探り合い(椰雲・一)
もし、声だけ知っている人がいるとして、こうも簡単に気づけるものだろうか。
一は下校中、公園のベンチへ座り鼻歌を歌う青年に惹かれていた。
青年は手にスマホを持っていたが、その画面は暗い。イヤホンをつけている様子もないので、音楽アプリで曲を聴いているわけではないようだ。
――作曲中、かな?
一がそう思うのは、彼がネットで活躍中のシンガーソングライターだからだ。確認していないため、あくまで推測である。
その推測が確信に近いのは、一が彼、"くもぱち"が作る曲の大ファンであるためだろう。
暫く、公園の入り口に立って、くもぱちらしき青年を見つめ続けていた。
その視線に気づいたのか、他の理由か、青年が顔を上げる。上げたついでに周りを見渡したことで、一の存在に気づいた。
「あー、っと、……不審者じゃない、ですよ」
しどろもどろなのが逆に怪しさを増幅させているが、じっと見ていた自分にも非がある。一はそう考えて、優しく笑いかけた。
「不審者だなんて思ってません」
「そう? なら、良かったです」
「くもぱちさんっぽいなぁって思ってただけで」
見開かれた目を丸くして、青年は一を見る。
「は、なんで?」
「僕くもぱちさんのファンなので」
図星だという反応を見せた青年に一は近づいていき、隣に腰掛けた。
青年の脳内は一層クエスチョンマークで埋め尽くされる。
――何で座った? てか、そんな分かりやすい声は出してなかっただろ。
しかし、先程までぼんやりとした頭でいたので、無意識のうちに歌っていた可能性が無いとは言えなかった。
恐る恐る、青年は一に確認をする。
「えと、俺そんながっつり歌ってました?」
「いいえ? 鼻歌でした」
では何故、と青年が思ったのと同時に、一から答えが返された。
「何で分かったのかって聞かれても困りますよ。何となくくもぱちさんだなあって、思っただけですから」
青年は恐怖を感じつつ、表情には出さなかった。
鼻歌だけで特定するなんて、耳に関する機能がよほど発達していないとできないだろう。
しかし、怖いが不快ではない。不思議なことに。
煮え切らなさは伝わってしまったらしく、一は眉を下げる。
「SNSでバラしたりはしないですからね」
正直、その心配は全くしていなかった。
――引っ越してから数日で住所晒されるところだったのか。
青年が自らの危機管理能力に冷や汗をかいていれば、一の目が軽く伏せられる。頬が淡く色づいていた。
「僕はただ、新曲らしきものを聞けて嬉しかっただけで」
その言葉を聞いた途端、青年の頭の中で何かが解ける。ずっと閉じられていた扉の鍵が開いたような感じだ。
「あんた……そういうことか」
「?」
青年の中では答えが出ていた。
ここ数ヶ月、新曲を出すどころか一秒たりとも進んでいない作曲作業。青年はスランプと呼ばれるものに悩まされていた。
〈スタッフ〉である青年は曲を投稿し、視聴回数やコメントによって〈スタッフ〉の認知欲を見たいしていたのだが、ここ最近それがあまり機能せず、脳内が曇りに曇っていたのだ。
やはり直接〈チャイル〉から言葉をもらわないとダメなのか、そう思った矢先にこの感覚である。もう"そう"としか思えなかった。
青年は立ち上がり、一の頭を軽く撫でる。
「おかげでやっと新曲が出来そうだよ。ありがとさん」
ほぼ言い逃げをかました青年の後ろ姿を見送る一は、そのまま暫く動けなかったという。
次の日、あれから籠って作業をしていた青年は、買い出しついでに昨日の公園へ寄った。
「あ、今日も来たんだ」
昨日と同じ場所に座っていた一はスケッチブックを抱え、鉛筆を握っている。
視線で座らないの? と言ってきたため、青年も昨日と同じ場所に座った。
結果的に、一の描いている絵が見えるようになる。目の前の風景に加え、犬と戯れて遊ぶ少年が追加されているようだ。
覗き見られているのは分かっているだろうに、一は何も言ってこない。許されている、と思うが、それでも気まずかった。
――何か、話しかけた方がいいのか?
青年は話題を絞り出す。
「外で描いた方が良いみたいなのあるの?」
「うーん、そういう人もいるだろうけど、僕の場合は家が嫌いだから外で描いてる」
想定していたよりも重い回答が返ってきて、青年は戸惑った。
――いや、ちょっとした反抗期かもしれない。
気持ちを切り替え、「へー、なんで?」と聞き返したのが運の尽きである。
「家だと、くだらないことしてないで勉強しろって言われるんだよね」
広げてはいけない話題だった。後悔してももう遅い。
青年は今自分にできる精一杯の配慮を考える。一のおかげで自分は楽になったのに、恩を仇で返したくなかった。
「邪魔になるようなら場所変えるけど」
「全く邪魔じゃないよ。いつもくもぱちさんの曲聞きながら描いてるし」
一からしてみれば、あまり触れられたくない話題だったかもしれないのに、それで嫌な気分になっていてもおかしくないのに、青年はその一言でたまらなく満たされてしまう。
もう、どうにでもなれと思った。
「あのさ」
「うん?」
「うち来る?」
今までずっと、話していても動かしていた一の手が止まる。
青年の方を一度見て、その後あちこちに視線を向けた。口からは「いや」とか「でも」とか、後に否定的な答えが返ってくるであろう言葉ばかりが出る。
吹っ切れている青年が追い打ちをかけた。
「迷惑じゃ、とか考えてるかもだけど、ここで断られると逆に困るんだよね」
困惑したまま一は青年に視線を戻す。すると、真っ直ぐに目を見られて、逸らせなくなった。
「〈チャイル〉が〈スタッフ〉を捕まえておいて頼らないなんて、これほど酷いことはない」
「は? 〈スタッフ〉? くもぱちさんが?」
やっと発せた言葉は全て疑問系で、さらには青年に答える意思がないときたものだから、一は青年が自分の頭を撫で、目の前に差し出す一連の手の流れを追うしかなくなる。
「くもぱちじゃなくて、椰雲ね。水城 椰雲」
今更告げられた本名を一が脳内で復唱していれば、椰雲が再び提案をした。
「で、俺の家来るの?」
一は、椰雲の手に向けて自分の手を伸ばす。
・水城 椰雲
体質:〈スタッフ〉
大学一年生兼シンガーソングライター。
大学進学に合わせて、作業環境を整えるべく引っ越してきた。
・振角 一
体質:〈チャイル〉
高校三年生。絵を描くのが好き。
厳しい家庭で育つなか、澄に薦められて聞いた曲にどハマりする。