宝物(出海・麦晴)
光ヶ丘高校、一年生の教室で、麦晴は友達と談笑していた。
机と机の間、通路ではあるがとにかく狭い。机からはみ出して置かれているものがあれば、通行人に引っかかって落ちてしまうだろう。
麦晴の机から、筆箱がはみ出していた。
「あっ」
誰かがそう言ったのと同時に、床に物の当たる音が聞こえてくる。
筆箱本体の落ちた音が1番大きかったものの、その後に長らく音が続いたのは、つけていたキーホルダーがバラけたからだろう。ビーズで作られていたキーホルダーの紐が切れ、散らばってしまったのだ。
ぶつかったクラスメイトが謝りながら拾ってくれる。気にしないように話しかけ、麦晴も拾い始めたが、声は震えていなかっただろうか。
「何してんの?」
頭上から聞こえてきたのは出海の声だ。
周りのクラスメイトが状況を説明してくれている。それに対して出海は「大変じゃん」なんて、笑いまじりに返した。
麦晴にとっては大変なんてレベルじゃない。視界が歪んでいた。
――ダメだ、泣くな。泣いたらもっと迷惑かける。
顔を上げたら涙目だとバレてしまうが、このまま床を見続けていたら涙が落ちてしまうだろう。
どうにかしないと、と焦るほど麦晴の体は軋んでいく。
「麦晴?」
麦晴は出海の声に対し、反射的に顔を上げてしまった。
困惑する出海が声をかけるより前に、麦晴は立ち上がり、廊下へ向かう。
「ごめっ、ちょっとトイレ行ってくる」
背後から話しかけてくる友達曰く、もうすぐ休み時間が終わるらしいが、関係ない。
なんとか顔を隠しながらトイレを通り過ぎ、人通りの少ない場所まで来て麦晴は座り込む。
制服が大きくなっていくのを感じていたら、足音が近づいてきた。駆け足だった音が落ち着いて、目の前で止まる。
「どーした?」
顔を上げれば出海がいた。しゃがんで麦晴に視線を合わせている。
「筆箱落っこちただけだろ? 小さくなるほど嫌だったのかよ」
そう言いながら広げられた出海の腕の中に、麦晴は迷いなく飛び込んだ。
受け止めて、背中に腕を回してやった出海は、首へ回された麦晴の右手が握られていることに気づく。何か手の中に入っているようだ。左手だけ首後ろに持っていき、握られた手を突く。
「何持ってんの? みーして」
麦晴は出海の肩に顔を埋めたままだったが、やっと口を開いてくれた。
「……怒んない?」
「俺がお前に怒ったことある?」
「いっぱいある」
いっぱいあった。
麦晴はそこそこいい加減な男なので、遅刻するし、忘れ物もする。その度に出海は小言を言っていたので、それを指しているのだろう。
――俺悪くねえじゃん。
出海がそう思うのは至極真っ当だが、現状は麦晴の機嫌を取るのが最優先である。
「今は絶対怒んないから! 教えてくれないと俺、何もできねえよ」
最後にかけて弱々しくなった声を聞き、麦晴は顔を上げた。それから、眉間へ皺を寄せた出海に対し、おずおずと手を出し開く。
「……ビーズだね」
麦晴の小さな手のひらには、ビーズがひとつ乗っていた。筆箱についていたキーホルダーの部品をひとつ拾って、そのまま持ってきたのだ。
なぜ麦晴はこれで怒られると思ったのか。出海は首を傾げた。
「あのキーホルダー、出海が作ってくれたやつ」
そう言って、ビーズは再び麦晴の手の中に閉じ込められる。
大事そうに握りしめている麦晴を見て、出海は申し訳なさに駆られた。だって、何も思い出せない。
確かに、出海の趣味は服やアクセサリーのデザインだ。簡単に作れるものなら製作もする。
でも、ビーズはここ数年触った記憶がない。
「えっと、いつあげたやつ?」
「小学生の時」
「小学生って、俺らまだ会ってないだろ」
麦晴と出海が出会ったのは中学校に入ってから……と出海は記憶している。だって、小学校は学区が違ったのだ。
出海が覚えていなかったことに麦晴は口を尖らせて、肩に寄りかかった。
「会ったことあるよ。児童館のイベント、出海も来てたじゃん」
児童館のイベントとは、バザーがあったり、ミニゲームが出来たりする小さなお祭りのことだ。出海にも行った記憶はあった。
「俺が割り箸の鉄砲作ってる横で、キーホルダー作ってたっしょ?」
「あー、作った記憶はあるかも」
ワークショップもあったのだ。食品サンプルのデコするやつとか、どんぐりのヤジロベエ作るのとか。
麦晴曰く、その時に出海からキーホルダーをもらったらしい。そこまで言われても出海は思い出せなかった。
頬を膨らませた麦晴は、とうとう顔を背けてしまう。目を合わせようとしても、見事にされられた。
「こ、今度作るのは絶対覚えてるから、新しいのもらってよ」
苦し紛れにした出海の提案は、お気に召すものだったらしい。視線が合う。
「しょうがねえなあ」と言いながら、麦晴は破顔した。
これでひと安心だと出海が胸を撫で下ろすが、麦晴の身体は子供のままである。
「なんで戻んないの」
「んー、このままサボろうかなあって」
「はあ⁉︎」
そういえば、少し前にチャイムが鳴っていた。
サボる気の無かった出海は立ちあがろうとするが、膝の上には麦晴がいる。その麦晴といえば、なんと寝る体制に入っていた。
怒鳴り起こす手もあるが、子供状態の〈チャイル〉にとってそれは大変な負荷である。
怒るに怒れなかった出海は諦め、そのまま麦晴が寝入るのを待った。
遠くの方で鳴るチャイムが耳に入って、麦晴は目を覚ます。まず、真っ白なシーツが目に入った。薬品の匂いもして、脳はここが保健室だと結論を出す。
扉の開く音、次に会話の声がかすかにして、目の前のカーテンが開かれた。
「おはよ」
「……子供状態の〈チャイル〉を置いてくとか、お前はそれでも〈スタッフ〉か?」
「正真正銘〈スタッフ〉だよ。何度も診断結果見せたじゃん」
出海は麦晴の身体が戻っているのを確認すると、先生に教室に戻ると告げる。
腑に落ちない点はありつつも、麦晴は出海の後を追う。先生に頭を下げ保健室から出た。
麦晴が不貞腐れていることに出海は気づき、声をかける。
「さっきの授業、ノート見るだろ?」
「サンキュ、大好き」
「簡単なやつ」
そのコロコロ変わる態度が自分の影響によるものだと、出海はとても嬉しいのだ。絶対に言ってやらないが。
・平川 出海
体質:〈スタッフ〉
高校一年生。趣味は服やアクセサリーのデザイン。
麦晴を着せ替え人形にしたいが、逃げられる。
・小屋 麦晴
体質:〈チャイル〉
高校一年生。ダンス部。
お気に入りは飾る派。出海から貰ったものは全て部屋に飾ってある。