朝(道之・育心)
カーテンの隙間から太陽の光が入ってくる。
光が丁度よく顔に当たった道之は、顔を歪ませて起き上がった。否、起き上がろうとしたら誰かに阻まれた。
寝巻き代わりのスウェットを引っ張り、起床の邪魔をした正体へ視線を向ける。そこには同じくスウェットに身を包み寝息をたてる、小柄で幼い顔立ちの青年がいた。
「育心、離せ」
声をかけるも、青年こと育心はスウェットから手を離さない。言葉になっていない声を出すだけだ。
道之は面倒くさそうに、明るく染められた頭を掻いた。
「朝飯いらねえの?」
もう一度声をかければ、手が離れる。お腹は空いているようだ。
道之は今度こそ起き上がり、床に足をつける。立ち上がって、伸びをして、ベッドを振り返った。
育心は道之がいなくなった場所へ手を置き、何も無いところを掴んでいる。
いつの間にか二人で寝ることにも慣れてしまった。
そんなことを思いつつ道之は台所へ向かい、軽く顔を洗って、朝食の支度を始める。
作業中、脳内の片隅で思い出すのは、寝室を同じにするかしないか、せめてベッドは別だ、いや一緒だ、なんて育心と言い争った日のことだ。今の状態を見れば明らかだが、最終的に全て道之が折れ、育心の望み通りになった。
道之は目の前の卵に意識を向ける。スクランブルエッグにしたいところだが、育心が卵は玉子焼きだと言って聞かないので、これは玉子焼きになるのだ。しかも甘いやつ。
玉子焼きが完成して、味噌汁も作って、後は炊き上がっているはずのご飯を盛るだけになった。
廊下からペタペタと足音が聞こえてくる。起きたなら盛り付けてしまっていいだろう。
しゃもじ片手に炊飯器と向かい合っていたら、太ももに頭突きをされた。
道之は視線を動かさないまま声をかける。
「おはよ。なんで機嫌悪いんすかねえ」
「……嫌な夢を見た」
「ほーん、どんな夢?」
「覚えてない、けど酷く不愉快だ」
ぐりぐりと頭を押し付けられた。
盛り付け終わった茶碗としゃもじを置いて、子供の頭へ手を伸ばす。太ももから頭が離れたのでしゃがみ、視線を合わせた。
子供こと、育心の手には脱げてしまったズボンが握られ、裾を引きずっている。太ももまで覆っている服のせいでよく見えないが、下着は無事な様子だ。
泣いてこそいないものの、歪められた育心の顔からは不満が伝わってくる。
道之は育心の頬へ手を伸ばし、ムニムニと触った。餅のようなほっぺたが伸び縮みする。
「とりあえず顔洗ってこい。そうすりゃ少しは気分も晴れんだろ」
「この身体でか? 洗面台に届かないだろう」
一度、洗面台と高さがほとんど変わらない台所のシンクに視線を向け、育心に戻した。
――届かないだろうなあ。
であれば、戻してやるのが最優先だ。
道之は、春の朝ではまだ冷たい床に座り、腕を広げた。
「ほらよ」
「ん」
容赦なく育心が飛び込んでくる。子供の身体でなければ倒れ込んでいたかもしれない。
脇下から背中へ腕を回した。すると、肩に顎を乗せられ、道之は育心の顔が見れなくなってしまう。
顔を見て機嫌を伺うつもりだったが、無理そうだ。しかし、スウェットを強く掴まれてもしやと思った。
「なあ、育心」
「なんだ」
「俺がいなくなる夢でも見たか?」
育心は肩を揺らす。
「……そう、だったかもしれない」
起きて、腹に腕を乗せられていることはあっても、掴まれているのは稀だった。今日のように離されないなんて、前に一度あったきりである。
「前に一度」は数ヶ月前の冬のことで、俺がこの家から一度出て、帰って来た日だ。
寝てから朝起きるまで、ずっと掴まれていたと記憶している。
道之は育心のサラサラの髪を撫でた。
「もう勝手に出てったりしねえよ」
何も返ってこなかったが、だんだんかけられている体重が増えていく。しばらくすれば、育心は元の大きさに戻っていた。
もういいだろうと、道之は背中を叩いて離れろと伝える。しかし、離れてくれない。
「育心、顔洗って、飯」
「んー」
「んー、じゃなくて……。お前寝てね?」
「寝てな……い」
寝ていないそうだが、寝そうな雰囲気はある。
このまま寝られては困るので、道之は無理矢理自分から引き剥がし、育心を膝で立たせた。ようやく見えた顔は、目がほとんど閉じている。
手を離したら倒れそうだった。仕方なく肩を支え、床に落ちているズボンを手渡す。
のそのそ立ち上がった育心はズボンを履き終えると、なんとか一人で洗面所に向かっていった。
解放された道之は再び炊飯器に向き直る。
茶碗に盛られたご飯が少し乾いてしまっていた。育心のせいだし、育心の分にしてやろうと思ったが、それが出来たら寝室は別になっている。
「道之、腹が減った」
戻ってきた育心は開口一番そう言った。朝食が遅くなったのは誰のせいだと思いながら、道之が振り返れば、育心の前髪に水滴がついている。
「ったくよお……」
袖で水滴を振り払ってやると、育心は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとな」
身体が軽くなるのを道之は感じていた。
しかし、すぐさま微笑みは消え、真顔で空腹を訴えられる。
「で、飯は」
「あー、くっそ。あと運ぶだけだから座っとけ」
頷いてテーブルへ向かう育心の背中を見て、道之はため息を吐いた。
どれだけ迷惑をかけられても、手間をかけさせられても、その分身体は喜ぶ。そういう仕組みの身体なのだ。
広げた手のひらを睨んでから、味噌汁を運び出した。
この世界には〈チャイル〉、〈スタッフ〉と呼ばれる体質が存在する。
〈チャイル〉は、不安や寂しさを抱えると小さな子供になってしまう。
〈スタッフ〉はそんな〈チャイル〉の身体を元に戻せるのだが、人から必要視されていないと何も出来なくなる体質だ。
体質を持つ人々は、助け合い、寄り添いあって生きている。
これは体質持ちの青少年達が、相方が離れて行かないようにあの手この手で気を引く、そんな話。
・継辺 道之
体質:〈スタッフ〉
大学四年生。大学に通いながら執筆活動をしている。
育心とは高校生の時に出会い、なんやかんやあって同居中。
・風飛 育心
体質:〈チャイル〉
大学四年生。趣味はピアノ演奏。
道之の書く話が大好きで、どうにか同居にこぎつけた。