あなたはお父さんにそっくりです
昔の作品を改稿して再投稿します。次話との繋がりでどうしても投稿したかったもんでスミマセン。
令和七年三月一日(土)
高校生時代の父との思い出、その2
僕の父は短所のカタマリのような人間だった。そんな父に、ひとっ欠片の長所らしきものがあるとするならば、彼の言動の端々には、どだい差別心がなかったということである。少なくとも僕の前で他者に対する差別心を露骨に示したことは無かった。いや、やはりこれも父の短所だったのかもしれない。父は削いだようにそれが欠落していた。時に悲しいほどに。
十八歳の頃、僕は、夕方の五時から十一時まで呑み屋横丁にある居酒屋でアルバイトをしていた。著しい景気の後退が深刻だ、このままでは日本は終わる、などとテレビは連日騒ぎ立てていたが、僕等の暮らしの端々に、まだその影響は全く感じられなかった。店は相変わらず満席で、その為バイトの時給は高く、毎晩まかない飯をたらふく喰えたし、綺麗なお姉さんが来店すればカウンター越しに電話番号を聞けた。未成年の飲酒の取り締まりも緩い時代であったし、何かと好都合なアルバイトだった。
「おお、キュー。俺や、俺や。俺がやって来たったい」
父だった。ある晩、父が突然店に現れたのだ。年の初めに母と離婚した父の顔を見るのは久方ぶりだった。僕がこの店で働いていることを人づてに聞き、わざわざ呑みに来やがった。連れが一人いた。ギャク漫画に出てくるホームレスの実写版だった。ヘアースタイルが完全にボブ・マーリーだった。その風体と異臭で店は騒然となり、大半の客が即座に帰った。
「店長、すみません。実はあの客の一人は僕の身内です。お恥ずかしながら父なのです。マジですみません。あの、その、今すぐ追い出しゃーすんで」
「こらこら、何をたわけた事言っとるの。ほら、通常通り、接客、接客」
「でも……」
「でももへったくれもない。君の大切なお父さんとあらば、私にとっては特別なお客様」
店長が、細かくちぎって丸めたティッシュを鼻の孔に突っ込みながら、優しい言葉を掛けてくれる。店長はとても良い人だ。
「お父さん。何を勝手に息子のバイト先に来とんだて。殺すぞテメエこの野郎。て言うか、その人、言っちゃ悪いけど明らかにホームレス……」
こっそりと耳打ちをする。
「おお、彼か 彼は俺んベストフレンドや」
父は、カラカラと笑った。
二人にお通しとおしぼり、それから生ビールの中ジョッキを出す。父は焼き鳥と砂肝注文し、ボブは鳥皮串のみ、五人前も注文した。ボブは歯が前歯一本しかなく、ヌルッとした鳥の皮を、次々と飲むように食している。
「キューよ。俺のちょっとした自慢話ば聞いちゃり。俺は今ん会社に世話になっとったったん半年で作業員宿舎ん食堂んテーブルん奥から三番目ん席で飯ば喰うとーとしゃ」
カウンター越しに串を焼きながら父の話を聞く限り、どうやら父は今の建設会社で異例の出世を遂げているようだ。作業員宿舎の男たちは食堂で飯を喰う時のテーブルの席順がイコール縦社会の順列になっているらしい。部外者にはピンと来ないが、恐らく誇るべきことなのであろう。
父の出世の要因は「ヒト拾い」の才能を買われてのことだった。父の勤める建設会社は、当時その日の労働力が不足する時は、毎朝名古屋市中村区の通称「笹島ドヤ街」に日雇い労働者を集めに行った。ひとえに労働者といっても、その半数は要するにホームレスの方々で、父はそのホームレスの扱いがとても上手かったのだ。
ホームレスの中には、社会のいたずらですっかり心の腐敗しきった者が多く、寄せ場にたむろする彼らに対し強面のヒト拾いが高飛車な態度で「おい、薄汚い乞食ども、仕事だ、さっさと車に乗れ」と怒鳴っても付いて来る者はいない。作業中もあまりガミガミ指導をすると、ドヤ街から遥かに遠い現場でも、昼の弁当だけ喰って、日当も受け取らず、いつの間にかトンズラをしてしまう。そんな連中から父は異常に人気があった。父がぶらりとドヤ街を歩けば、ハーメルンの笛吹きが町中の鼠を集めるかのように、有り余る程ホームレスを連れて帰ってくる。会社がその類い稀な能力を重宝したのだ。
