感想(刀威・匡)
本日、刀威は小さな劇場を訪れていた。匡の所属する演劇サークルの公演が行われるとのことで、彼から招待を受けたのだ。
「柚月と出海を使ってくるなんて……卑怯だぞまさくん」
「あんたが断り続けるからでしょ」
今にも帰りたそうな刀威を幼馴染である柚月と出海が挟み、着席させるところまでやって来た。呆れてため息を吐く出海の反対側では、柚月が顔を綻ばせている。
「私たちの分のチケットまで用意してくれたんだもの。よっぽど刀威くんに来て欲しかったのよ」
「それは……」
――めちゃくちゃ嬉しい。
匡は〈チャイル〉のくせに、全くと言っていいほどお願いをしてこない。そんな彼からのお誘いだ。刀威だって、本来であれば飛び跳ねて喜び、コンマ一秒も経てないままイエスの返事をするところである。
その誘いが演劇鑑賞でなければ。
「何がそんなに嫌なんですか?」
「だって……」
渋い顔が治らない刀威に、出海が質問したところで開演のアナウンスが響いた。同時に、今の今まで逃走の機会を伺っていた刀威もいい加減諦めたようだ。
顔を上げ、舞台の上へ意識を集中させた。
公演が終わり、刀威は肩の力を抜く。集中すると肩に力が入るのはなぜなのか。緊張やストレスでなっていると考えるのが妥当だが、だとすればそれだけ舞台が臨場感あふれる出来だったということだろう。
「正直たかがサークル活動って期待してなかったんですけど……めっっちゃ良かった!」
劇場を出て、握り拳を作りながら話す出海へ刀威も大きく頷き返す。
――面白かったし、まさくんもかっこよかった!
衣装がどうのこうの言っている出海の発言内容に対してはさっぱりだが、時折ギャグが織り交ぜられた話は刀威でも飽きない良いものだった。
身体全体に帯びた寂しさに、これがロスと言うやつか、なんて考えてたころを柚月の声で刀威は現実に引き戻される。
「匡さん」
先程までのフワフワした感覚が一瞬にして祓われ、ギシッと身体が強張った。
数段階かけて首を横にすれば、そこにはワイシャツ姿の匡がいる。その前にはチケットのお礼を言う柚月がいて、横で「なぜ衣装姿じゃないんだ!」と出海が残念がっていた。
息が上がる。何も運動していないのに、脳をフル回転させているのが運動判定なのだろうか。呼吸が荒くなっていく。
出海を宥めていた匡はそんな刀威に気がついた。
「刀威?」
名前を呼ばれて、息が一瞬止まる。
――言わなきゃ。ちゃんと、考えて言わなきゃ。せっかくのまさくんからのお願いなんだから。
求められているはずのものを、しっかり出さなければ。
「あ、その……えっと」
とりあえず声を出してみるものの、何も単語は出てこない。
やっぱり無理だと思った。
思って、とりあえずこの場から去ろうと足を踏み出す。しかし、〈チャイル〉のお願いに背いたと判断した身体は、思うように動かなかった。刀威は自分の反対側の足に引っかかって転んでしまう。
顔面から地面に激突した刀威の側へ、慌てた様子で匡が駆け寄ってきた。すぐに立ち上がり、大丈夫だと安心させなきゃと思う反面、やはり身体は動かない。
そのまま、匡の声も遠のいていった。
小学校の教室で、刀威は原稿用紙を手に起立していた。意気揚々とそこに書かれた感想文を読む。
読み終わって教室を見渡せば、困った顔で拍手する先生と、嘲笑するクラスメイトがいた。
瞼を開くと真っ白な天井があって、眩しさに眉を顰める。
「眩しっ……」
「起きたか」
刀威が起きたことに気づき、匡は読んでいた本から顔を上げた。
匡によれば、突然倒れた刀威は救急車でこの病院まで運ばれてきたらしい。腕には点滴の跡がある。少し痛むが、おかげで多少だるさはあるものの身体が動いた。
一先ず過ぎ去った恐怖に、刀威は安堵の息を漏らす。
その様子を匡はじっと見ていた。
「柚月から全部聞いた。演劇鑑賞会の感想をうまく書けず嫌になったと」
刀威の肩が跳ねる。
おそらく、刀威が突然倒れた理由を考えているうちに小学生時代の話が出たのだろう。柚月に文句は言えない。
「今まで誘いを断っていた理由はそれか?」
唇をキュッと閉じて、刀威はゆっくりと頷く。頷くしかなかった。
そんな刀威に対して匡はため息を吐く。そのため息に刀威はまた肩をびくつかせた。
静かな病室に匡の声が響く。
「お前にそこまでのものは要求していない」
「えっ……?」
刀威自身が思っていたよりも、寂しげな声が出てしまった。せっかく回復した身体がまた軋む。
匡はすぐに「頼ってないわけじゃない」と訂正した。それから、いつになく優しい声で続ける。
「一言でいい。お前の言葉でいいんだ。感想を教えてくれ」
高度なものは求めてないと、刀威の言葉が良いのだと、むしろ刀威の言葉で聞きたいと。今までにこれほど頼られたことがあっただろうか。なんだか身体がポカポカしてきた気がする。
そのままの勢いで舞台の感想を言おうと思った。今なら言えると思ったのだ。
思った……のだが、いざ自分の言葉で良いと言われると困る。あれか? これか? と刀威が悩んでいるうちに、匡の眉間には皺がよっていった。
「おい、簡単でいいって言ってるだろ」
「だ、だって! 納得いく言葉が見つからないんだもん……」
思い返すたびはっきり目の前に浮かぶほど、舞台での匡はいつになく刀威の脳裏に張り付いている。映像が現物で無いだけで、こうも伝えるのが難しい。刀威にはその映像を的確に伝えるための語彙がなかった。
「あんなにすごいもの見せてもらって、まさくんのことしっかり褒めたいのに全然言葉が浮かんでこないから……! なんかそれが気持ち悪いっていうか……」
出来る限り近しい表現で言った刀威に、匡は頭を抱えてため息を吐く。
――こいつはどうしようもなく馬鹿なんだった……!
「……その気持ち悪さは、おそらくもどかしいと言うんだ」
小さく「もどかしい……」と復唱する刀威の頭を匡は撫でた。家に帰ったらまた勉強を見てやろうと思いながら。




