられ、ガチャを引きおわってしまえば、後はいつも通りのんびり話しながら漫画を読むことになる。そんなゆるい会話で出た話題だった。
「そういやさ、体質のやつ見た?」
聞いたのは麦晴だ。結局、出海が学校内で見なかったのを麦晴は知っている。
「見たよ」
「何だった?」
見たままを、見たことを伝えたようにすんなり言えばいい。〈スタッフ〉だったと言えばいいのに……、言葉が喉につっかえた。
――なんか、言いたくない……?
自分で理解できない抵抗感。それでも何か応えなければ、麦晴が怪しむ。
「……特に、何もなかったけど」
嘘ばっかりの言葉を押し出せば、横から「えっ」という、声に空気を多く含んだ反応がある。
横を見れば、麦晴は漫画から顔を上げ、出海を見ていた。その目は見開かれ、口は未だ少し開いている。
なぜ驚かれているのか、出海は不思議に思った。
「えっと、俺変なこと言った?」
「あっ、いや……、言ってねえよ。そっか、そうだよな」
視線を落として何か一人納得する麦晴に、出海は眉を顰め、首を傾げる。どう見たって様子がおかしかった。
肩を叩こうかと伸ばした手は、顔を上げた麦晴によって止められる。
「俺も何もなくてさ、やっぱそうそう居ないもんなんだな!」
空元気だって分かるけど、出海は「そうだな」としか返せなかった。引っ込めた手がギシリと鳴る。
気まずさを感じながらも会話を続け、出海が帰宅して、次の日になって、麦晴は学校を休んだ。
昨日のこともあり気に掛かった出海は、先生からプリントを預かって届けることにする。
麦晴の家に着いてインターホンを押すも、応答がない。マイクとカメラが付いているタイプなので、この場で声が聞こえるはずなのだ。
――あいつの部屋、インターホンの音聞こえないんだっけ。
部屋で寝ているなら気づいていないかもしれない。ならば、少し恥ずかしいが直接声をかけるしかないだろう。
「麦晴ーー!」
麦晴の部屋に向けて呼びかけた。しかし、窓が開く様子はない。
まさか留守なのか、それとも爆睡しているだけか、可能性をあげていたら玄関のドアが開いた。
「良かった。留守かと思って……」
出海は言葉を止めてしまう。だって、ドアを開けたのは小さな子供だったのだ。
どこか見知った雰囲気の子供を見て、出海の脳内はフル回転する。そして答えを導き出した。
「麦晴……?」
「……そうね」
子供の麦晴は視線を逸らす。そのまま、小さな声で「入りなよ」と言われたので、出海は中に入った。
プリントを渡すだけということもあり、靴を履いたまま麦晴と向かい合う。段差があるにも関わらず、麦晴の頭が下にあるのは新鮮だ。
「昨日は体質なかったって……」
用事を済ませる前に、これだけは聞いておかなければならない。
いつもの元気な麦晴はどこへ行ったのか、ボソボソと話した内容によれば、麦晴は出海が〈スタッフ〉だと勘付いていたらしい。なのに、出海は昨日、体質はないと言った。
「聞いてすぐは俺の勘違いだったって思ったんだけど、もしかしたら〈スタッフ〉だったけど、俺とは体質抜きで一緒にいたいのかもって思って」
小さかった声が更に小さくなっていく。聞こえなくなることを危惧した出海はしゃがむことにした。
出海の動きを気にすることなく、麦晴は話を続ける。
「俺は〈チャイル〉としても出海の横にいたかったから、このまま横にいるのは出海に悪いと思ったんだけど、どうしても嫌で」
子供化してしまった。
余計な勘違いをさせた、と出海は思う。
――俺が素直に言ってれば良かったのか?
そう言いきれはしないけど、自分にも非があるのは明らかだった。出海は頭を掻きながら、かけるべき言葉を探す。
「その、多分恥ずかしかったって言うか、いや恥ずかしいじゃないな、そうじゃなくて。あの」
言い訳がましくなるし、全く考えがまとまらない。そりゃそうだ、自分でも嘘をついた理由が分かっていないのだから。
しかし、この状況を望んでいなかったのは確かだ。
「麦晴が、今まで通りじゃなくなると思った、から、嘘ついた。ごめん」
謝った勢いで麦晴に両手を伸ばし抱き寄せる。麦晴が肩を強張らせたのに対し、出海の身体から軋む音がした。
――ここで拒まれたら動けなくなる。
そうならないためには、謝罪の言葉と素直に願いを伝えるしかない。そう考えて、抱きしめる腕に力を入れて言葉を発した。
「嫌いにならないで。ごめんだから。お願い」
弱々しい出海の声に、固まっていた麦晴は笑い声を溢して、小さな腕を伸ばし抱きしめ返す。
「こっちの台詞だっつーの」