早朝に父がドヤ街を訪れると「番頭さん、いらっしゃい。さあ、食べて。さあ、呑んで」とホームレス達が父をもてなそうと正体不明の液体や固形物をふるまう。すると父は、その場に腰を下ろし、なんとそれを皆と一緒に呑み喰いする。
「腐っとーか喰えるかの見極めが肝心や。あたると三日は動けん」
ホームレスたちをエアーガンで撃って遊ぶガキども見つけ次第、鉄パイプを振り回して追い払う。
「あれ、痛か~」
お前も撃たれたんかい。
「寒波ん朝にホームレスば揺り起こしたっちゃ動かんときは、後々警察に根掘り葉掘り聞かるーとやおいかん、指紋ば拭いて逃げるばい」
おいおいおい。
「ドヤ街ば歩いたっちゃ野良猫やカラスが逃げず、彼らとただの風景と化しぇた時、そん時こそヒト拾いとして一人前ばい」
先ず人としてどうなの。
二人に二杯目の中ジョッキを出す。「今夜は彼ん送別会なんしゃ」父が隣のボブを親指で指差す。伸びた爪の間に土木現場の泥が詰まっている。ちゃんと手を洗えよ、汚らしい。
「彼は元々大阪ん西成ちゅう街ん出身で、流れ流れて名古屋に来たげな。彼は俺ん現場でほんなこつよう働いてくれた。でしゃ、ある時『君ん夢は何や?』って尋ねたら『いつか大阪に帰って、もいっぺん大好きな野良猫に囲まれてリヤカー引きたか』て言うた。俺しゃ、そん夢叶えちゃろうて思うてから、明日彼ば車で大阪に置いてくる。本当は餞別にいくらか持たしぇてやりたいばってん、俺にはそこまでん財力はなかけん、大阪に送り届くるだけで精一杯ばってんな。ごめんな。そして、ありがとう。ほんなこつ今日までありがとうごじゃいました」
父が隣のドレッドヘアーのホームレスに頭を下げている。見ていられない。ホームレスは社会の落伍者だ。中には罪を犯して逃げている奴がいる。結核などの感染症を患っている奴もいる。何より彼らは駅や公園を不法占拠している現行の刑法違反者だ。目の高さを同じにするな。必要以上に優しくするな。馴染むな。溶け込むな。
ホニャホニャホニャ。ボブが父に何か話しているのだが、歯が一本しかないからか、元々まともにしゃべれない人なのか、僕には彼が何を言っているのがさっぱり聞き取れない。ところが父はボブの話に何度も深く頷きながら、最後には感極まって泣き出してしまった。不思議だ。彼の言葉が、父には届いているのだ。ねえ、お父さん、どうして彼の言葉が聞き取れるの?
「俺だって半分以上は彼が何ば言いよーとか聞き取れとらんばってんな。うーん、何やろうな、上手う説明できんばってん、心から分かり合いたかちゅう強か気持ちしゃえありゃあ、相手が歯ん一本しかなかホームレスやろうが、言葉ん違う外国人やろうが、動物やろうが、宇宙人やろうが、案外通じ合えるもんしゃ。うん、俺はそげ思う。一事が万事、つまりはそげなことしゃ」
ラストオーダーまでしこたま呑んだ父のお会計を、僕がレジで済ませる。店長に申し訳ないと思いつつ、こっそり値段をまけてやった。
「俺にも夢がある。借金ば全部返して、もいっぺんお母しゃんにプロポーズばするばい」
去り際にそう云い残すと、父はボブと肩を組んでのれんの向こうに消えた。
店の扉を半開きで出て行ったので、それを閉めに行くと、ボブだけがフラリと店内に戻って来た。ホニャホニャホニャ。アルコールで真っ赤になったボブが何やら真面目な顔をして話しかけてくる。やっぱり上手く聞き取れない。明日故郷に帰るホームレスが何かを伝えようとしている。彼の言葉が無性に聞きたくなった。あなたとお話がしたい、心からあなたと分かり合いたい。そう強く念じて耳を澄ませたら聞こえた。聞こえたのだ。
「店に入れてもろて、おおきに。優しくしてもろて、おおきに。あなたはお父さんにそっくりです」




