感想(澄・小景)
澄が学校から帰宅すると、リビングでは匡が刀威に勉強を教えていた。
刀威は澄に気づくと、目の前で説明してくれている匡を無視して、笑顔で澄に近づいて来る。背後から聞こえてくる低い声もなんのそのだ。
「澄くん! クッキーめっちゃ美味しかった!」
「クッキー?」
はて、刀威にクッキーをあげたことがあっただろうか。あったとしても随分前のことで、感想を言うには今更すぎる。
「今日小景くんからもらったんだよ」
「あー」
澄は昨日のことを思い出した。
週に二、三度、趣味でお菓子を作っている澄は、度々浦都家へお裾分けに行っている。昨日もそのパターンで、確かにクッキーを渡した。それを昼食のデザートにでも持って行ったのだろう。
目をキラキラさせてクッキーの感想を言っていた刀威は、痺れを切らした匡に連れ戻された。それを見て澄も自室に向かう。
部屋に入ってすぐ、ベッドへダイブした。
――なんだろ。すごいモヤモヤする。
胸やら頭やらが気持ち悪い。このままでは課題に取り組もうと思っても、そんな気分になれない。
モヤモヤし始めたのは刀威の感想を聞いていた時だ。でも、美味しかったと言ってもらうのは嬉しいはずで、その喜びはちゃんと感じていた。
では何が原因なのか。目を閉じて考えてみれば、脳裏に小景の姿が映る。ホットケーキを頬張って機嫌が良さそうな小景、なんか作れとお願いしてくる小景……。
そこではたと気づく。
――こっちゃんに「美味しい」って言ってもらったこと無いな。
次の日、小景が高校から帰ってくると、自分の部屋に澄がいた。また母親が勝手にあげたらしい。
「おかえり!」
「……当然のようにいんじゃねえよ」
澄はその辺に並べられていたはずの鳥のぬいぐるみを抱え、ミニテーブルの前に座っている。テーブルの上には綺麗にラッピングされたカップケーキがあった。
向かい合うようにして小景も座る。
「何の用だ」
「いつもみたくお菓子作ったから持ってきたんだよ」
改めて、はい、とカップケーキを差し出された。小景はとりあえず一度手に取って、テーブル上に戻す。
それを見た澄は首を傾げた。
「食べないの?」
いつもなら貰ってすぐたいらげてしまうのに。この時間なら夕飯の心配もいらないはずだ。
「家庭科の授業で作ったからって、クッキー貰って食ったばっかなんだよ」
漫画でよく見る展開を飄々と言ってのけた小景。それに対して澄は不機嫌を隠さず、低い声で「はあ?」と答えた。
しかし、その低い声は考えを巡らせていた小景に届くことなく、話が続く。
「そうだ、感想くれって言われてんだけど、こういう時って何言えばいいんだ? 美味かった以外に言うことあんのか」
話の続きは非常に悪い方向へ進んでいった。
澄の顔が陰っていく。
「美味しかったんだ」
「まあ」
――不味くはなかった。
せめてそれを声に出していたら何か変わったかもしれない。小景は社交辞令も込みで、不味くなかった物に提示すべきは美味しかっただろうと考えただけなのである。
まさかその言葉を澄が欲しがってるだなんて、小景は思ってもいないのだ。
さて、一方澄の脳内では、顔も知らぬ女子が小景にクッキーを渡していた。女子は頬を赤らめ、可愛くラッピングされた袋を両手で差し出している。
少女漫画ではお決まりのイベントだ。気になる男子に女子が手作りスイーツをプレゼントする、青春のワンシーンである。
自分のいないところで小景に起こる青春のワンシーンを、澄が許すはずなかった。
ましてや、自分が今欲しい言葉を、見知らぬ女子が先に貰いそうな展開である。許せるわけがなかった。
澄はテーブルの向こうへ回り込むと、小景の胸ぐらを掴み押し倒す。そのまま逃げられないよう上に乗っかった。
頭を軽く打ったらしい、小景が顔を歪める。
「いっって、何しやが」
「俺が良い子で良かったね」
小景の言葉を遮って出された澄の声は、どこか苦しそうだった。無理やり作られた笑みが見下ろしてくる。
「良い子じゃなかったら、全部吐き出させてたもん」
もしも良い子じゃなかったら、今頃小景は澄しか知らぬ場所に閉じ込められて、澄の持ってきた食事だけを口にして、澄とだけ話して……そんな暮らしを送っていたに違いない。
小景が不登校になった時、そのまま閉じこもっておくように誘導してしまえば良かった。あの時、罪悪感からひどく後悔したというのに、その後悔したことに後悔している。
――ほんと、めんど
「めんどくせぇ性格してんな、お前」
今度は澄が遮られる番だった。しかも、声に出していないというのに考えていたことがそのまま聞こえてきたのだ。
驚いて、何処か空虚に向けていた目を小景へ戻す。
そこには目つきは悪いまま、しかし大変可愛くなった小景がいた。子供化してしまったのだ。
「……怖かった?」
「違う。俺のことはいいだろ」
「良くはないと思う」
どんな状況だろうと〈スタッフ〉は〈チャイル〉が大切である。
澄は起き上がると小景を膝の上に乗せ、抱え直した。文句のひとつでも飛んでくると思ったのだが、小景は大人しく膝に座っている。
暖かい体温を腕の中に感じていると、小景がぽつりと話し出した。
「言っとくけど、クッキーくれたのは刀威だぞ」
「え、刀威?」
先日のお礼に、ちょうど授業で作ったからと刀威がクッキーを持ってきたのだ。その時の会話からして澄の分も用意してあるようだった。
「今頃、まさくんの分と一緒にお前の分も渡されてんじゃねぇの」
――そっか、知らない女子からじゃなかったのか。
知らないどころか、知ってる後輩男子からだ。
小景は後輩に優しい。特に、刀威は中学時代からの付き合いである。
――刀威くんなら、俺から小景のこと取ったりしないよね。
澄はほっと息を吐いた。
「あと」
落ち着いた様子の澄を見て、小景は澄にもたれかかる。視線は前に向けたまま、うんざりしたような態度を見せた。
「はっきり言われなきゃ分かんねえから」
ある程度察せるとはいえ、テレパシー使えるわけじゃねえんだぞ。偉そうに言い放った小景へ、澄は少しイラッとした。
事の発端は、小景がはっきり言葉にしないせいである。自分のことは棚に上げて、とはまさに今の状態を表すのにピッタリの言葉だ。
澄はイラついた分、意地悪することにした。
「じゃあ、こっちゃんもこれからちゃんと言ってね」
「? 俺が?」
思い当たることなど何もない様子の小景へ、澄はわざとらしく眉を下げ、しょんぼりして見せる。
「いつもニッコニコで食べてくれるから分かってはいるけど、……美味しいって、言葉で欲しいじゃんか」
下から澄の顔を見上げていた小景は、顔を下ろすと大きくため息を吐いた。
「めんどくせぇ……」
「面倒くさいって言わない!」




